第7章 韓国ドラマ映画 
184.  ウヨンウ弁護士は天才肌❷이상한 변호사 우영우 第9話感想
 
 
 
 
 
本日は私のレビュー記事には珍しく、第9話のみの感想とさせて頂きます。
 
本ドラマ、とうとう韓国では視聴率が9話で全国15.78% 、首都圏18.078%を記録、10話では少々下がりましたが、同15.157% 、同17.17%を記録して居ます。
今年を代表するドラマになる事間違い有りません。

 

 

私も楽しみにして、毎回楽しく視聴して居ますが、第9話に関しては異議有りで、違和感有り有りでした。
 
今、ノリに乗ってる「カメレオン俳優」ク・ギョファンをゲストに、「子ども解放軍司令官」なる「パン・グポン(オナラ・ブー)」なる者が犯した未成年掠取と言う罪に対する弁護事件でした。
 

題名から見ると、1284年に実際に起きた事件で、グリム童話にも収録された『ハーメルンの笛吹き男』がモチーフの様です。

 

 

私は冒頭、5分観た瞬間結末が見えました。
韓国で加熱化して居る課外教育熱に対し、一石を投じたいと言うドラマ製作陣の意図は買います。
しかし、ク・ギョファンが何故「今回」この様な行動を起こしたのか、蓋然性が無いのが一番の問題です。
彼は「子どもたちは遊ぶべき」と言う確固とした 『哲学』を持って居ます。
しかし、ソウル大学を卒業した彼がどの様にこの様な『信念』にも似た『哲学』を持つ様になったのか、ドラマ製作用に人物像を設定したのでしょうが、彼が元々信念と哲学を持って居たのなら、それ以前にもっと近い行動をして、マークされていた筈です。

また、今後も同じ行動を取る事でしょう。

一過性の犯罪では終わらない筈です。

 

 

逆に、咄嗟にその様な行動をしようと思い付き、突発的な行動を起こした方が自然では無いでしょうか?
全ては描けないと思いますが、ソウル大学を出て精神を病み無職になってしまった彼の人生を、簡単にでも視聴者に伝えてくれないと、彼の行動に共感出来ません。
そう言う意味で、キャラクター設定の甘い、薄っぺらいドラマ回だと思ったワケです。
 
ク・ギョファンを性格障がいの様に描いた事にも、主人公に合わせようとする「あざとさ」を感じたのは私だけでしょうか?

 

 

結末は描かれませんでした。
想像にお任せする、そう言う所はイキです。
しかし、感動の押し売り的な部分がアリアリと見えます。
私が5分観て想像した結末通りでした。
 
野暮を承知で言うなら、彼は子どもたちの弁護により減刑され、軽い処分となった事でしょう。
とは言え、確固たる『信念』『哲学』を持った彼の事です。また似た同じ様な行動(犯罪)を起こし収監され、重い刑を受ける事でしょう。
そこまで考えると今回の裁判が彼に取って必ずしも有意義で有るか不明です。

 

韓国ネチズンの間では子ども誘拐事件を扱うべきでは無いとの意見も出ました。

どうあれ子どもたちだってイヤイヤ塾に通う子どもたちだけでは無い筈で、みんながバスを降りず彼に従ったと言う設定で進んでるので、ドラマの進行方向に向けて居るのでしょうが、子どもたちをステレオタイプに描くことにも反対です。

 

勿論、ドラマに出る塾の方針は過激で、実際にここまで非人道的で極端な教育を行う課外塾が有るのか、我々が知るに及びませんが、仮にその様な異様な塾だからこそこの様な子どもたちの行動になるんだとばかり、その特殊さに全ての責任を負わせて居る感も否めません。

 

 

皆が塾にイヤイヤ通っているとは思いません。
以前のドラマ『国家代表ワイフ』でも描かれましたが、自分の意志で、将来のため頑張ってる子どもだって居るのです。
この様に、韓国の教育熱、非人道的な塾通いの現実に一石を投じたい意志は買いますが、少なからず 「予定調和」の薄っぺらい回になった事が残念です。
 
最後にウ・ヨンウに告白するイ・ジュノを演じるカン・テオの爽やかで自然な演技にほのぼのしました。
 

 

実際、障がいの有る人との恋愛には並々ならぬ覚悟が必要ですし、悩みも多いでしょう。
しかし彼の、悩みを抱えつつも困難と立ち向かう覚悟が出来た、切なく清々しい演技に心洗われました。
パク・ウンビンもそうですが、お似合いの2人の関係性にニンマリしてしまいます。
 
10話も障がい者がテーマになった重苦しい回です。
しっかり観たいと思います。