『廃人令嬢は魔侯爵様の婚約者で悪女な秘薬師 駆け込み婚約相手は聖女の花婿候補でした』を試し読み♪ | 一迅社アイリス編集部

一迅社アイリス編集部

一迅社文庫アイリス・アイリスNEOの最新情報&編集部近況…などをお知らせしたいな、
という編集部ブログ。

こんにちは!

本日も一迅社文庫アイリス最新刊の試し読みをお届けします爆  笑

試し読み第2弾は……
『廃人令嬢は魔侯爵様の婚約者で悪女な秘薬師 駆け込み婚約相手は聖女の花婿候補でした』

著:乙川 れい 絵:まろ

★STORY★
王立秘薬研究所で働く、秘薬作りが大好きな仕事中毒気味の子爵令嬢トリシャ。ある日秘薬絡みの事件に巻き込まれた彼女はカワウソの精霊眷属に助けられるが、両親からは退職して婚活することを望まれる。進退窮まったトリシャだったけれど、彼女の作る秘薬が必要な英雄魔導師の魔侯爵レオニクと利害の一致から契約婚約をすることに! ところが、婚約直後に彼が聖女の花婿候補だったことが判明してーー!?
訳あり魔侯爵と秘薬師令嬢の契約婚約ラブコメディ!!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ダレルの部屋の扉をノックすると、中から「どうぞ」と声が響いてきた。いつもより声が低い気がしたが、トリシャがそれに気づいたのは扉を開けて入室した後だった。

「失礼しまー……す……」

 執務机で気だるげに頬杖をついている男性と目が合う。
 質のよい絹の三つ揃いに宮廷魔導師の証である青藍色の片外套を羽織っているが、見慣れた黒髪の男性ではなかった。
 輝くような銀髪の美丈夫だ。猫っ毛のように緩く跳ねた短髪で、襟足が少し長い。
 こちらに向けられた翡翠色の右眼が、トリシャを認めておっと見開かれる。
 左眼は黒い眼帯に覆われて見えないが、その程度では揺るがないほど顔立ちが際立っている。鼻は彫像のように高く、わずかに口角の上がった薄い唇には高位貴族の気品と余裕がうかがえた。
 彼が何者か王都に知らない者はいない。特異な容姿も国内外に知れ渡っている。

(バラクロフ侯爵レオニク卿……魔侯爵様!)

 グリシュタリアの筆頭魔導師であり、二大魔導師系侯爵、通称〝魔侯爵〟家の一つバラクロフ家の現当主だ。大陸魔導士連盟から《銀の神鯨》の称号を与えられた大陸屈指の実力者でもある。年齢は、確か二十六歳。

「やあ、いらっしゃい」

 レオニクが気さくに言って、頬杖にしていない方の手を軽く持ち上げてみせる。
 極めて友好的な態度だったが、トリシャはそれどころではなかった。

「ままま間違えましたっ、すみません失礼します!」
「あっ、待って――」

 トリシャはすぐさま回れ右をした。動揺で顔が熱く、心臓が早鐘を打つ。

(魔侯爵様の部屋に入っちゃうなんて! もう、なんで間違えちゃったんだろう!)

 最近ずっと忙しかったから、疲れ目で扉を数え間違えてしまったのだろうか。よりにもよって、こんな大物の執務室に入ってしまうなんてツイていない。
 なんといっても大元災の英雄だ。
 大元災とは精霊による災害で、特定の属性精霊が密集することによって起きる自然現象だ。三年前、グリシュタリアと隣国ギルラントをまたぐ地域で火精霊が暴走し、炎の巨人と化した精霊群が多くの自然と集落を破壊した。
 鎮圧のため両国から魔導師団が送り込まれたものの、炎の巨人の進軍を止めることは叶わなかった――レオニク・バラクロフが参戦するまでは。
 彼は魔導師団より遅れて現地入りするなり、強大な魔法を操って炎の巨人たちを次々と消滅させていったという。そうして一躍、彼はその名を国内外に轟かせるに至った。
 国民的英雄として人気者になったレオニクは、多くの大衆小説の題材にもされた。トリシャもそれらを好んで読んでおり、特に『銀の英雄物語』の愛読者だった。

(愛読者心得その一『登場人物様になれなれしく声をかけてはいけない』!)

 脳内で自作の鉄則を叫びながら、開け放したままの扉を大急ぎでくぐる――つもりが、トリシャは扉に顔面からぶつかってしまった。扉が自重で閉まりかけていたのだ。
 いたっ、と声を漏らしてよろめいた拍子に、今度は腕に抱えていたバスケットの口が開いた。中から小瓶が二本ほど飛び出していく。

「わあっ!」

 トリシャは思い切り体勢を崩しながら腕を伸ばしたが、小瓶には届かない。
 落ちる。そう思ったそのとき、小瓶が虚空で半透明な何かに受け止められた。
 円盤形の体に、薄いリボンのような短い触手。
 クラゲによく似た存在が、小瓶の落下を阻止して空中にとどめていた。もう一つの小瓶も同様に謎のクラゲに支えられ、虚空にぷかぷかと浮かんでいる。見たところ、クラゲは水でできているようだった。

(これは……水の精霊魔法?)

