<ハンソッキュ>
 
第4章 韓国朝鮮の文化ー18
韓国朝鮮の映画❷
韓国映画の歴史
 
 
 
韓国朝鮮の映画一般についてはコチラ

 

最近、韓国映画にハマり、月に何度か韓国映画を夫婦2人で観覧して居ますが、新宿のシネマートで、前にも紹介した『韓国映画100選』と言う高価な本を買ってしまいました。
 
 
でも殆ど過去の名作映画自体を見て居ないので、中々先に進みません。
2000年代以降の、私が観た映画を満遍なく網羅した本が有るといいのですが、やはり韓国に行かないと無いでしょうか。
 
そう思うと、どうあれコロナ収束後は韓国へGO!です。
 
<義理的仇討の新聞広告>
 
前回述べた通り、朝鮮で映画は1903年には上陸しましたが、初の制作映画は1919年制作の「義理的仇討의리의 구투」です。
 
戦前映画で特記すべきは俳優兼監督で脚本まで製作したラ(ナ)ウンギュ羅雲奎で、特に彼の「アリラン」は最高傑作の誉れが高いですが、残念ながら一切映像が残って無いのが惜しいです。
 
<ラ(ナ)ウンギュ>
 
ちなみに、映像で残るのは1936年の「青春の十字路」からだそうです。
 
初のトーキー映画は1935年の「春香伝」ですが、その後も無声弁士映画が長らく続きました。
 
その後1940年代には戦意高揚映画以外は弾圧され解放を迎えました。
 
<映画 アリラン>
 
朝鮮戦争終結後の1950年代には反共映画を中心に制作されました。
 
1960年代に入り韓国映画の最高傑作と呼ばれるユヒョンモク監督の「誤発弾」(1961)、これまた伝説のキムギヨン監督の「下女」(1960)が登場します。
 
<映画 下女>
 
1965年から1970年には韓国映画史上最高の全盛期時代でした。
 
1年間に1億人以上の観客が訪れた時期で、国産映画が毎年150本以上製作され、キムジミ、チェウンヒ、ユンジョンヒの3人が60年代後半から70年代初頭まで「トロイカ(3人組)時代」を築きました。
 
<トロイカ(三人組)>
 
70年代にイジャンホ、キムホソン、ハギルジョン監督の登場は、監督の世代交代と新しい感覚を持った若い監督たちの活躍を予想させました。
 
1974年イジャンホ監督の「星たちの故郷」は、ソウル劇場単館のみでなんと47万人の観客を動員、新派映画「憎くてももう一度」で1970年代の全公開映画で興行6位の記録を立てました。
 
<憎くてももう一度>
 
60年代から続いて来た韓国映画全盛期にそろそろ暗雲が割り込み始めたのは70年代初頭ですが、これには幾つかの要素が複合的に作用して居ます。
 
まず朴正煕軍事政権の1974年の緊急措置1・2・3号の恐怖、そして75年東亜日報弾圧事件など、様々な政治的事件が芸術家たちの創作の自由な活動に影響を与えたのです。
 
他に、テレビの普及や娯楽の多様化も影響したと言えます。
 
1970年代半ばから没落を重ねた韓国映画は、80年代中も不振を繰り返して、長い暗黒時代が続きました。
 
<エマ夫人>
 
スクリーンクォーター制による韓国映画義務上映日数の指定、外国映画の年間30編以内の輸入規制などは、むしろ韓国映画の興行不振を煽る原因となったと言えます。
何故なら限られた外国映画に全国民の耳目が集中し、国産映画は低予算での粗製乱発でその評価を落とし、制作本数稼ぎの存在になり下がったからです。
 
そんな中で、女優を前面に出したロマンスのジャンル、新派や成人ロマンスのジャンル、エロ映画に過度に依存する傾向が明らかになりました。
ホステス映画、アダルト映画、新派映画中心の作品が圧倒的に多くなり、興行もそのような傾向に沿って行きました。
その頃の韓国映画を覚えている方も多いのでは無いでしょうか?
私も幼い頃はそんな2流3流のイメージが有りました。
<アンソンギ 南部軍>
 
しかし、そんな中でもイジャンホ、ペチャンホと言う『二双頭馬車』監督の奮闘とアンソンギと言う俳優の発掘は80年代の収穫でした。
 
1988年ハリウッド直配映画の上陸と外貨輸入規制緩和措置は、外国映画の封切り洪水を遂げ、もはや外国映画収入でお金を稼ぐ事が出来なくなった映画会社は非常事態に陥り、韓国映画の存続すら心配する事態に至りました。
 
<映画 南部軍より>
 
所が皮肉な事に、この様な危機的状況は、むしろ90年代の韓国映画が劇的に復活するキッカケになります。
 
ハリウッドメジャー映画の直配攻勢に対抗する方法は、最終的には真っ向勝負しか無く、すでに80年代にペチャンホ、イジャンホ監督がその可能性を証明して居ます。
 
<イムグォンテク監督>
 
つまり、良い映画を制作すれば観客は観に来るという希望の中で、1990年代に韓国映画は新たに登場した監督、俳優たちの奮闘に支えられ、崩壊の危機を乗り越えて奇跡のように再生し始めました。
 
その序幕の主人公は驚くべき事に、50代半ばの中堅監督イムグォンテクでした。イムグォンテク監督は、1990年に「将軍の息子」を通して韓国映画の興行歴史を新たに塗り替えました。
 
