「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾 -29ページ目

「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

学校、塾、キャリア、子育て、家族、心理学、脳の活性化!全部やります!
趣味は「教育」!!

あるあるレンジャーカード

今日は、あるあるレンジャーカードの講座に出席してきました。

このカードは保健室コーチングで大活躍中の桑原先生(株式会社ハートマッスルトレーニングジム)が作ったカード。

保健室というある意味制約された空間のなかで、いかに子どもたちの心や脳を動かすか、という実践のなかから生まれたカード。

納得の内容です!

今日はそのなかから、あるあるレンジャーカード

これは、「本当の自己肯定感」を理解するために何か良いものはないか?という発想から生まれたそうです。

いろいろな使い方ができます。

まずは自己紹介で。

全部で30種類あるカードから3枚選ぶ。

「自分の中にはどんな自分がいる?そして、どんなときのそれはでてくる?」

私が選んだのは、

「なまけものレンジャー」「コツコツやれるんジャー」「まいにちたのしんジャー」

  

実は私なまけもの。というか、どうやったら楽にできるか。どうやったら省エネでいけるかってことを結構考えてるんですよね~

いろいろやってますね~と言われますが、冬クールのドラマは9割くらい1回目を観ました(笑)

重要なところにはしっかり力をいれて、そうでないところは極力脱力で。

とはいいつも、好きなことはコツコツやったりします。

塾もそうですし、勉強会も5,6年続けていたりとか・・・本もコツコツ読むし・・・イベントどっかーんよりも、毎日コツコツのほうが好きだったりします。

でも、好きなことしかやらない。そりゃ好きなことしかやっていないから毎日楽しいに決まってますよね(笑)

自主学校も好きでやっているので、楽しいですが、極力省エネでと思ったりもしています。

ってな感じで、いろいろと考えていることがでてきます。

 

次の実践の仕方としては、30枚ある中から自分の中にいる自分をすべて選んでそれを円形において・・・

この実践も、桑原先生がずっと勉強、実践されているNLPや脳科学の理論がぎっしり詰まっていておもしろい。

これで自己肯定感が感じられるのか? それは使ってみてのお楽しみです! もちろん私は感じました。もう感じる必要はないかもしれませんが(笑)

なによりも、このカードを保健室で使っているイメージがありありと浮かびました。

自分もいろいろと実践で試してみたいなと思いました。

 

ただ、やっぱり家族間は難しいですよね~(笑)

なぜか。

それは支援者の気持ちの位置が一番大事だから。

ちょっとでもコントロールしたいという気持ちや、解決してやりたいという気持ちがはいってしまうとね、このカードの効果は発揮されません。

したがって親子は難しい(笑)

 

ということはさておき、とても使いやすいカードですし、おもしろい!

自主学校瀬戸ツクルスクールの毎月のリフレクションでも使ってみようと思います。

いろんなところでも使えそうです!

気になった方はこちらで購入できます!→http://heart-muscle.com/category/item/itemgenre/text/

保健室コーチングに学ぶ! 養護教諭の「現場力」 「癒しの場」を「教育の場」にチェンジする35の事例

  • 著者桑原 規歌
  • 価格¥ 1,793(2016/02/01 20:03時点)
  • 出版日2015/03/20
  • 商品ランキング80,374位
  • 単行本120ページ
  • ISBN-104181777391
  • ISBN-139784181777395
  • 出版社明治図書出版

今日は「勇気づけて躾ける」の第1回読書会。

とりあえず2章分を読んできてください、といことにしたけれど、どうやるのがいいかな~ということで試行錯誤。

最初に1人ずつが1段落ごとに音読してみて、気になった文などを上げてもらうやり方。

次に、読んできた章のなかで気になったところを上げてもらうやり方。

どちらにしようかなぁと思いましたが、参加者の負担が少なく、本をしっかり読む、ということをやりたいということもあり、前者にすることにしました。

 

今回気になった文で取り上げられた文章です。

第一章 親の悩み

第一章はそれぞれ読んできて気になったところを読んでもらうスタイルでやってみました。

 

「社会全体の空気を変え、従来の育児法を時代遅れのものにしてしまったのは、おもにこの民主主義のなせる技といえるでしょう。」

実は親が育児に困ったのは、民主主義によってみんな平等になってしまったから。

そして、それをいち早く察した子どもたちが、頭ごなしに躾ける独裁者的な育児に疑問を投げかけているんだろうな、などいろいろと。

 

「成熟という言葉の本当の意味は、立派に成長し、発達を遂げることーつまりその人の持っている可能性を十二分に開花させることなのです。」

この文を受けて、成熟ということは自分ひとりでするもので、その手助けをするという視点で成熟という言葉を考えたことってなかったなぁ~などなど。

 

「私たちは内心ひそかに自分自身の価値に対する疑いを抱いており、自分は理想の人間像に程遠いのではないかという不安にかられているのかもしれません。そうして絶望のあまり、子どもを比較対象とすることによって自分の優越性を確かめようとするのです。」

これは、こどもと大人が対等だと信じられない大人が密かに抱いているかもしれないこと。

うーん、結構これって怖いこといっているよね~ 子どもをダシにして、自分の存在価値を確認しようとしているという・・・などなど

 

