『クランツ竜騎士家の箱入り令嬢 箱から出ても竜に捕まりそうです』を試し読み♪ | 一迅社アイリス編集部

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という編集部ブログ。

こんばんは!

一迅社文庫アイリス6月刊の発売日は、もうすぐ!!
ということで、本日も試し読みを実施いたしますо(ж>▽<)y ☆

試し読み第2弾は……
『クランツ竜騎士家の箱入り令嬢 
箱から出ても竜に捕まりそうです』


紫月 恵里:作 椎名 咲月:絵

★STORY★
竜騎士を輩出する名家に生まれながら、幼い日の事件から高所恐怖症となってしまった伯爵令嬢エステル。大好きな絵を描きながら半ば引きこもり生活を送っていたある日、竜が竜騎士を選ぶ儀式に参加することに…。竜騎士にはなれないかもしれないけれど、憧れの銀竜に会えるかも! できたらその姿を描きたい!!ーーそう思っていただけなのに、次代の長とされる銀竜の番であると突然言われてしまい!?
無自覚竜たらしの令嬢と銀竜のドラゴンラブ!

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 ふいに、頭上に影が差した。おそるおそる見上げると、銀竜の顔が眼前にあった。深みのある藍色の瞳にじっと見据えられ、エステルは静かに息を飲んだ。

(つい、叩いちゃったけれども、これって……かなり怒らせたんじゃ……)

『匂いが強くなった? ――この匂いは……ミュゲ? お前、まさか……。おい、手を出せ』

 エステルが恐れおののいているのもそっちのけで、なぜか愕然としたような様子の銀竜がエステルの腕を鼻先で押して促してきた。

「え? 手、ですか」

 思わぬ指示にわけもわからず、とっさに怪我をした右手を差し出すと、銀竜は鼻先を寄せてきた。

「ひっ、えっ、何しているんですか!? どうして嗅ぐんですか!?」

 驚きのあまり手を引っ込め、スケッチブックの残骸とともに抱き込む。そうして銀竜を睨み据えると、銀竜は不可解そうに呟きだした。

『どういうことだ? なぜ人間からミュゲに似た香りがする。そんなことが本当にあるのか?』

 信じられない、と続けた銀竜に、話が見えないエステルは、とりあえず自分の手の平を嗅いでみた。

(香り? 血の匂いしかしないけれども……。そういえばさっきも甘い匂いがするとかなんとか言っていたような)

 竜は嗅覚が鋭いので、香水などはつけていない。だが、もしかすると服や髪を洗った時の洗料の香りがしみついているのかもしれない。
 ふんふんとエステルが袖を嗅いで確かめていると、銀の竜がすっと身を引いた。そうかと思うと、苛立ったように太い尾をだん、と地面に強く打ち付けた。

『何かの間違いだ。そうだ、人間がそうであるわけがない。認められるものか』

 自分自身に何かを言い聞かせるように言い切った銀竜は、氷の被膜のような翼を音もなく広げた。風圧に、拾い損ねた紙がひらりと飛ばされる。

(うわっ、冷たい……。え、氷? 雪?)

 頬に吹きつけてきた冷風に、細かな氷の粒のようなものが混じっているのに気づいて、驚愕した。
 風にはためく脛丈のスカートの裾や乱れる髪を片手で押さえたエステルが、凍りそうな冷気に小刻みに震えた時だった。

「ほらほらジーク様、力を収められてください。か弱い人の娘が凍死してしまうかと。面倒ごとはお嫌いでしょう」

 聞き覚えのあるおっとりとした声がしたかと思うと、後ろからやってきた人物がエステルと銀竜の間に割って入るように立ちはだかってくれた。

「クリストフェル様!」

 世話役の黒髪の青年竜にエステルが安堵の声を上げると、振り返ったクリストフェルは少しだけ困ったように眉を下げて片眼鏡を押し上げた。

「貴女が『銀の竜』を気にされていたようですので、逆にこの時間にこの方が長の様子見に塔にいらっしゃる予定だと教えない方がいいと思っていましたが……。まさか突撃するとは思いもしませんでしたよ。注意をしておくべきでしたね。完全に私の落ち度です」
「……すみません。憧れていた銀の竜が空を飛んできたので、つい追いかけてしまいました」