 現状が理解しきれず目をぱちくりさせていると、耳元でふうと吐息が漏れた。

「危なかった。大丈夫?」

 低く穏やかな声音の近さに嫌な予感をおぼえた。
 首をひねって視線を上げると、長身のトリシャよりもずっと高い位置におそろしく端正な男性の顔が出現している。

「……っ!」

 さらに言えば、さきほどからトリシャの背中を受け止めてくれているのは彼の胸板で、腰を支えてくれているのは彼の腕だった。
 秘薬の瓶は魔法のクラゲで受け止め、トリシャ本体の方は魔法で着衣が濡れないよう、みずから駆けつけて抱き留めてくれたようだ。ふわりと漂ってきたムスクとシトラスの薫香に、顔面の温度が急上昇する。

「しっ、失礼しましたっ!」

 トリシャははじけ飛ぶ勢いでレオニクから身を離し、深々と頭を下げた。
 愛読者が推し作品の主人公様に触れていいはずがない。ほとんど前屈運動のように体を折り曲げて謝罪の意をあらわすと、頭の上からくすくすと笑い声が降ってきた。

「ごめんごめん。驚かせてすまなかったね。部屋なら間違えてないよ」

 優しげな声音に、おそるおそる顔を上げる。
 ちょうど水のクラゲがレオニクの手に秘薬の小瓶を二つ下ろしたところだった。レオニクが小瓶二つを手中に収めると、クラゲは役目を終えてぱちんとはじけて消える。

「ダレルは任務で外していてね。帰城は深夜になりそうだから、グレイソンが納品に来たら代わりに受け取るように頼まれていたんだ」
「そうでしたか……」

 ダレルとレオニクは歳が近く互いに高位貴族、高位魔導師であることもあって友人同士だと噂に聞いている。トリシャは得心と安堵をおぼえ、たたずまいを正した。

「秘薬研のトリシャ・リンスコットと申します。上司の代理で納品にまいりました」
「リンスコット……ああ、君が」

 レオニクはそこで言葉を切った。みなまで言わずとも「君が」の後に何が続くのか想像できてしまい、トリシャは複雑な気持ちになる。

(『君が例の廃人か』と続くんでしょうね、きっと)

 自分が陰でなんと噂されているか知っている。
 いわく、秘薬研の一室に地縛霊のごとく住みつき、日夜不気味な笑みを浮かべて秘薬釜を掻き回している秘薬師系子爵家の令嬢。自分の体を新しい秘薬の実験台にすることもいとわず、そのため定期的に過剰摂取や副作用で倒れている、真性の仕事中毒者。
 ついたあだ名は『秘薬研の廃人』。

(ちゃんと毎晩おうちに帰っているし、笑いながら釜を掻き回してもいないのに。自分を実験台にすることは……たまにあるけど、過剰摂取はしてないしっ)

 悲しい気持ちをこらえて、トリシャはバスケットを机に置いた。

「整魂薬二十本です。ご確認いただけましたら、書類に受領の署名をお願いします」

 事務的に告げて懐から書類を取り出し、レオニクに差し出す。
 整魂薬とは魂濁症の予防薬だ。
 精霊の力を借りて魔法を使う行為には危険がともなう。魔法を使えば使うほど魂が精霊に侵蝕され、そうして一定の基準を超えると、肉体の一部から大部分が精霊の眷属動物こと眷獣のように変質してしまうことがあるのだ。それが魂濁症。
 具体的な症状としては肌や手足が眷獣のそれになる、眷獣の耳や尾が生えるなどだ。一時的とはいえ外見が変化するので、多くの魔導師が魂濁症を毛嫌いしていた。

「一本多いようだけど?」

 レオニクが手中の小瓶とバスケット、書類を見比べる。トリシャはうなずいた。

「ラベルのないものは成分比較用の見本品です。少し古いですが、効能に問題はありません。ご不要でしたら処分してくださって結構です」

 最近、闇市場で横流し品と思われる秘薬が取引されているという噂がある。
 これまでは秘薬研で廃棄処分しているものでも、「処分したふりをして横流ししているのでは?」と疑われるくらいなら必要としている部署に押しつけた方が安心だ。

「ああ、近頃はいろいろあるからね。そういうことならこれはこちらで処理しよう。それと……この飴玉は何? 書類に記載はないけれど」

 大魔導師の指先が、バスケットの中でことさら幅を利かせている大瓶をつつく。

「差し入れみたいなものです。納品が遅れたお詫びになればと思いまして」

 製薬過程で出る薬草の余りを使って作った飴玉だ。薬草自体は秘薬研の薬草園で一年中栽培しているので同じだが、風味付けには季節ごとに違う花や果実を使用している。
 以前ダレルがこれを食べて絶賛してくれたことがあったのでいつか差し入れしようと用意していたのだが、無関係の英雄様にそんなことまで説明する必要はないだろう。

「二時間遅れただけでお詫びか。律儀だねえ」

 レオニクが書類に代理署名をしながら、ちらりと視線を向けてくる。
 何か言いたげな、からかうような眼差しにトリシャは失策を悟る。
 ダレルは先の王位継承戦争の際、公爵家で唯一現国王側についたウェルズリー公爵家の嫡男だ。四男坊とはいえ性格は実直で見目がよく、しかも独身。レオニクほどではないものの女性からの人気は極めて高かった。

「よ、よろしかったら皆様で召し上がってください。魔侯爵様もぜひ!」
「うん、いたただくよ。ありがとう」

 トリシャは顔が熱くなるのを感じつつ書類を受け取ると、一礼して逃げるように部屋を後にした。いたたまれなさにおのずと速足になってしまう。

(絶対、下心があると思われた……!)

 とはいえ彼は英雄譚の主人公になるような大魔導師だ。自分のような端役以下の地味令嬢の存在などすぐに忘れ去ってくれるだろう。それでいいし、それがいい。

(早く帰ってお仕事しよ……)

 トリシャは自分の頬を打って気持ちを切り換え、逃げるように魔導師棟を後にした。


~~~~~~~~(続きは本編へ)~~~~~~~~