いちかの事件簿Ⅳ | さ・い・お・その隠し部屋

 

前回からのつづき。

 

『わかりました。状況を把握次第、ご報告します。しばらくお待ち下さい。......っと、それで、いい方ってなんですか?』

 

期待はしていない。

どうせろくなことがないのは知ってる。

今度はいったいなにを言い出すつもりだろう。

レジャー事業でもはじめたい? 社員旅行でもする? それとも、耳かきでもしてほしいの?

 

にやりと笑みを浮かべて、社長はおもむろに手にした紙を、わたしへ差し出した。

 

『役員会で話し合ったんだけどね。ほら、今期、調子よかったじゃない? だから、賞与を出そうとおもうんだけど、その金額でいきたいとおもう。どうかな?』

 

自分のことしか考えられないこの老体が、珍しい決断をしたもんだと、渡されたA4のペライチに目を落とす。

 

『税理士さんとお話しました?』

 

『まだよ? 役員と天使さんしか知らないからね』

 

『まあ、でしょうね』

 

『なにか不服なの?』

 

不服なんかない。

貰えるものは、誰もが欲しがるでしょうし、それが金銭ならなおさら。わたしの祖母は、みかんの皮でも貰えと、よく言っている。だいたい、この会社から給与が発生してないわたしにとっては、正直、どうでもいい。不服なんてあるはずもない。

 

それにしても、ぜんっぜんダメ。

どうでもいいことを差し引いても、容認できません。

 

決算賞与を支給したがる会社なんて、まともな経営感覚をもっていれば、まずない。なぜなら、会社にとっては意味のない支出だからだ。ただし、税金を多く支払うほど、無意味なものではないとも思っている。

 

従業員のモチベーションを考えたとき、外発的要因としてあげられる報酬が、もっとも手っ取り早い手段であることは考えるまでもない。税金をいくら納めたところで表彰されるわけでも、来期の税率が下がるわけでもないから、いち事業主としては従業員満足度を一時的に上げることや、維持するほうを選択するのは正しい判断と言えるし、この規模の企業なら、節税対策として決算賞与を当て込むのが、一般的な考え方だとはおもう。

 

世の中には、納税が正義だと思っている経営者だっているし、業績がいいから決算賞与を出すものだと勘違いをしている従業員もいる。

 

納税は社会貢献という視点から見るなら、その考えは否定できないけど、従業員の立場としてなら、そんな企業よりは、こうして利益の分配をしてくれる企業のほうが、ずっと真摯的に見えるんだとおもう。笑ってしまうくらい、人は単純な生き物だし、わたしだってこの職に就いていなければ、同じ気持ちを抱いたに違いない。

 

だけど、優先順位をつけるのは重要だと、わたしは考えている。多くなりすぎた利益を抑えたいなら、物の購入や利益の繰り延べなど、まずは流用先を考えるのが、会社にとってもっとも有益な費用になる。それでもなお余剰がある場合や、体裁を考えたうえで、従業員への還元......人へ投資したいというのであれば理解はできる。もちろん、だからといって、なんでもかんでもやればいいというわけじゃない。
 

すぐに設備投資を口にする人もいるけど、減価償却を理解してない人に限って、どこかで聞きかじったことを恥ずかしげもなく言いたがる。節税のための投資というのは、そんなに簡単なもんじゃないし、中小企業では必要になる設備も多くはない。

 
それに利益を削りすぎれば、会社への評価に関わってくるし、臨時の賞与は額が大きくなればなるほど、従業員への負担を増やすことになる。大げさに言えば、決算賞与というのはもろはの剣。よく考えて支給額を決めていかないと、思わぬしっぺ返しを受けるハメになる。物にしても、人にしても、なにをどのようにしたいのか、その計画が重要になってくる。なにも考えず、単純に業績が良いからというだけの理由で、利益の大半を賞与に突っ込もうとするこの紙ゴミは、速やかにポリ袋へ投げ捨てる必要があるんだ。
 
だいたい、やらなくてもいい管理会計もどきを四半期ごとに、なぜ報告しているのか、まったく理解していない様子に、いい加減腹が立つ。利益の推移と資金繰りをより正確に把握してもらうためにも、手間を忍んで報告しているのに。きちんと読んでないでしょ。もう!
 
来期の予測も報告済み。
コロナ需要の停滞で本業の受注率も下方傾向にあるし、本業以外の業績も軒並み伸び悩んでいる。さらに技術部門の強化を目的とした企業の買収計画は、ほぼほぼ合意段階にあるし、情シスを担当してもらっている日向 さらのチームが取り組んでくれている、エコアクションが悪い結果になれば、大手取引先を失う可能性もある。来期に控えた退職者だって、その数を見れば、ここでキャッシュを減らすのは得策じゃないことくらいわかるはず。
 
なのに。
 
浪費の達人は、経営悪化に挑戦しようとしている。
 
やめてください。ほんとに。切実に。
 
『いいえ。そうじゃなくて、これ税理士さんには見せない方がいいと思いますよ。いいですか? まず......』
 
わたしは老害の隣へ着き、彼が用意した紙ゴミに指をあて、丁寧に指摘していった。
 
わたしのできることはここまで。
ここから先の具体的な調整は、様々な企業を知り尽くした税理士や、会計士の専門分野だ。わたしのような実務経験の浅い人材じゃ、適切な金額の算出方法も、分配方法も知り得ない。
 
