7月最後の日曜日、私は半日仕事をしてきました。

介護の現場は、いつまでたっても人が足りず・・・です。だから、なるべくみんなが休みがちな日曜に出勤します。

やはり、働く条件が悪いです。せめて看護師レベルの給与がもらえるように介護職が社会的に見直されて欲しいです。理由はなんにせよ、働き手の確保は今より良いはず!!


さて、今日は主人が海に行くから車を使うというので、仕方なくチャリンコで職場までいきました。狭山はなだらかな坂ばかりなので、行きは楽な分、帰りはシンドイです。

自分でいうのも変ですが、仲の宜しくない夫婦で、私を家政婦のように扱う悔しさが溜まるに連れて態度の冷たさや意地悪さが増してくる私ですべーっだ!

「きっと、日曜日は局地的な大雨で、特に湘南エリアは最悪だよ」なんて言っていたら、きょうは午後本当に雷と大雨雷おお、すごいビックリマークやはり、日ごろのおこないですよ。


そとは今もザーザーです。でも、私の心は晴れ晴れ晴れです。

家の湿度計はいつ見ても60%ですあせる

掛け時計時計に温度計と湿度計が付いていて、前にこの掛け時計を落としてしまいガラスが割れてしまったので、針に触ることが出来ます。いつも60%も怪しく思い針を0迄動かしてみると、元の60%を指すので、少し信じました。(疑い深い私)

高温多湿の日本の夏ですが、夏生まれの私は夏が大好きです。


介護の現場は、動き回るし、力を使うので冷房が入っていても汗が滲みます。


どんな生き物も、生まれ、成長し、老化、死亡、の経過を辿り、人間も同じです。

介護は、一般に老化の終焉期あたりです。

個人差はありますが心身の衰えを抱きながら、先ずは自力で、生活の実現に足りない部分を介助を受けることができる。

認知機能も当然衰えて自然なことだと思います。例外もありますが出来ていた事が出来なくなることは悲しいけど通るみちです。

なのに、わざわざ認知症という病名のラベルが作られ、年相応の認知症と病的認知症の曖昧な線引きに揺さぶられ、結果施設で暮らす利用者さんは、たとえば、車いすから立ち上がることも許されるべき行為とみなされない、自由を奪われた生活を命尽きるまで強いられるのです。今自分が働いているところはそんな牢獄のような場所です。

「うちに帰りたい」と聞くと、そっと逃がしてあげたくなります。

自宅での生活がどんなに乱れようとも、やはり家で、残された機能で自活する老後を送りたいと思いました。




今週は火曜日のピアノ音譜レッスン、水曜日のコーラスニコニコ、木曜日はsop.のみのボイトレワンピース、昨日は別のコーラス音譜と、4日連続で音楽に親しむことができました。

普段、就寝が10時台なのに、水曜からは約3時間しか寝れないにも係らず、眠さも感じないのは好きなことだからに限るのでしょう!!


特に、木曜日のボイトレはかなりexciteingでしたドキドキ


ソプラノの先生ですが、身体中に声が響き、清らかで、甘く、女神様のような歌唱にうっとりアップ


とてもfliendlyで、分りやすく説明して頂き、自分の中で具体的な歌唱の目指すところが見いだすことが出来たのは何より嬉しいです。


コーラスは音取りの正確性も大切です。気が付くと音を取れただけで満足しがちな私でした。でも、それを基盤にどう発展させるかがコーラスの面白いところであり、取り組み方で結果が変わります。


コーラスは、心、身体、声の絶妙なバランスが大切なのだと思います音譜