<ドラマ チャングムの誓い>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮歴史のトリビア>
201.朝鮮の伝統食事習慣
 
 
 
最近の私のブログ執筆トレンドは、朝早く起きてブログ記事を書く事です。
仕事から帰り、食後に資料を見つけて、書く準備はするのですが、10時頃からは眠くなりがちで、史劇ドラマを観ながら半分眠ってる状態なので、「ながら見」しながら記事を書く余裕など有りません。
 
<KBSワールド>
 
ドラマ視聴が終わり、11時半頃からベッドで記事を書こうと気合いは入れる物の、スマホを手にした途端、条件反射の様に眠くなります。
 
この世にスマホ持つ者多々有れど、スマホが睡眠薬になっている人間も私くらいでしょう(笑)。
 
結局、ブログの事が気になり、大体朝5時半位から6時頃には目が覚めます。
そうなると、大事なKBSの朝のニュースの時間なので起きて、追っかけ再生で1.3倍で「ながら見」をします。
何をしながら「ながら見」をするかと言うと、まずは朝食です。
 
 
以前にも書きましたが、息子が懸賞応募で当ててくれた高価なトースターで焼いた食パンにハチミツを塗って、ヨーグルトと牛乳を摂ります。
家内が買い置きしてくれたアンパンなどを一緒に食べる時も有ります。
最近は5枚切り食パンを2枚食べる事が多くなりました。
中々ダイエット出来ません(泣)。
 
朝早いので、朝食はセルフです。
そう、朝食時に家内は起きてはくれません(涙)。
1人寂しくモーニングです。
 
<ソイングク>
 
食事が終わるといよいよブログ執筆です。
朝食終えた後の「ながら見」ブログ執筆が何とも冴える事か(自己満足?)。
おかげ様で夜、家に帰って来て書くより、数倍早く書け、大体仕事に出る頃には完成します。
 
私のどうでも良い前置きがかなり長くなりましたが、今回は朝の風景に因み、朝鮮の伝統的食習慣について調べてみました。
前置きにも増して長文ですが、お付き合い頂ける方、是非お付き合い下さい。
 
 
さて、まずは昔の朝鮮の人々は、1日に何食食べたのでしょうか?
それは、朝食と夕食、基本的に2食でした。
なので、1日の食事を『チョソク朝夕』と呼びました。
 
<朝鮮王室の食事>
 
今でも朝食を「アチム(朝)」夕食を「チョニョク(夕)」と固有語でも呼びますが、お昼ご飯は「ナッ(昼)」とは呼ばず、「チョムシム点心」と漢字語で呼びます。
これは、お昼ご飯を食べる事がかなり稀(まれ)だった事に起因します。
この「チョムシム点心」と言う言葉は、私たちが現在使って居る意味の物では有りません。
 
<ヤムチャ 点心>
 
15世紀の初め、太宗実録を見ると「チョムシム点心」という言葉が初めて出て来ますが、当時「チョムシム点心」は空腹時に気力を補充する為に食べる 「おやつ」レベルの言葉でした。
 
現在でも中華料理で「点心」と言うと、餃子や中華まん、飲茶ヤムチャなど軽いおやつを指しますが、朝鮮でもまさしく同じで、夕食までの途中、空腹な時に少し軽いおやつ代わりに食べる食事を指しました。 
 
<ドラマ 成均館スキャンダルにて>
 
従って、その食事の量は空腹を免れる程度で、かなり少なかったと言え、まさにおやつレベルだったと言えます。
 
「点心」という言葉は、 中国の唐の時代に生まれましたが、本来の意味は「心に火を点ける」程度の食事を意味します。
朝鮮でも、つなぎとして食べる事を『요기ヨギ』と言いますが、まさしくそれに近かったのです。
 
先程も述べた様に今でも中華料理では 
「点心」といえばおやつを意味しており、昔の朝鮮の人々は点心を時間に関係なく、何度も食べたので、「朝点心」、「夕点心」、「昼点心」など、点心を指す言葉が幾つも有りました。
 
