第7章 韓国ドラマ映画
45.風の丘を越えて西便制
1993年
全羅道の地理の記事からの連想で
ワンポイントコラムでパンソリを扱い、
映画「風の丘を越えて 西便制」を
思い出しましたが、頭を離れなくなりました。
古い映画ですが、なので今回は、
この映画を語らせていただきます。
↓↓パンソリについてコチラ↓↓↓
映画を語るに当たってもう一度観直したいなぁと配信サービスを探しましたが見当たらず、
ふとサイトを見ると「韓国映像資料院」の
公式YouTubeサイトで復元本がUPされて居ました。
日本語字幕も出ますので、ご覧になる方は是非。
↓↓↓YouTubeからも検索出来ます↓↓
まずは映画概要から。
1960年代ころの移りゆく現代社会を舞台に、
韓国の伝統芸能・パンソリにたずさわる家族の、情愛と芸道に関する物語。
原題の「西便制」はパンソリの歌唱法による流派の一つで、
全羅道西南地域で歌われるものを指す。
ソンファ役のオ・ジョンヘは人間文化財のパンソリ唱者キム・ソヒに師事し、パンソリを学んだ経験がある。
また、厳格な父ユボン役と脚色を担当した
金明坤(キム・ミョンゴン 盧武鉉政権後期の
2006年3月27日~2007年5月7日に
文化観光部長官を務めた)は
韓国映画ではお馴染みの準主役俳優だが、
大学生時代よりパンソリを習い、
自己の主宰していた『劇団アリラン』でパンソリに関する演目の演出・主演をし、舞台でも口演をした経験がある。
映画は当初、限られた人々の関心を引くだけだと思われていたが、結局は興行上の記録を破り、
ソウルだけで100万人以上の動員を記録した最初の韓国映画になった。
パンソリをはじめとする韓国の伝統芸能に対する関心が高まり、「西便制シンドローム」と呼ばれる社会現象を引き起こした。
カンヌ国際映画祭でも上映され、大鐘賞6部門と6韓国映評賞部門を受賞するなど、高い評価を得た。
イ・チョンジュンの小説『남도 사람 (南道の人)』を原作としている。
青山島(全羅南道莞島郡青山面)で撮影された。
(引用 Wikipedia)
ついでにあらすじも。
山奥の酒屋兼旅籠にドンホという男が訪れる。
彼は、パンソリ唱者である養父のユボンとその養女ソンファを探しているのだった。
ドンホは、女主人から消息を聞かされる。
ドンホが幼かった頃、ドンホの母である後家のもとに居ついたのが旅芸人のユボンと、その養女のソンファだった。
ドンホの母は出産の際に落命し、ひとり残されたドンホは、ユボン・ソンファとともに旅芸人となる。
ユボンは、ソンファには歌を、ドンホには太鼓を教え込むが、修行は厳しく、生活も楽ではない。
時あたかも西洋音楽が流行するようになり、パンソリは古い芸能として忘れられつつあった。
ある日ドンホは、衰退しつつあるパンソリに固執するユボンと言い争い、そのもとを飛び出す。
しかしドンホは、ユボンとソンファを懐かしく思い出すようになる。
薬の仲買人として旅をしながら、彼らの足跡を辿るドンホは、パンソリの奥底にある「恨(ハン)」を極めるために壮絶な親娘(おやこ)の生を見出すのだった。
ドンホは、漁村で暮らしているというソンファに会いに行く。
(引用 Wikipedia)
この映画に対する評価や感想は出尽くしていて、私の出る幕は無さそうですが、一つだけ付け加えたい事があるのでこの記事を書きます。
その前に、私の韓国映画の鑑賞歴が気になり辿って見ました。
初めて観た映画は中学生の頃に観た「族譜」だったと思います。
その他何編か観た映画も全てNHKでテレビ放映した映画です。
日本ではポツポツと劇場公開をして居た様ですが、香港映画の様にメジャーでは有りませんでした。
この頃の韓国映画と言うと暗い映画か成人映画のイメージが大きいです。
80年代で印象深いのは
「風吹く良き日바참불어 좋은날」と
「達磨はなぜ東へ行ったのか달마가 동쪽으로 간 까닭은」です。
上記の映画「風吹く…」は韓国映画の画期を成す映画との評価を得て居ます。
「達磨…」も舞台が朝鮮では有りませんが、
心に沁みる良い映画でした。
その流れでこの映画を観た事を思い出しました。