これが今のわたしの能力の限界。
判断に足る材料は揃えられる。あとは顧問の腕の見せどころ。この頑固な老害をどう説得するのか、めちゃくちゃ興味はある。

 

『って、社長ぉ......』

 

『ん?』

 

めまいさえ感じる。

なんで決算賞与なんて言い出したのか、どうして素人でもわかる判断を誤ったのか、どこかずっと引っ掛かっていた謎が、紙ゴミを読み進めていくうちに解けた。そう。この老害、ミスをしたのでも、誤った判断をしたわけでもない。

 

『ん、じゃないですよ。これなんです?』

 

『どれ?』

 

『コレですよ。コレ。役員ですよね? しかも、当分じゃないし』

 

決算賞与をこれまで支給した実績がないのだろうか。わたしでも知っていることを、こいつらは雁首揃えてだれひとりとして疑問に思わなかったなんて、なんと悍ましい。なにより、この賞与の目的が、なんのためだったのかわかってしまったから、憤りを感じた。

 

なにが、と言わんばかりの忌々しい表情を見据えて、わたしはいう。

 

『役員報酬は期中に変えられませんよ』

 

『えっ!?』

 

正しくは、変えられる。

一定条件を満たしていれば問題はないけど、原則として役員報酬の額を期中に増額した場合、経費として計上できなくなる。今回はまさにそれ。

 

これがなにを意味するのか、経営者じゃなくてもわかる簡単な問いだ。したがって、変更するべきじゃない。不可能という言い方で間違いはないとおもう。

 

たとえ、役員にも支給できたとして、わたしが想像するに、決算賞与は納税額を計算したのち、希望する納税額に調整するために利益操作をする。その中で賞与にあてる金額を決定する。通常の賞与なら一般的な計算式はあるけど、決算賞与の場合はどうするのが一般的なんだろう。

 

なんにしても原資が決まったなら、つぎはどう分配するかを決めなくちゃいけないはず。分配方法としては、たとえば、年功序列か、成果主義かによって、その方法は変わってくるとおもう。ただ、この会社のように行き当たりばったりだと、取り決めなんてあるはずもない。だとすると、賞与の原資を単純に支給数で当分するのが、ベターなんじゃないかとおもう。もし、これが正しいとしたら、この紙ゴミに描かれている数字には殺意しかない。原資の3分の2が役員だけで分配されているからだ。

 

もちろん、役員の取り分が多くなるのは理解はできるけど、それにしてもこれはちょっとどうなんだろうと思ってしまう。利益の大半を数名でわけるのは納得できる話じゃない。従業員が知ることはないとしても、わたしは知ってしまった。

 

節税でも従業員への還元でもなく、自分たちがより高い報酬を得るためだけに、考えられた賞与だということを。まさか、むかつく感情を超える瞬間に、立ち会えるなんて想像もしていなかった。

 

『本当に?』

 

『ほんとうです』

 

『こまったなぁ。約束しちゃったよ』

 

他の役員に具体的な金額を約束してしまったのだから、アホとしかいいようがない。彼らと比べても、わたしの方が無知なことはいくらだってある。たまたま知っていただけにすぎない。だから、わからないことを責めてはいない。だけど、立場が立場なんだから、もしかしたらという懸念は常に持っていてもらいたい。会社だからできないこと。役員だからできないこと。一個人ならできても、それが罷り通らないことなんていくらだってある。自分たちが得することばかりを考えず、特殊な立場の人であり、その立場にどんな意義があるのかを、改めて認識して思考してほしい。

 

集会所で呑気に将棋を打って、その日が終わる老人たちのような人に、従業員の生活を預けていると思うと、翌日にはハゲてしまう。いっそのこと潰してしまった方が、世の中のためになるんじゃないかと、そんな風に考えてしまう。

 

青酸カリを探すわたしの手には、紙ゴミを掴ませて我慢させる。

 

『これもわたしが預かりましょうか?』

 

『そう? 頼める?』

 

『ええ。役員には支給できませんけど、賞与は支給するという方針でいいんですね?』

 

『うん。......しかたないよね』

 

『わかりました。税理士さんと検討してから、また試算を報告します』

 

『よろしくたのむよ......あぁ、役員にもなにか方法ないか、おねがいね』

 

殺したろかな。

 

『はい! よろこんで!』

 

わざとらしく笑顔を作り、わたしはそう答えた。

社長室を後にしたわたしに、声をかけてきたのは経理担当の柴山 美幸だった。

 

『おつかれさま。怒ってる?w』

 

その問いに、デスクで作業中だった日向さんが、ディスプレイの奥から顔を覗かせて、わたしより先に反応した。

 

『怒るっていうか、なぁんか泣きそぉ』

 

どちらの指摘も当たっている。

ムカついているし、とても悲しくもある。

崩れるようにデスクに着いて、ふたりへ告げた。

 

『どしよ。はじめて殺意を抱いたかも......』

 

背後から柴山さんの手がそっと肩に乗る。

 

『飲みいこっか』

 

『しばやまさぁああん!』

 

end......