第7章 韓国ドラマ映画 
213. 愛と、利と사랑의 이해❸完結編
 
 
 
表記ドラマ無事全話視聴終了しましたが、視聴完了感想としてはあんまりこんな事を言ってしまうと身も蓋も有りませんが、「ドラマを観た時間を返してくれ」と言う『プチ文句』です。
 

 

このドラマ、1話から16話まで終始スローペースでの「オバケが出そうで出ない」ズルい演出と進行で私もイライラさせられましたが、特に最終15話、16話は要らないんじゃ無い?と思う程ダラダラで、その回にそれぞれ1時間20分、1時間26分も使うなんて時間のムダ遣い以外の何物でも有りません。
勿論、好みの別れるドラマなので、多少この様な進行は折り込み済みでしたが、予想を超える「ダラダラさ」でした。

 

 

そして制作意図で『恋愛痴情ノアール』と有ったのでもう少しドロドロとした「ドロ沼」を予想(期待じゃ有りませんよ!誤解無く:笑)しましたが、人間同士のソレはさして描かれる事無く、哲学的な含蓄(がんちく)を我々に与えるのみで曖昧に遠く遥かに消えて行きました。
韓国ドラマらしい予定調和のみ残して。

 

 

何故その様な不満を述べたかと言うと、ドラマはその時々、途中途中で確信犯的な「釣り:伏線」を投げてははぐらかし、重要な部分を隠したり省いたり、視聴者を煙に巻いて引っ張って引きずり回したからです。
何話目だったか後ほど確認しますが、ハ・サンスミギョンと結婚して暮らす未来の様な映像を冒頭に挟んだり(第9話)、アン・スヨンと密会して愛を貪(むさぼ)り合う激しい場面を挿入する(第10話)などして、視聴者の刺激をコレでもか!と煽りました。

 

 

まるで、サンスミギョンが結婚し、アン・スヨンと不倫をせざるを得ない状況に陥っている未来を想像させるかの様に。
 
しかし、ドラマの進行はその様な流れにはならず、延々とサンスアン・スヨン2人の曖昧な関係の描写に終始しました。
上記のミギョンとの結婚も無く、勿論主演2人の密会も無く。

 

 

ドラマ鑑賞のポイントは何点か有ると思われ、箇条書きにすると
❶サンスは何故ホテルの待ち合わせの時、会場の手前で一瞬逃げたか?
❷アン・スヨンは何故念願の総合職に抜擢されたにも関わらず銀行を突如退職してしまったか?
❸統営トンヨンまで追って来たサンスを、何故アン・スヨンは無視して連絡しなかったか?
に集約出来るでしょう。

 

 

❶と❸は容易に理解可能です。
 
まず❶は階級間の悩みです。
現実的にはドラマの様に待ち合わせに遅れて行く途中、待ち合わせ場所の手前で一瞬引き返すなど有り得ない事ですが、心理自体、「階級間の悩み」はその後のサンスの言葉を借りるまでも無く理解可能です。
 
この点は以前のスプーン階級論を参照して下さい。
スプーン階級論の記事はコチラ
❸も❷を考える時に理解可能で、どうしても一歩踏み込めなかったと言う理由でしょう。
 
1番のドラマ鑑賞ポイントは❷のアン・スヨンの不可解な行動です。
就職難に喘(あえ)ぐ現代韓国で彼女の様な無謀な行動は120%有り得ないと考えて良いでしょう。
それは日本でも同様です。
この様な有り得ない描写をドラマが描いた理由を読み解く事がこのドラマの1番の鑑賞ポイントだと思えますが、状況と登場人物の断片的な言動から拾うしか有りません。
 

 

簡単に述べるとキリスト教的な『原罪意識』だと思われますが、彼女の生い立ち、ジョンヒョンミギョンへの罪の意識、理想主義で完璧主義な彼女の性格、そしてコチラも上記の階級間の悩みなどが複合的に表出したのだろうと想像するしか有りません。

 

 

このドラマは男女の意識のスレ違い、階級間の感覚のズレなどを描きたかったのだろうとは思いますが、愛に於ける「利害」と「理解」を描く、つまり『それぞれ違う利害を持つ人たちがお互いに出会い、真の「愛」の意味を理解するようになる物語を描いたメロドラマ』だとする制作意図(つまりは原作小説)の触れ込みに比べては少々描写足らずだと感じました。
ただ単に男女・階級間のズレを描きたかっただけじゃ無いの?と。
何の解消もされません。
階級・男女など「利害」違いの者同士の「理解」とは「諦め」
特に15話、16話は余計にそう思いました。

 

<原作小説>

 

そして、4年間音信不通で2人ともソロで居たなんてウソっぽく、まさに「純愛ドラマ」です。
古いですがNHK往年のスレ違いドラマ『君の名は?』を観てる様です(笑)。
特にサンスの容姿と属性で有ればサッサと良い人と巡り会い片付いて居る筈。
ココがやはり韓ドラっぽい終わり方。

 

 

そこには大いにワケが有ります。
野暮を承知で述べるなら、韓国ドラマファン(視聴者)は基本ハッピーエンドが好き、サッドエンドをとっても嫌います。
昨年人気を博した青春ドラマ『二十五、二十一』でも不自然なサッドエンドに視聴者は非難轟々で、テレビ局・制作陣に抗議が殺到しました。
実際、私もドラマの進行に憤慨したので上記ドラマのレビュー記事❷を書きませんでしたが、主人公2人が別れる設定に必然性が無く、キム・テリ演じるドラマ主人公が別れを告げる感情が理解不能でした。
待つのがイヤだからと、待たせる立場の人間が別れを告げてサッサと結婚するとは、可能性ゼロとは言いませんが、蓋然性に乏しいです。

 

 

まるでドラマは「ヒリヒリする痛い青春」と言うドラマ制作意図を貫徹したいが為、無理矢理に別れを創出したかの様に別れが不自然で、全く共感出来ませんでした。
『二十五、二十一』のドラマレビュー記事では有りませんのでコレ位にしますが、今回のドラマもこの様な視聴者の反応を警戒して曖昧なハッピーエンド(風)にしたのでは?と推測してしまいます。
激しい展開を想像させて、統営トンヨンの海の凪の様な静かな終わり方。
多少の不満は有れど、余韻を残す「ハッピーエンドもどき」なエンディングに大きな不満は残りません。

 

 

それにしても主演4人それぞれ魅力的でした。
特にサンス役のユ・ヨンソクの多様な表情の演技。
そしてその美貌を時々刻々変化させたアン・スヨンを演じたムン・ガヨンの姿。
『女神降臨』ムン・ガヨンの魅力を発見しましたが、彼女がこれ程までに美しく輝いて居る事に驚きの念を禁じ得ませんでした。
心の底から滲み出る高貴さを感じます。
主演2人の絡みを見るだけで心が洗われました。

 

 

韓国での視聴率は最終話、ドラマの最高視聴率で有る4.414%で終えて居ます。
どちらかと言うと目立たない、地味なドラマですから瞬発的な視聴率は望めませんが、ジワジワと時が経つにつれ名作と評価される可能性が有ります。
ご覧になった方も今からご覧になる方も、それらを勘案して頂けると幸いです。
少々文句が過ぎましたが、コレもドラマへの愛情表現だとご理解下さい。
 
これにて『愛と、利と사랑의 이해』レビュー、一件落着です。
 
レビュー記事❶からご覧になる方はコチラ