第2章 3節 近代-③ 甲午農民戦争と日清戦争、日本の朝鮮支配
日本で一大ブームを巻き起こし、未だ人気の衰えない「ベルサイユのバラ」はフランス革命と王妃マリーアントワネットの悲劇ですが、朝鮮王朝と明成王后(명성왕후)閔氏の悲劇を朝鮮版ベルバラならぬ「漢城のムクゲ」とでも題して描けば壮大な物語になるかも知れません。
でも結末が結末だけに日本のマンガ家さんは尻込みするでしょうか?(笑)。
↓彼女の人生はコチラ↓
<アジア初ブロードウェイ進出ミュージカル
彼女を悲劇のヒロインにする気はさらさら有りませんが、王妃揀択(간택:選ぶ事)から始まり不遇な結婚初期、姑(しゅうと)で有る大院君との確執、権力独占と贅沢による民衆の怨声、
壬午軍乱の際のすんでの所での王宮脱走と帰還、甲申政変での政敵金玉均とのスリリングな知能戦による制圧と、さながらサスペンスです。
<明成皇后の一番本物に近いと言われる写真>
その後1894年日清戦争後、増長する日本牽制の為ロシアに接近するも日本公使と浪人達による宮殿襲撃と非業の死、ましてや宮廷内で焼かれ捨て去られると言うショッキングな結末、それがもたらした朝鮮全土の憤激とそれをキッカケに巻き起こった義兵の動きまで彼女の波乱万丈な人生と歴史をドラマチックに描けるかも知れません。
<ドラマ明成皇后 主演イミヨンと子役ムングニョン>
‘90年代に韓国で小説、ドラマ、ミュージカルと
「明成皇后」(명성황후)ブームが起こりましたが、ドラマ「明成皇后」は残念ながら歴史歪曲が酷く、まるで彼女が稀代の愛国者の如く描かれ惜しい内容になってしまいました。
ストーリーが史実とは全く別の妄想に近いフィクションになっています(笑)。
基本、彼女が守ろうとしたのは国家では無く自己と王室のみだったのですから。
<以前明成皇后と言われ
彼女の写真も現在残っておりません。
暗殺を恐れ写真を撮らなかったとも言われていますが、暗殺された後でも肖像画にでも残せなかったものかと残念に思います。
さて朝鮮は日本と一度も戦わず併合されたのでしょうか?
各地に巻き起こった義兵運動は民間戦争と言え、1909年まで断続的に続き日本はそれを完全に鎮圧する事により併合に向かった訳ですが、一度正規軍同士の戦いは有りました。
ではいつでしょう?
それは1894年日清戦争の前です。
その後の事件が衝撃的過ぎる為か忘れられがちですが、こちらも大きな事件だったと言えます。
…
1882年壬午軍乱後の済物浦条約で日本軍の漢城駐屯が認められました。
1884年甲申政変での日清の軍隊衝突及び日本公使館放火と居留民殺害について日本と清の間で責任のなすり付けが続きましたが、
天津条約を交わしお互い朝鮮から撤収し軍隊派遣の際は通知する旨を約束します。
<緑豆の花 ポスター>
1894年甲午農民戦争で農民軍が5月31日全州城を占領するや戦争危険が目に見えるにも拘らず政府と国王高宗はあろう事かまたもや清に出兵を要請し、清軍は6月8日牙山湾に上陸しました。
待ち構えていた日本軍は6月9日仁川に上陸し首都漢城(한성)に進軍し始めます。
国土が戦場になる事をよしとしない農民軍は6月11日政府側と全州和議(전주화의)を結び停戦に応じます。
口実の無くなった日本は清に朝鮮の内政改革を呼びかけますが、
清の拒否を受けると7月23日午前4時、手薄になっていた漢城の景福宮を襲撃し午後2時までの10時間、
朝鮮軍と激戦を繰り広げこれを制圧しました。
<景福宮 攻撃絵図>
当時宮殿を守って居た300名からなる平壌軍精鋭は死に物狂いで反撃しますが、日本軍は宮の西門、迎秋門を爆破しこじ開けると一斉に雪崩れ込み、恐怖の余り避難も出来ず後宮・宮女達の居処・咸和堂(ハムファダン함화당)に隠れていた国王高宗と明成王后を脅迫して反撃を止める様に強要します。
<日本軍が取り囲んだ景福宮 咸和堂(함화당)>
未だ命を賭して戦う兵士をよそに高宗は直ぐさま武装解除を指示、これで全てが決しました。
すなわち景福宮の武装解除によって朝鮮政府は日本の傀儡と化し、その後の命運が定まったと言って良いでしょう。
これまでこの事件をに描いた事は有りませんでしたが、2019年に放映されたドラマ『緑豆の花』で初めて写実的に描かれました。
ドラマでこの戦闘を『カボウェラン甲午倭乱』と名付け、れっきとした「戦争」として描きましたが、激しい戦闘シーンが大きなインパクトを与えてくれました。
このシーンを見るだけでもこのドラマを観る価値が有り、必見です。
↓甲午倭乱についてはコチラ↓
景福宮の占領と共に日本の内政干渉が始まりました。
親日派を送り込み内政改革に着手させようとしますが、そこに開花派の流れを汲むキムホンジプ金弘集ら善意の官僚たちが応じたのが『甲午改革』です。
この甲午改革は、日本に押し付けられた面はある物の、甲申政変などで開花派が成し遂げようとした、我が国の近代化の為の重要な改革でした。
<甲午改革の軍国機務処の姿>
しかし日本は、その改革に自主独立の匂いを嗅ぎつけ、農民戦争弾圧後、次第に干渉を強め、遂には改革を破綻させますが、それは後の話しです。
その後7月25日日本は牙山湾の清を攻撃し日清戦争が開始されます。
戦争での圧勝後日本は農民軍を徹底的に弾圧し、甲午農民戦争は失敗に終わりました。
指導者全琫準は緑豆将軍(록두장군)と呼ばれ、韓国朝鮮で全世代を通じて多大なる人気を擁して居ます。
彼の革命の失敗と死を悼んだ『パランセ』の民謡が今も人々に膾炙され残って居ます。
<緑豆の花 鳥よ鳥よパランセ(青い鳥)よのコピー入りポスター>
前述のドラマ「緑豆の花」は彼や彼と一緒に戦った農民軍に焦点を当て敵味方に分かれてしまった兄弟の悲劇を描いて居ますが、200億ウォンの製作費を掛けた超大作として非常に大きな話題を呼びました。
<緑豆将軍 全琫準役のチェウソン>
当初高い視聴率を叩き出しましたが、誰もが知る哀しい結末のせいかその後は伸び悩みました。
しかし評論家からは大絶賛を受けて居ます。
日本では最近ケーブルテレビで放映終了し、現在TSUTAYAレンタル他で視聴可能です。
沈鬱ではある物の、とても写実的に歴史を描いたドラマで正に名作です。
↓ドラマのレビュー記事はコチラ↓
日清戦争のいきさつは他国の軍隊を引き入れるとどんな災厄をもたらすかと言う典型的な例と言えます。
これだけとっても国王高宗と朝鮮王朝政府の統治責任は大きいと言えるでしょう。
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<参考文献>
황현 매천야록(梅泉野録)
新潮社 角田房子 閔妃暗殺
山川出版社 朝鮮現代史
キネマ旬報社 金両基
ビジュアル版 朝鮮王朝の歴史
イサベラビショップ 朝鮮紀行
東洋文庫 F・Aマッケンジー 朝鮮の悲劇
<ミュージカル 明成皇后ポスター>