<ドラマ 風の絵師>
 
ただし昔の人々が「点心」を食べるのは
結局、朝夕の間の空腹の時間になったので、朝鮮王朝後期に「チョムシム点心」という言葉は次第に「昼飯」と同義語となりました。
 
しかし、1日2食と言う原則も季節によって変わり、通常農作業の有る2月から8月までの7ヶ月の間には、1日に3食を食べて、農作業の無い 9月から翌年、昼が短い冬の間の正月までの5ヶ月間は、1日に2食を食べると言う風に使い分けて居たそうです。
 
朝鮮で食事を如何に重要視したかを表す一例として、「ご飯食べましたか?진지 드셨습니까?」「朝ご飯食べましたか?아침진지(밥) 드셨습니까?」が伝統的な挨拶だった事を挙げる事が出来ます。
 
<一般的な料理膳>
 
  また、朝鮮人の大食いはすでに朝鮮王朝時代に琉球国(現沖縄)まで知られて居る程で、開花期に朝鮮を訪れた多くの西洋人も共通して指摘して居ます。
 
朝鮮王朝時代、経済的に裕福な両班たちは、1日5食を食べました。
これは、以前記事にした朝鮮王朝時代の国王の食生活に似ています。
 
  ↓↓記事はコチラ↓↓↓

 

パターンは国王と似ています。
 
❶まず、5時から6時の朝起きがけにお粥の様な軽い物を摂ります。
❷次に朝10時頃正式な朝ごはんを摂ります。
❸12時から1時の間に麺の様な軽い点心を食べます。
❹午後5時頃、1番豪勢な夕食を摂ります。
❺寝床に付く前、大体10時から11時頃ですが、軽い間食を食べました。
 
<朝鮮王朝時代の庶民の食事>
 
ほぼ4時間から5時間間隔で食事をした訳で、これは大体国王の食生活と似ています。
 
メニューは基本的にご飯とスープが置かれ、肉・魚類・湯(タン:スープとは別物)・チゲ・煎・焼き物・ナムル・キムチなどです。
 
今回はメニューについて詳しく述べる余裕が無いので、メニューについては日を改めて記事にします。
いずれにしろカロリーを考慮しない料理です。
 
 
朝鮮王朝時代、両班の体型と言うと、お腹が異常に出っ張った姿を思い出します。
使用人が全ての仕事をするので運動量も少なく、『君子はなるべく仕事をせず動かない事が美徳』と言う儒教のおかしな常識を忠実に守った輩(やから)だからこそ出来た風体です。
 
この様に5食を摂りはすれど、3食はおやつで、基本的な食事は2食だった事が分かります。
現在でも韓国農村で忙しい田植え時にはセチャム(おやつ)まで合わせて1日に5食食べるという話は、韓国内で既に良く知られた事実だそうです。
 
<バーベキューするソプン(遠足)風景>
 
では、朝鮮王朝時代、食事をどれ位の量食べたのでしょう?
 
韓国で今でも良く使われる言葉で『韓国人はパプシム(ご飯の心)にて生きる 밥심으로 산다』と言う言葉が有ります。
 
これは、韓国人は何をさて置き、お米をたらふく食べてこそ力が沸き、生きる活力に繋がると言う意味で、韓国人のお米好きを表す言葉です。
実際、韓国の飲食店ではご飯とキムチはおかわり自由が多いです。
 
<朝鮮王朝時代の食事の有名な写真>
 
朝鮮王朝時代にはこの言葉通り、ご飯をたくさん食べました。
朝鮮後期の記録を見ると、当時の1食の食事で成人男性7合、女子5合、子供2〜3合食べて居ます。
1合が約180mlですから大人男子の一食のご飯の量は、なんと1.2Lにもなります。
大型ペットボトル程の量を食べたと言う事です。
 
<時代別 お茶碗>
 
なので、日本人と中国人が朝鮮に来て、朝鮮人がご飯を食べるのを見てびっくりした様子が、色々な記録に残って居ます。
 
勿論、当時の食事が1日2食だった事、おかずも現代と違い少く栄養も無かった事も多いに関連して居ます。
特にビタミンをお米から摂取する為、大量に食べたとの意見も有ります。
 
ご飯以外にもおやつや果実、料理など、食卓に出たと有らば底を見るまで食べ尽くす姿を、開花期の多くの西洋人が紀行文に寄せて居ます。
朝鮮人は自制する事を知らないと批判げに述べる意見も多いです。
 
<朝鮮の大食を報じる外国紙>
 
何故これ程、食にこだわったのでしょうか?
 