 身を縮めて謝ると、ふと氷の粒交じりの風が止んでいることに気づいた。クリストフェルの向こうに銀竜の巨体は見えず、代わりにそこに立っていたのは銀の竜の鱗と同じ銀色の髪をした、二十代半ばほどの青年だった。襟足から覗く右の首筋には波のようにも見える銀の鱗がいくつか浮かんでいる。

(あの方は……銀の竜が人になった姿なの?)

 不機嫌そうにこちらを見据えている深い藍色の竜の瞳は、明らかにあの銀竜と同じ色だ。
 竜が人の姿になると誰もが人よりも格段に見目麗しい姿となるが、セバスティアンが手を差し伸べたくなるような印象を与えるとすれば、銀の竜は背筋を伸ばしてひれ伏したくなるような、冴え冴えとした冬の月を彷彿させる冷たい美しさを湛えていた。
 顰められた眉も、すっと通った鼻梁も、固く引き結ばれた唇も、何もかもがエステルが今までに見た誰よりも完璧な造形美で、身に纏った白を基調とした見事な刺繍のサーコートはその怜悧な雰囲気をより近寄りがたく神聖なものにしていた。
 今すぐにでも絵を描きたくなってしまう衝動に駆られたが、ぐっと抑えるようにスケッチブックを握りしめる。そんなエステルから目を逸らした銀竜が、眉間に寄った皺を緩めることなく口を開いた。

「クリス。世話役なら人の管理を怠るな。立ち入りを禁じている場所くらいは教えておけ」

 地の底を這うかのような声でクリストフェルに向けてそう言い放った銀竜は、すぐさま踵を返して塔の方へと去りかけた。その背に、慌てて声をかける。

「叩いてしまって、申し訳ございませんでした!」

 初めに銀竜を怒らせたのは自分だ。スケッチブックの件は許せないとはいえ、突然描かせてほしいなど、かなり失礼だ。
 頭を下げて謝罪を述べても、銀竜の足音は止まることなく、さっさとその場から立ち去ってしまった。
 銀竜の姿が見えなくなると、エステルは大きく嘆息し、再び肩を落とした。

「……また失敗した……」

 絵と竜のことになると、周囲がよく見えなくなるのはどうにかしないと駄目だ。不快にさせてしまうばかりか、追い出されてしまうかもしれない。
 ふと同じように銀竜を見送っていたクリストフェルが、わずかに驚いたような声を上げた。

「貴女はあの方を叩いたのですか?」
「ええと、その……はい」

 クリストフェルが銀竜が去っていった方向と冷や汗をかくエステルを信じられないものを見るように交互に見た。

「貴女はあの方を叩いたというのに、よく【庭】の外に放り出されませんでしたね」

 心底不思議そうなクリストフェルの様子に、銀竜を叩いてしまったことへの怒りは全くないことを感じ取り、エステルはほっと胸を撫で下ろした。

「やっぱり失礼を働いた竜騎士候補を捨てに行ったというのは、本当の話なんですね……。わたしもどうして無事だったのか、わかりません。どうしてなんでしょうか?」

 竜は誇り高い生き物だ。人間ごときに叩かれたら、それは気分が悪いだろうに。
 尋ねるようにクリストフェルを見ると、竜の青年は考えるように自分の顎に手を当てた。その爪は黒く鋭い。うっすらと指に浮かぶ細かな黒っぽい鱗に、クリストフェルは黒竜なのだと気づいて思わず魅入りそうになったエステルだったが、慌てて居住まいを正す。

「そうですね……。そもそも、あの方は人に興味を抱かれていません。顔を合わせても、一切相手にはなさらない。あの方は膨大な力を持ちながら、それを操ることに長けていらっしゃいます。ですから、ご自分の力を人に分け与えることに意味を見出していない。人への興味が薄れるのは当然でしょう」

 竜は人へ力を分け与えることで力を操りやすくしている。それが必要ないとなると、虚弱な人間の存在などなきに等しいのだろう。

(そんなにすごい竜なの? あの銀の竜はどういった……。ん?)

