令和5年9月16日、土曜日。
ホテルニューオータニ東京にて、筆者の愛読する雑誌「致知」の創刊45周年記念の講演会とパーティーが開かれることに。
講演会は豪華三本立て。
一人一時間強の持ち時間で合間に休憩がそれぞれ30分ずつ入る。
講演会、第一部は臨済宗の禅僧で円覚寺管長でいらっしゃる横田南嶺氏。
1964年、和歌山県新宮市生まれ。
1987年、筑波大学卒、在学中に出家得度し、卒業と同時に建仁寺僧堂で修行。
1999年、円覚寺僧堂師家。
2010年、円覚寺管長に就任。
花園大学総長。
講演会、第二部は2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智氏。
1935年生まれ、御年88歳の日本が誇る化学者。
北里大学特別栄誉教授、東京理科大学特別栄誉博士。
薬学博士、理学博士。
山梨県出身。
講演会、第三部は致知出版社社長の藤尾秀昭氏。
創刊以来、月刊誌『致知』の編集に携わる。
昭和54年編集長、平成4年社長に就任。
月刊誌『致知』は創刊以来42年間一貫していつの時代も「人間学」を追求し続けている。
朝4時半起きで朝食と準備を済ませて、高松空港まで車で向かい、朝7時25分の便に乗り込む。
JAL羽田行き。
飛行機はボーイング737-800機。
中型機だ。
シートは全席革張りで三列シートが左右に展開している。
10時過ぎ、会場であるホテルニューオータニに到着。
11時入場開始。
今回は1650人集まったそう。
当然、満席。
まあ壮観である。
皆さんにも見せたいくらい。
会場の席を確保してから、各自昼飯を済ませると12時半から講演開始。
まず最初は横田南嶺氏。
横田氏の講演のお題は「信ひとつで」。
その名の通り「信」の一字から説き起こしていく。
よく、私は何も信じないという人があるが、あれはあり得ない話だと。
例えば、電車に乗っている人は列車が安全に運行されるものと「信じて」いるから大人しく列車に乗っていられるわけで。
そういう風に私たちの生活のほとんどの場面で「信」というのは無意識の内に織り込まれているわけである。
例えば私が今、こうしてパソコンで原稿を書いていられるのも、ネット環境やパソコンが正常に作動するという「信」があり、はたまた屋根の付いたこの部屋、家がいきなりへしゃげて壊れることなどないという「信」があるから、落ち着いて書いていられるわけである。
そうでなければ、一々疑いの眼であれやこれやを眺め出すと何一つ信じられるものはなく、それでは生活は立ち行かなくなってしまう。
そうつまり私たちの日常生活は様々な「信」抜きには考えられないのである。
そしてそこから、横田氏は専門の禅の話へと展開されていく。
法遠去らずという禅話。
僧侶が寺の玄関先で入門を請うことはよくあることで、一度や二度、追い払われたくらいですごすご帰っていくようでは話にならないのだが。
古代中国の禅僧、法遠は、雨の日も風の日も通い詰めた挙げ句、現れた葉県和尚に頭から水をかけられるのだが、他の僧侶たちのように逃げ去ることなく踏みとどまって入門を許される。
しかし、料理係りを務めていたとき、和尚の不在中、飢えに苦しむ仲間のために馳走をつくったことが和尚に知れ、代金の請求と30回の棒打ち、さらには寺から追い出されてしまう。
代金を稼ごうと法遠は町で托鉢をするのだが、せめて近くにと居住していた寺の敷地内での家賃も求められ、それでもめげずにひたすら托鉢をするのだ。
風雨に耐えながら立ち続ける法遠を目にした葉県禅師は、法遠こそ真の参禅者だと言って自らの後継者にしたという話。
師を信ずる弟子と、その弟子を信ずる師。
この構図は後の話の展開に深く関わってくる。
次は法華経に出てくる長者と息子の話。
本来全ての財産を引き継ぐ資格のある息子なのだが、幼い頃に両親と生き別れたため、父の顔を全く知らないのである。
それがある時、長者と出会い、息子の方は父とは分からないのだが、父の方は一目で息子と分かる。
それで長者に乞われて、長者の下で働くことになる息子。