当時(1866年)の西洋人宣教師、ダブリィ(Daveluy)は理由として幾つか挙げて居ます。
❶朝鮮人の家には食器棚や食糧倉庫が無いので、食べ物を保管する事が出来ない。
❷さらにこの国は、気候が非常に湿気が多いので、食べ物がすぐに腐敗する。
❸そして酔うほど、お酒を飲むことも同様である。
国王や領議政も公然と爆飲をする。
酒に酔うと気を失って床に寝転がったり、酔い醒ましに寝る。
それでも誰も驚いたり、不快に思わず、1人休むべく放って置く。
それがこの国の慣習で有り、高尚な事なので有る。
 
勿論、外国人の見る目線なので、偏見も混じっては居ますが、朝鮮人の大飯喰らいの幾らかの理由を示唆してくれて居ると言えます。
 
<朝鮮のお茶碗の種類>
 
結論は出ませんが、過去に朝鮮人が『大飯喰らい』だった理由としては、その原因を伝統社会の貧困から紐解く見方も存在します。
いつ食事が摂れなくなるか分からないので、食べられる時に食べて置く精神が根底に有ると言えます。
 
<1人前の膳>
 
実際、他国からの侵略が絶えず、災害も多い我が国では毎日が緊張の日々だったと言う面が否めません。
また、他の中国•日本に比べて朝鮮人の体格が大きく丈夫である事を、西洋人が共通して指摘した事も念頭に置く必要が有ります。
 
  いずれにせよ、朝鮮人が大食漢で有った事は、開花期当時の「常識」だった様です。
 
<朝鮮王朝時代の両班の食卓>
 
  では当時、朝鮮では、食事の時に何を食べたのでしょうか?
良く知られているように、朝鮮の食事は日本同様、主食と副食が明確に区分されて居て、ご飯を主食として居ます。
 
所が、ご飯と言っても全てが米飯を意味する物では有りません。
ご飯の炊き材料として使われる穀物は、地域によって異なりました。
 
以前人物篇で紹介した、朝鮮王朝時代のカリスマ料理家ソユグはその図書で「南の人は、米飯を良く作り、北の人は粟の飯を良く食べる」として居ます。
 
↓↓↓ソユグの記事はコチラ↓↓

 

この様に、主食は基本的に米で有り、米の良く取れない北では粟の飯を食べた模様です。
 
米がアジアで主食になった理由は、味覚の問題よりも、生存に関わったからだと言う見方が有ります。
 
 
同じ面積の田畑で小麦を1粒植えると6粒収穫出来ますが、これに比べて米は1粒植えると平均25粒から30粒程収穫出来ます。
  
また、小麦には必須アミノ酸が不足して居るので肉を添えて食べますが、お米には基本的な栄養素が満遍なく揃っていて、少しの栄養素だけ補充すれば事足りた事も影響して居ます。
この様に、人口密度が高い地域では、稲作の方が数多くの人を食べさせる事が出来たのです。
 
<歴史的にお茶碗を並べたら>
 
他にも朝鮮人の食事に関して、色々触れたい事柄は沢山有りますが、長くなる為、回を改める事とします。
朝鮮の伝統の食事文化の一端を垣間見て頂けると幸いです。
 
<参加文献>
조선시대 엄청난 쌀에 대한 인식
배 불룩 나온 조선 양반들 하루 5끼 먹는 대식가
한국민속문화대백과사전
조선 시대  식생활 하루 몇끼 무엇을 먹었을까 ?
 
 
<ドラマ チャンヨンシル>