 クリストフェルの言葉に、エステルはふとあることを思い出して、首を傾げた。

「あの、でも先ほどの風には氷のようなものが混じっていたのですが……。操ることに長けている方が、あんな風に力を溢れさせることがあるんですか?」
「よほど動揺したかお怒りになられたとすれば、ありますが……。貴女が叩いたということは、会話をなさったのですよね。どんなことを話されましたか?」

 エステルは破れたスケッチブックを抱えて、あの時の会話を思い出すように宙を見据えた。

「そういえば……話ではありませんけれども、わたしの香りにやけに驚いていました。なぜ人間からミュゲの香りがするのか、何かの間違いだ。認められるわけがない、と口にされていて」

 手の平に負った傷をクリストフェルに見せると、黒竜はぴくりと片眉を上げ、なぜか真顔になって黙り込んでしまった。知的で穏やかな印象を受けるクリストフェルだが、そういう顔はやはり竜だ。どことなく畏怖を覚える。

(何か問題があるのかしら……。ちょっと嫌な予感がする)

 戦々恐々として、エステルが言葉を待っていると、クリストフェルはしばらくしてどういうわけか、さも嬉しそうににっこりと笑った。

「――おやまあ、それはそれは……可哀そうに。人の身にはなおのこと大変でしょう」
「え……?」
「あの方は難儀な方ですが、慣れればそれほど恐れることはありません。長年配下を務めている私が保証します。ともかく気を強く持って頑張ってください」

 何を頑張るというのだろう。わけがわからない。そもそも可哀そうと口にするのに、表情は晴れやかだ。
 エステルが戸惑ったまま、何も言えないでいると、クリストフェルはさらに笑みを深めた。

「ええ、ご心配なさらずとも、大丈夫です。貴女なら何をしたとしても、彼の竜騎士候補のように自国へ捨てられに行かれることも、その場で災害級の猛吹雪を起こされることも、竜の怒りを買ったとして、この先百年間はその国の民の【庭】への出入りを禁止されることもありませんから」

 エステルは息を飲んで、総毛立った。

(【庭】への出入り禁止……。それって国が滅亡に向かって進む過程の第一歩じゃ……)

 竜の怒りは自然の怒りそのもの。竜の恩恵を貰えないとすると、他国との付き合いもほぼ断絶される。どの国も、竜の怒りを受けた国とは付き合いたくはない。結果、滅びるであろう未来が見える。

(そういえば、二つ向こうの国――シェルバが危ない、って、肖像画を描かせてもらった人の誰かが言っていたような……)

 血の気が引いたまま、エステルはスケッチブックを握りしめた。

「あの銀の竜はどういった方なんですか?」

 たった一匹の竜の怒りだけで、【庭】への出入りを禁じるとは思えない。さすがにそこまで竜たちは狭量ではないはずだ。
 クリストフェルはちらりと銀竜が去った方に目をやり、どこか誇らしげに微笑んだまま口を開いた。

「彼の方の御名はジークヴァルド。この世の全ての竜を束ねる竜の長の、次期を担う方です」

 想像していたよりも、大物だった。あんぐりと開けた口を、片手で覆う。
 そんなに上位の竜なら、本竜でなくとも周囲が怒って出入りを禁ずるのも当然のことだろう。

(竜の長の次期の方って……。ほぼ頂点の方じゃないの――っ。そんな方を叩いたわたしって……)

 今日で命が終わるかもしれない。短い人生だった。だが死ぬ前に銀竜に会えたのは人生最良の日だと言ってもいいだろう。
 残り少ない時間で何をしよう、と鬱々と考えていたエステルの耳に、遠くから自分を探して呼ぶユリウスの声が届き、ほっとするどころか弟の怒りを想像して逆に青ざめた。


~~~~~~~~~(続きは本編へ)~~~~~~~~~~