<将軍の息子>
 
そして「将軍の息子」の成功の後、イムグォンテク監督は初めて、自分が本当に作りたかった格調高い芸術映画を作りましたが、その作品が『歌い手の哀歓と生活を描いた韓国的情緒がいっぱい詰まった』映画「西便制〜風の丘超えて」でした。
 
↓↓↓レビュー記事をどうぞ↓↓

 

この映画は有名俳優やスターではなく、新人オジョンヘと中堅俳優キムミョンゴンを主演に抜擢して作った映画で、信じられない程の完成度と自然なロングテイク撮影など、商業より芸術性に多くの価値を置いた作品でした。
 
<西便制 風の丘超えて>
 
しかし驚くべき事に、この映画に観客が殺到し、既存作品を超え、単館196日の上映記録を始め、ソウル9箇所の上映館で103万人の観客を動員して、韓国映画としては初めて『ソウル観客100万突破』という奇跡を起こしました。
 
ここで参考ですが、現在では韓国での映画上映の大ヒット指標として全国観覧者数1000万人と言う目安が有りますが、それは2000年代からで有り、全国集計システムは整っておらず、そもそもソウルと地方では封切りの仕組みも違いました。
地方ではまとめてバイヤーが購入、格安で上映するなど別勘定だったので、ソウルでの観覧者数が指標になって居ました。
 
<風の丘超えてより>
 
4月単館封切りした「風の丘超えて〜西便制」は劇場を移し、11月まで上映し、単館記録だけでも84万人を超えました。
 
そして、この様な復活に力を得て映画制作に意欲を見せる映画会社の登場は、外資収入に依存していた80年代の姿とは全く違った様相を見せました。
 
もちろん90年代の韓国映画は、最悪の状況で生存の為にもがく時期だったと言え、その10年間の投資は2000年代に驚異的な実になる様になります。
 
90年代半ばに信じられない程、興行力を持つ俳優が登場する事になりますが、それがハンソッキュでした。
 
<映画 シュリ>
 
ハンソッキュの登場が、イビョンホン、チョンウソン、ソンガンホ、チェミンシク、パクシニャンなど俳優の世代交代が起こる出発点となりました。
 
1999年2月13日ハンソッキュ主演の「シュリ」が公開されました。
「シュリ」は公開22日後にソウル観客100万人を突破し、世界的なヒット作「タイタニック」より16日も早い記録を立てました。
 
最終的にソウルでの観客200万人を初めて超え、全国で約600万人の観客を動員し、解放後最高の観客を動員しました。
 
<韓国ノアール映画の代表 チング友へ>
 
「シュリ」の成功以後、韓国映画の製作に自信が高まった映画人たちは意欲的に完成度の高い映画を作るために努力しました。
 
2000年に発表されたパクチャヌク監督の「共同警備区域JSA」「シュリ」に続いて、ソウル観客200万人を突破する第2の映画となり、2001年に公開されたクァクキョンテク監督の「チング友へ」は、全国観客800万人を超え、「シュリ」より約200万人以上の観客を動員する大ヒットとなりました。
 
他にも「ブラザーフッド」、「シルミド」、「トンマッコルへようこそ」などの作品が大ヒットし、今に繋がる、共和国に関連する素材の映画が興行のジャンルとして浮上しました。
 
2000年代に興行俳優として浮上した人物は、まさにソンガンホと言えるでしょう。
 
シュリ」で助演として登場した彼は2000年に「反則王」という映画で主演して、大方の予想を覆し興行に大きく成功しました。
 
<ソンガンホ>
 
以後「共同警備区域JSA」、「殺人の追憶」、「グエムル〜漢江の怪物」、「良い奴、悪い奴、変な奴」など、2009年までに全国500万人以上動員の映画だけでも5作品を達成し、最高の興行俳優の名前を刻みました。
 
2010年以降も韓国映画は、毎年1,000万人の観客を動員する映画が登場します。
 
<ソンガンホ 主演映画>
 
「泥棒たち」、「光海、王になった男」、「暗殺」、「7番房の奇跡」、「弁護人」、「国際市場で会いましょう」、「タクシー運転手」、「新感染」などの作品です。
 
↓↓↓記事はコチラ↓↓

 

その中でも李舜臣の鳴梁海戦を題材にしたキムハンミン監督の「鳴梁〜バトルオーシャン海上決戦」は、全国1,700万人の観客を動員する驚異的な記録を立て、今も記録として輝いて居ます。
 
また国外でも評価を得て、国際的な賞に輝いたキムへジャ、ユンジョンヒ、そして今年2021年アカデミー賞助演女優賞獲得のユンヨジョンなど世界的に評価される俳優、女優も増えて居ます。
 
<ユンヨジョン>
 
とは言え、紙面上触れる余裕は有りませんが、韓国映画が抱える問題点も数多く有り、それらを如何に克服して行けるか今後の課題も山積みです。
韓国映画ファンとして、今後の成り行きを見守って行きたいと思います。
 
次に、共和国の映画に簡単に触れたいと思いましたが、今回も長くなってしまったので、次回に持ち越したいと思います。
 
記事はコチラです

 

<参考文献>
한국영화 100년사
한국영화 100년사 시기별 트렌드
100살 맞이 한국 영화, 그 변천사를 찾아서
나무위키
 

#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画

↓愛のムチならぬ愛のポチをお願いします↓

 にほんブログ村 テレビブログ 韓国ドラマへ PVアクセスランキング にほんブログ村 

↑ブログ村に参加して居ます↑
↓読書登録はこちらから↓
韓国・朝鮮よもやまばなし - にほんブログ村