<ドラマ アメンオサ>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
246. 朝鮮の刑罰❷朝鮮王朝時代
 
 
 
 
 
前回、高麗時代までの刑罰を見ました。
記事はコチラ

 

今回は朝鮮王朝時代の刑罰について述べます。
 
朝鮮時代は中国・明の『明律』を採用して普通刑法として適用しました。
その上で朝鮮固有の刑法と刑罰が優先的に施行されました。
現代で一般法と特別法が存在し、特別法が一般法に優先されるのと同じで、一般法が明律、特別法が朝鮮固有の刑法だと言えるでしょう。
 
 
基本的に高麗時代の五刑を基本としてそれに朝鮮王朝独自の刑罰を追加したと言えます。
 
再度述べますが、五刑とは
 
笞刑(ちけい・むち打ち)
杖刑(じょうけい・つえ打ち)
徒刑(ずけい・強制労働)
流刑(るけい・島流し)
死刑(しけい・死刑)
 
を指します。
 
 
1. 明律の五刑以外の付加刑(宗刑ともいう)
 
①ルンジチョサ凌遲處死:罪人が生きている状態で四肢を一つずつ斬り、最後に首を斬って六つに分けて殺す最も残忍な刑罰です。
反逆罪をはじめ、盗賊・闘殺などにその例が見られました。
 
② チョンサ遷徙:流2,000里・流2,500里・流3,000里に流1,000里のタイプが追加されました。
 
③ ピョンウォンチュングン邊遠充軍:一般に杖刑に添加される付加型です。
杖刑を執行した後、遠くの地方にに送り、軍役に従事させる刑です。
 
④チャジャ刺字:高麗の黥面刑と同じで、入れ墨をする刑罰です。
 
<ドラマ チュノ>
 
⑤パジク罷職・パヨク罷役:官吏が不法行為を犯した時に、その官職を削奪する付加刑です。
 
⑥リイ離異:離異帰宗と言って、男女の縁を切って強制離婚させる事を言います。
 
⑦財産斷付:犯罪人の財産の全部又は一部を強制的に奪い、被害者又は被害者の家族に給付する財産的な給付刑です。
 
 
2.朝鮮固有の罰
 
(1)死刑の特例
 
朝鮮時代には明律を刑法として適用しながらも明律の刑罰に満足せず、明律の刑罰を加重したり変容したり、明率以外の刑罰を創設し朝鮮特有の各種刑罰を執行しました。
 
① テシ待時とプデシ不待時:我が国では基本的に24節気の「春分」の後には刑罰を停止し、「秋分」後に再開する事になっていました。
つまり死刑の執行は「秋分」後、「春分」前に執行する事が原則でした。
 
しかし、凶悪犯については除外しました。
つまり死刑判決を受けても秋分が来るまで待って執行する事をテシ待時と言い、秋分を待たずにいつでも死刑を執行する事をプデシ不待時と呼びました。
 
 
② コヨル車裂・キシ棄尸:車や牛馬で四肢を引き裂く死刑です。
死体をコヨル車裂する事でルンジ凌遲よりも惨めなのでルンジ凌遲に代わって頻繁に行われました。
1456年(世祖2)6月に朴彭年、柳誠源など死六臣を処刑する際に行われて居ます。
 
 
③ササ(賜死):史劇に良く出ますが、このブログの記事でも良く読まれて居ます。
 
ササ賜死の記事はコチラ
 
罪人に毒薬を下賜して強制的に飲ませる事で命を絶たせる死刑の一種で、日本の武士の切腹と似て居ます。
毒薬を死薬といい、死薬による死刑は王族または名誉ある高官を極刑に処せず、その名誉を尊重し、王に直接薬を下して自殺させる物です。
端宗の毒殺をはじめ、趙光祖、宋時烈、金壽恒など多くの人材が賜薬で犠牲になりました。
 
 
④ペンヒョン烹刑:烹阿之刑・煮刑などとも呼びましたが、鍋に入れて煮て殺す刑罰です。
日本では釜茹での刑と呼ばれ、大泥棒石川五右衛門で有名です。
我が国では古代から朝鮮王朝時代に至るまで施行した事は有りませんが、形式的に儀式として処された例は伝えられて居ます。
 
 
つまり、貪官汚吏を逮捕した場合、ソウル鍾路の前に大きな鍋を掛けて罪人を引っ張って鍋の中に投げ込んだ後、火を止めました。
儀式を終了し罪人を家族に引き渡しますが、家族は罪人が処刑されたとみなして形式的な葬儀を行い、罪人は死者として扱われ隠遁生活をしなければなりませんでした。
 
 
(2)流刑の特例
 
①流刑:国土の広い中国と違う我が国に合わせ各流配の距離に該当する流配所の位置を具体化しました。
京城・京畿道の流3,000里は慶尚道・全羅道・平安道・咸鏡道各道内の30里外の海に近い邑を、
流2,500里は上各道内にある25里外の各邑を、
流2,000は上各度内の20里外にある各邑を法で決め、流刑所を確定しました。
 