最初は、便所の掃除から、やがて庭の掃除、座敷の掃除と進んで、最後は長者の財産の管理を任されるまでになる。
それでも息子はその財産は自分には全く縁のないものだと思い込んでいる。
しかしその財産は最初から全て息子のものだったのだ。
この話が象徴しているのは、私たち人間全てはもうすでに「仏の心」を持っているのに、自分では煩悩の雲に覆われてそれと気が付かないということにある。
仏道の修行とは無いものを求めるのでなく、すでに有るものに気づくことなのである。
もうすでに生まれた時から持っている「仏心」に気づくこと。
私たちは、あの長者の全財産が息子のものであるのと全く同様に仏様の心の全てを最初から余すところなく受け継いでいるのだ。
その話を横田氏は自身が前任の管長さんに仕えた経験から説き起こしていく。
この話がまたすごくて、辛い修行を課される側からでなく、課す側の苦悩と信を氏は説くのである。
普通、修行の話というと、どれくらい辛い修行に耐えたかという話ばかりで、その修行を命ずる側の話はまず出てこない。
ところが氏はそこのところに着目するわけである。
辛い修行を課す側も、この人ならこの苦労に耐えられると「信じて」その苦労を課すわけである。
その、上に立つ者の忍耐と苦悩はいかばかりかと、氏は前任の管長さんに仕えた経験から得たその学びを私たちに伝えてくれる。
そう、話はここで大きく展開している。
「信」の一字から始まった小さな物語がやがて壮大な密教の極意とも言うべき大きな「信」の話へと繋がっていくわけである。
これこれ、こういう話が聞きたかったんですよ。
45周年記念にふさわしい誠に素晴らしい講演でした。
続いてノーベル賞学者の大村智さん。
意外なことに先生は、高校時代ほとんど勉強はせず、スキーと卓球に明け暮れていたそう。
中でもスキーの腕前は相当なものだったらしく、国体にも出ていたというから驚きだ。
その後、高校三年間の最後の半年だけ、ようやく勉強を始めて大学に滑り込んだという。
大学卒業後もすぐに研究者になったわけではなく、まずは高校の定時制の教員になったのだそうだ。
ノーベル賞学者らしからぬ経歴の持ち主である。
高校教師時代には卓球部の顧問もやり、そこで「私に勝てる奴はいないか」と生徒にけしかけて上達を促したという。
すると正直なもので四人くらいどうにも敵わない生徒が出て来たという。
それでチームは地方の大会で優秀な成績を収めることになったそう。
この体験から若い人の心に火を点けることの大切さを学んだという。
その後、研究者に転身するのだが、当初は父親に「おまえの経歴では一流の研究者にはなれない」と言われる。
「しかし、教員を続けていたら校長先生にはなれるかもしれないと。」
そんな不安だらけの研究者人生の船出だったが、まずは若い頃当時まだ珍しかったコンピューターに親しんでいたおかげで、化学の構造分析の分野で名を上げることに成功したらしい。
しかしその仕事も、よく考えてみたら人様が苦労して見つけた未開の物質にいわば二次加工的に表面的にかかわるだけで面白くないと。
要するに楽して美味しいとこだけ持って行っているというわけで。
で、それが嫌で自分でも泥水をすするような基礎研究をやってみたいと思うようになったという。
その後は、様々な人との縁の中で、イベルメクチンの研究へと繋がっていく。
まだ日本の大学にいた無名時代の研究者の時などは、セミナーで外国人の一流講師を次から次へと呼んで当時としては日本一と呼べるくらいの質と量のセミナーを維持したりしていたという。
その後、アメリカ留学に。
アメリカではアメリカ化学界のドンともいうべき人に可愛がられ、そこで得た人脈を生かして当時はまだ珍しかった大手製薬会社との共同研究などで多額の研究資金を確保することに成功する。
なんでも、当時東大の教授クラスでも年間200万、300万くらいだった研究費の中で1500万集めていたというから驚きだ。
そうやって後のノーベル賞受賞につながる「イベルメクチン」の開発に携わることになる。
しかしこのイベルメクチンという薬、いかに世界で愛され世界の人を救ってきたか。
