<ドラマ 王になった男>
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
75. 承政院と承政院日記
朝鮮王朝版「王子と乞食」と言える
『王になった男』はご覧になりましたか?
映画で大ヒットし、昨年ドラマ化されコチラも
韓国でヒットしました。
↓↓↓レビューはコチラ↓↓
日本でも最近放送され話題になったので、ご覧になった方も多いと思います。
この映画&ドラマで影武者を画策する官吏は
日本で言えば「内閣官房」や「内閣総理大臣秘書官」に当たるでしょうか。
高麗時代の中枢院の機能を縮小、分割して成立しました。
<東闕図に見える承政院>
承政院には도승지都承旨トスンジを筆頭に6人の승지承旨スンジが属し、他の役職も兼ねつつ、それぞれ6曹を担当しました。
他に30人近くの事務官が居ました。
↓↓↓朝鮮王朝時代の政治制度参考↓↓
映画とドラマ「王になった男」で、王の傍らに居て、いつもアレコレ指図をして居るのが、キムサンギュン(映画ではリュスンリョン)扮するトスンジです。
実際にはあの様にアレコレ指図する事は無かったでしょう(笑)。
<キムサンギュン>
実は彼のモデルはホギュンだそうなので、
かなり破天荒な人生をご覧下さい。
↓↓記事はコチラ↓↓↓
秘書機関として王といつも直接接するだけに、隠れた影響力は大きかったと見られ、
その時その時の王権の強弱に応じて、
承旨の影響力に多くの変動があった模様です。
<リュスンリョン>
承政院の具体的な機能を要約すると
次の通りです。
①王命の出納、すなわち王命を下に伝えて下意を上に伝達することを 引き受けました。
②경연經筵キョンヨン(王と臣下の講習)、
入侍に出席し、추국推鞫(王が仕切る裁判)にも関与しました。
③管理の任免と賞罰と科挙試験および兵務に関与しました。
④祭祀などの儀礼的な仕事、国王の動駕(移動)と対外行事にも参加しました。
<都承旨の毎日>
このように承政院は、国の広範な行事と儀礼に重要な役割を果たしました。
承政院と言えば「承政院日記」が有名で、これは朝鮮王朝時代の王命の出し入れ・諸行政事務・儀礼的事項などを承政院で記録した日誌、官庁日記です。
現在1623年(仁祖1)3月から1910年(隆煕4)8月までの3,245冊が残っています。
承政院の毎日の日記は1ヶ月分ずつ1冊にまとめ国王に上げて裁可を受け上梓、王に上げる前に日記が外に出ることは禁止されていました。
<承政院日記>
我が国ではすでに高麗時代にも同じ機能を持つ部門があり、その日の天気まで記録しましたが、当時の日記は残念ながら伝わりません。
朝鮮前期の「承政院日記」も1592年(宣祖25)壬辰倭乱で燃えてしまい、他にも火災で何度か消失しました。
政府では極力補修に努め、特に英祖は1746年(英祖22)に日記庁を設置し補修に尽力しました。
補修のために朝報をはじめ、各司の日記・登録などの基本史料と官の日記・文集などを広く利用して万全を期しました。
現存する「承政院日記」には補修した部分がかなり有りますが、史料的価値が非常に高いと言えます。
それは、国の広範な行事と儀礼に重要な役割を果たした承政院の活動が「承政院日記」にそっくり記録されているからです。
<ユネスコ世界記録遺産に>
朝鮮後期の基本史料として他にも、「朝鮮王朝実録」と「備辺司登録」、「日省録」がありいずれも価値が高い史料ですが、「承政院日記」は、国政一般について広範な記録をしたという点、また毎日記録をした一次史料という点でさらに価値が高い史料と言う事が出来ます。
この様な貴重な価値から国宝に指定され、ユネスコ世界記録遺産にも登録されて居ます。
承政院は1894年甲午改革で承宣院と改名、その後、宮内部所属の侍従院に改編されました。
<参考文献>
한국민족문화대백과사전 承政院、承政院日記
ブログ記事の書籍出版に向けて
現在クラウドファンディング挑戦中です。
ご協力ご支援お願いします。↓
#韓国ドラマ #韓国時代劇ドラマ #韓国映画