②プチョ付處:流刑先のの近くに家族と一緒に滞在する事を命じる物で、官人階級の軽い犯罪に対する流刑の一種でした。
 
<映画 チャサンオボ>
 
③安置:流3千里以上のの執行を意味し、王族や高位官員へのもてなしとして流刑に代えて安置を命じた物です。
獄吏の監視の元、幽居(幽閉)を強要されました。
高級官吏のみの特例で、当然下級管理や庶民は対象から除外さます。
 
<ドラマ アメンオサ>
 
安置は妻妾や未婚の子供と同居する事が出来、親と既婚の子供の往来の再会が許されました。
 
④定属・充軍:定属とは流配地の官奴婢とする物で流刑の付加刑です。
充軍とは辺鄙な地方に流配して軍役に充当する事を意味し、流刑の付加刑でした。
 
<ドラマ コッパダン>
 
(3)肉刑の特例
 
断筋刑: 単筋刑は踵の腱(アキレス腱)を切る肉刑の一つで、窃盗法を治めるために採択された刑罰です。
断筋刑は中国の律令制度はもちろん明律にもない律外刑でした。
世宗期、1435年から施行されました。
 
 
(4)杖刑の特例
 
① コンヒョン棍刑곤형: コンジャンヒョン棍杖刑とも呼ばれ、棍棒で臀部(尻)と太ももの交互に打つ残忍な刑罰で窃盗犯と軍律犯を治めるのに主に使用されました。
 
<棍杖の種類>
 
コンヒョン棍刑は中国の刑罰でもなく朝鮮時代の歴代実録や『経国大典』をはじめとする歴代法典にも見えない刑罰で、英祖の時に作られた朝鮮時代固有の刑罰と推定されます。
規格は1778年(正祖2)に長さ・幅・厚さの寸法が規定されて居ます。
 
 
②円杖刑:杖の上部が円形になって重いもので、その規格に対して法的記録が有りません。
各官衙で勝手に作って使用した模様です。
つまり、犯罪を治める為には法で定めた杖は余りにも軽いと考え大きく重い杖を考案して円杖と呼んだ物で、朝鮮固有の刑です。
 
<ドラマ アメンオサ>
 
(5)財産刑の特例
 
①チョクモルカサン籍没家産:高麗時代の場合と同様に財産刑的な付加刑で、朝鮮王朝時代には反逆罪人に対して加えました。
財産目的で反逆罪をでっち上げる事も日常茶飯事でした。
 
② パガチョテク破家瀦宅:罪人の家を壊してその家に池を作る物で、三綱五倫を違反した綱常罪人を治めるために加えた刑罰です。
儒教社会で有った朝鮮王朝時代三綱五倫を破った場合、極めて厳しい刑罰を加えました。
この場合、併せて妻子を奴婢にし、財力や権力の有る者も降格させ、守令は免職にし領地を奪うなど厳しい処置が取られました。
 
 
(6)連座刑
 
①謀反大逆の連座:罪人と一定の親族関係にある者に連帯的にその犯罪の刑事責任を問う制度で、明律に規定された謀反・謀叛・大逆の場合が代表的であり、罪人の父子・妻子・祖孫・兄弟姉妹まで連座されました。
また、『続大典』には兵士を動員して反逆を図った首魁の兄弟は死刑に処し、その父親で80歳以下の者は死刑の代わりに定配し、2、3歳の子どもは定配しないように規定して居ます。
前近代の悪法の代表と言える連座刑は1894年に甲午改革の時初めて廃止されました。
 
<ドラマ 緑豆の花>
 
② チョンガサビョン全家徙邊: 全家入居とも呼ばれ、罪人に全家族とともに辺鄙な地方に移して生かす一種の流刑と言えます。
主に未開拓地である咸鏡道など北方地域の開拓のために民を移住させる刑罰です。
朝鮮王朝初期には単純な移住政策の一環でしたが、これが刑罰の性格を持つ様になり、中宗代以降に刑罰として固定されました。
 
③カンウプホ降邑号と連座:県・郡・府・牧などから重大な罪人が出て来たり守令を弑逆したり邑に対して反乱を起こした場合、邑を降等することで邑全体に連帯責任を課す刑罰です。
降等すると10年、元の等級に復帰する事が出来ませんでした。
良く、道の名称が変更されたのはこの様な理由です。
 
 
④禁錮刑:官吏として賄賂を取ったり横領する者に官吏になる道を防ぐ意味で課す刑罰です。
再び官吏として採用しない「永不敍用」と言いました。
一種の名誉刑で、子孫にまで及ぶ連座刑でした。
 
朝鮮王朝時代、拘置所や刑務所内に拘禁して手錠を掛け縄で縛り身体の自由を拘束する刑罰刑具が多く、拷問に掛け自白を強要しました。
 
 
特に時代劇に見る様に朝鮮王朝時代様々な拷問が掛けられましたが、時期を見てまた述べたいと思います。
 
以上の様に朝鮮王朝時代の刑罰は非常に過酷で人々の怨恨を買いました。
開花期に外国人もその残忍さを訴えて居た程です。
 
 
先にも述べた通り1894年甲午改革により近代刑罰が整備され始め、その後死刑・懲役・禁錮・資格喪失・資格停止・罰金・拘留・課金・没収の9種となって行きました。
身体の自由を拘束する刑罰や刑具は人権上使用出来なくなって居ます。 
 
  <参考文献>
한국민족문화대백과사전