「西便制」の映画で良く語られるのは
我が国の「恨」の精神です。
「恨」の精神を表現するのは難しいです。
イギリスの韓国駐在記者マイケルブリーン(Michael Breen)は一言で「自分の状況や能力と現実の乖離から来るストレスや、相手を向かない復讐の自己化」と簡単に説明しました。
「恨み」とは根本的に異なると言う事です。
恨(ハン)の文化を、私たち民族の原型のように理解,説明するのは無理が有ります。
この言葉は植民地時代、柳宗悦が主に提唱した
「悲哀の文化」が発祥とされます。
柳は植民地時代の朝鮮に於いて友好的な人で有りはしましたが、それでも当時の朝鮮を説明するキーワードとして曲線と悲哀を提示し、悲しみの民族と言う認識をしており、
大きく見て日本の朝鮮に対する植民地主義の感情を脱皮する事が出来ませんでした。
つまり柳宗悦が分析した「恨の民族」という概念は、列強の概念で植民地を眺めた植民地主義という事です。
また、被支配階級の情緒に「恨(ハン)」があるのは当然で、近現代以前一般民の生活は地球上のどこでも、今よりもはるかに悲惨な痛みを伴う生活でした。
このような悲惨な感情は、地球上どの民族、どの社会にも存在して来ました。
しかし、現在我が民族が置かれている状況、
植民地とその後の南北分断と民族相争と言う状況がどうにもならない苦しみ「恨」と言う状況を作り上げて居ると言え、映画の背景でも朝鮮戦争が挙げられて居ます。
一方で、我が民族の「恨」の精神とペアまたは否定論として「興(フン)」の民族と言う概念が有ります。
実際、我が民族は世界的にも歌舞が好きで愉快な面が多い、底抜けに明るい民族です。
ユーモアのセンスが有り、風刺や滑稽、
諧謔(かいぎゃく)を好み、哀しみさえ笑いに昇華してしまって居る部分が有ります。
本来民衆の文化は上記の様な笑いや猥雑さを伴っており、民衆は苦しみ全てを笑いに代える事で
逞しく生き抜いて来たと言えますが、
我が民族も例外では有りません。
世界的に当たり前の喜怒哀楽の文化全てをトータルで眺める事が大事なのでしょう。
とは言え、朝鮮民衆が前近代に於いて被支配階級として、世界的にも稀に見る程の苛斂誅求と不条理に支配されて来た事に代わりは無く、
「恨」とそれに付随する、若しくは対極に存在する「諦念(ていねん)=あきらめ」と言う感情を省く事も又、出来ません。
朝鮮を代表する民謡「アリラン」の1番有名な句節
「私を捨てて行く人は10里(日本の1里=4km)も行かず足が痛む」と言った表現や
金素月の有名な詩チンダルレ(ツツジ)の花の
「私を見るのが嫌で
行かれる時には
なにも言わず
そっとお送りするでしょう」
「나 보기가 역겨워
가실 때에는
말없이 고이 보내 드리오리다」
と言う表現が代表的です。
これらの文学が発表されたのが揃って
植民地時代である事に留意です。
(このアリランは1920年代映画で一般化した新民謡的な歌謡で比較的新しい)
この様な精神世界は、一見理解不能な
ソンファとドンホの造形、
特にラストを飾るドラマチックな結末を
支えて居て、
彼ら主人公の恨ハンと諦念チェニョムと言う
超える事の出来ない民族的情念を
最大限観客に伝える事に成功して居ます。
最後に恨ハンを超えた愛情を
2人が見せてくれます。
これらは、正(まさ)しく日本に於ける
民族性として滔々と流れる伝統とも言える
「無常感」にも似た情緒だと言う事を
強調しつつ、映画の感想として相応しいかどうか分かりませんが、文章とさせて頂きます。
余談ですが、現在ミュージカルソピョンジェ西便制も人気です。
また、昨年13年ぶりのパンソリ映画
「ソリックン소리꾼」が話題になりました。
最後に、他の方もおっしゃって居ますが、
主人公一行が珍島アリランを歌って遠くから
石垣に沿って歩いて来るロングテイクシーンが、とても有名であると言う事を付け加えつつ、
他にも言うべき事は沢山有りますが、
ここらで筆を置く事にします。
↓↓パンソリを生んだふるさと全羅道の
風土についてはコチラをどうぞ↓↓↓
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