昨日(4/1夜)は、夫(わたし)は寝不足な上に酔っていたため、晩ご飯の記事を書いている途中に寝てしまいました。
朝になって投稿しています、、、
今日は、ちか鯛をさばいて刺身にし、酢味噌とにんにくでいただきました。
万葉集に、
醤酢(ひしおず)に蒜(ひる)つき合(か)てて鯛願ふ我にな見えそ水葱(なぎ)のあつもの
という歌が収められています。(原文:醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水ク乃煮物)
和食の歴史に関心がある者として、この歌は当然知っていましたが、ずいぶん単純に解釈していました。
(a)醤・酢・にんにくで食べる鯛(の刺身)
(b)水葱の羹(=汁物)
(b)より(a)の方がいい、という風に、、、
しかし最近突然、当時の味付け事情を考えると、この歌はもっとダイナミズムをもって解するべきだと気付きました。
まず前提知識として、下記の「むらくも」さんのページにあるように、平安時代の貴族の料理は味付けされておらず、調味料が別添えでした。
左写真、高盛り飯の周りに小皿がありますが、これに塩、酢、醤(ひしお。味噌の原型)、酒といった調味料が入っています。
この4皿を四種器といい、これで自分で味付けをしていた。
鯛の刺身はもちろん味付けなしですが、羹(スープ)は出汁も入っていなかったはずです。
というわけで、上の句の最初の方から主観を添えて見ていくと、、、
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(a)醤酢に
・・・塩、酢、醤、酒、いつもの調味料セットだ。
(b)蒜つき合てて
・・・お、今日はおかずの膳に蒸にんにくがあるぞ。さじで潰して、醤・酢・にんにくの自分特製ダレを作ろう。
(c)鯛願う
・・・鯛の刺身につけたら、さぞかしウマいだろうなあ、、、
(d)我にな見えそ水葱のあつもの
・・・今日は僕の特製ダレが使えるのは、ありふれた水草のスープくらいなのか。とほほ、、、
この酒、おかわりある?
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どうでしょう。単純に料理の(味付けした)完成形で好き嫌いを言っているのとは、全然違う印象を受けませんか?
なお、コールドチェーンのない平安時代に、京の貴族が海魚の刺身を食べられたか、という疑問は当然あると思います。
日本の生活文化史学者、原田信男はこの歌に関係して次のように述べています。
鯛は、おそらく生物か干物で、生物といっても塩や酢でしめて保存を効かしたものであった。古代の料理法には、出汁という発想が存在しなかったから、これで煮たりすることはできず、生か干した鯛を小さく切って、醬や酢・塩・酒などの調味料に浸して食べたと考えらえる。
「食の歴史学──和食文化の展開と特質」原田信男
今夜も平和に過ぎていきます、、、