その話も極めて印象的だった。
線虫という寄生虫がいるそうなのだが、人間などがそれに取りつかれると足が異様にむくんできたりするらしい。
若しくは目にきて失明の原因ともなるという。
そんな恐ろしい寄生虫をこのイベルメクチンは医者の処方なしで手軽にしかも安価にそして副作用もほとんどないという理想の薬として退治するという。
実際、線虫被害の多いアフリカなどでは、この薬のおかげで救われた人が大勢いて、大変に感謝されているそうだ。
その成果を聞けば聞くほど、ノーベル賞を取ったのも当然かと納得がいく。
縁尋機妙、多逢聖因を地で行く類まれなる人生譚であった。
最後は致知出版社社長、藤尾秀昭氏。
まとめの話は、致知という雑誌が社会や組織に対してそれを巧みに使うことで、いかに良い影響を与えてきたかという話。
致知を読んで感動したという若い男女が編集長宛てにしたためた手紙の話。
そしてその手紙を男女二人の御当人が会場に来ていて、壇上から朗読してくれる。
また今年の夏の高校野球で優勝した慶応高校の野球部が部内木鶏会(致知を読んで感想を言い合ったり、互いの長所を見つけて褒め合ったりする会)を実践していたそう。
そこで、慶応高校の監督さんなんかも会場に駆け付けてくれたりして、よもやま話を。
その後、藤尾社長の50代での心臓手術の際の思い出など。
藤尾社長は生まれた時から心臓に穴が開いていたらしく、長年の宿痾であったその心臓を50代の時に手術して治したらしい。
その時、病室で不思議な経験をする。
二羽の鳥が暗い空の中を嬉しそうに歓喜しながらいつまでも飛んでいるのを見たという。
しかもずっとそれが続いて、飛ぶものと言えばそれ以外には何も見えなかったらしい。
後で考えるとあれは、天国からずっと藤尾社長の心臓を心配していた両親だったのではないかと。
ずっと気がかりだった心臓手術が無事成功して、喜んでくれていたのではないかと。
この時、この世には人知を超えた力があると改めて氏は実感したという。
そして最後は人間学の根本を言い表した言葉としてお釈迦様の言葉、「上求菩提、下化衆生」を挙げられた。
これは自身を磨き上げることに限界はなく(上求菩提)、そこで得られた学びを自分より後の人に伝えることに倦むことはない(下化衆生)、ということ。
全くその通りだな、人の人生って。
〆は「一燈照隅、万燈照国」の言葉を致知の男性社員数人が力強く朗誦する。
読者さんの手紙の朗読もそうだったが、皆驚くほど発声がいい。
いやあ、日本の未来は明るいですな。
六時からは、いよいよお待ちかねのパーティー。
立食形式でお酒も出る。
来賓挨拶では、栗山監督やソフトバンク前監督の工藤さんの姿も。
美味しいものを食べて、お酒も飲んで、同じ志を持つ愛読者諸兄と人生を語り合う。
いやあもう最高ですな。
まあそれにしても、ホテルニューオータニの会場の大きさにはびっくりしました。
その後は、ニューオータニに宿泊。
ちょっと宿泊料が高かったけど、思い切って清水の舞台から飛び降りました。
骨折しました、あはは。
でもやっぱりホテルニューオータニは最高でした。
シングルルームなんだけどベッドはダブルで、風呂はヒノキ風呂。
その風呂に入れるためだけの柑橘類まで付いていて。
更に日本酒一合がサービスで付いていて、持って帰って飲んだんだけど、さすが一流ホテル。
めちゃくちゃ旨い日本酒でした。
あーあ、こんなに幸せだと多分明日辺り、死にますね。
冗談はともかく、とにかく感謝、感謝に尽きますね。
みんな本当にありがとう。
安全運行に務めてくれたJALの皆さんに感謝。
最高の講演を聞かせてくれた、横田南嶺さん、大村智さん、藤尾秀昭さんに感謝。
その機会を設けてくれた致知出版社並びに関係者の皆さん方に感謝。
会場のホテルニューオータニさんに感謝。
宿泊の同じくホテルニューオータニさんに感謝。
パーティーの美味しいお料理とお酒、スタッフの皆さん方に感謝。
その他、今回お世話になった皆さん方に感謝。
そして今日も最後まで読んでくれたあなたにありがとう。