「子どもたちは勝手気ままに自由をもてあそぶことによって暴君と化し、親は彼らの奴隷となってしまいました。」

いや~こういう場面を何度か見たこともあるし、たまに自分自身も奴隷のように感じることがあります・・・

確かに、最近は子どもに嫌われたくないという親としての役割ではなくて、個人としての感情で子どものご機嫌をとっている人もいるだろうね~ などなど。

 

第二章 子どもを理解しよう

第二章は1段落ごとに音読。

「子どもの振る舞いを直すには、その動機を変えてやるしかありません。」

目の前の行動を直したって、その「動機」を変えなければ、結局毎回同じことの繰り返しになって疲れてしまうことなんだろうね~

例えば、子どもがくっついて離れない動機ってなんだろうね~ さっきまではくっついていたのに、今はもうどうってことない。いったいどう動機が変わったんだろうね~ などなど。

 

「社会的な生き物である子どもにとって、最大の動機は所属願望です。」

マズローの欲求段階説の話をしたり、人間の本能の脆弱性について話したり・・・・

いろいろな物事を、この所属願望という視点で眺めてみるとまたいろいろ見えてくるものもあるかもね~ などなど。

 

ということで、これからもゆるゆる月一でやっていきます。

果たしていつ終わるのか(笑)

次回は2月23日(火)瀬戸市のツクルスクールでやります!

参加ご希望の方は問い合わせから、勇気づけて躾ける読書会参加希望と書いてメールしてくださいね!

勇気づけて躾ける―子どもを自立させる子育ての原理と方法

勇気づけて躾ける―子どもを自立させる子育ての原理と方法

  • 著者ルドルフ ドライカース,ビッキ ソルツ
  • 価格¥ 3,240(2016/02/01 20:02時点)
  • 出版日1993/03
  • 商品ランキング278,888位
  • 単行本480ページ
  • ISBN-104752850281
  • ISBN-139784752850281
  • 出版社一光社

幸せの戦後史

第二部 家族の変容と個の漂流

第二章 虚の国の旅人たち

1950年、力強い復興からスタートしたが、実は1960年半ばには頭打ちになってきた。

それまでの、「階層上昇」「だれにでも成功するチャンスがある」という物語が終焉しつつある。

とって変わった物語が、「新中間層」「総中流化」

しかし、その「中流」というのは、ひとそれぞれ違いがあった。

このままでいきたいという保身性とそれでも上流に上がれないんじゃないかいう批判性が混在。

この「総中流化」は「階層上昇の終焉」を隠すために拡散された意識のデマ

1975年、実は専門職や管理職は階層相続がされているというデータがでたことが一つの決定打。

そんな時代に、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999、ガンダムが生まれている。ピンクレディーもこの時代。

現実が虚構化しているなかで、虚構のなかに現実を構築するようになった。

虚構であるはずのアニメーションのなかに、現実のルールをあてはめようとして、その粗さがしに夢中になる。

これが熱を帯び、「オタク」という意識が生まれた。

この「オタク」は消費社会の波から外れて、まさに自分の世界のためだけに消費するという行動。実はここには、追い立てられるように消費していくという流れから外れて、自分の世界のためだけに消費をするという甘美な自由が漂っていた。

さらに、そのアニメーションの中に、奥行きを持たせることで、さらにその熱を煽った。

宇宙戦艦ヤマトにキャプテン・ハーロックがでてきたことが、その一つの象徴。

なんだかこの虚構の世界のなかにも壮大な世界があるような気がする。それを知りたい。

こういったものを「偽史」

これには、ナウシカやAKIRA、北斗の拳などがあたる。

ビックリマンチョコも。

 

ここに至る動機。

1・性・・・基本的にオタクがはまる女子は第二次性徴終了後のオトナの女子であり、戦闘美少女。ここには様々な多形倒錯が反映することができる。

2・家族の変化・・・家族の再生産の倫理を失ったのではないか?中流意識という軸をもち、そこから脱しないための戦略として、私的な欲望にも関わらず、「教育費負担」や「母体の健康」という公私の狭間に、子どもを生まないという理由を置いた。そして、息子が父を越えていける、というストーリーが終わった。父子間の緊張が終わることで、母親への執着も終わり、性的想像性を別に向けた。その思いを受け止めたのが、虚構のなかの戦闘美少女。

 

女性の変化もあった。

80年代は消費社会の高度化。消費主体が個人へ。

家族のカタチが変わってきた中で、簡単にその自分らしさを可視化できる「モノ」を購買した。

しかし、モノをそろえればそろえるほど、自分を見失うという循環。

そしてこのモノ時代(ブランド天国、金満日本)はブランド人同士の御成婚で終了した。(ここでは郷ひろみと二谷友里恵、そして二つのロイヤルウェディングをあげている)

つまり、金では買えないものがあるのだということ。

そして、消費的民主主義が終わった。

ただ、この意識は社会に潜り込み、環境がきびしくなったバブル後に、「自分探し」という流れになっていった。

そのころにでたのがエヴァンゲリオン。

これがオタク・アニメの総決算であり、その終焉。物語の最期で、意図的に物語を崩壊させ、自分のなかで閉じこもっているんだろう!というメッセージを投げかけた。

 

感想

1983年に東京ディズニーランドが開園している。

夢と魔法の国。

まさに虚構が一番現実化したのかな、と読んでいて思った。

 

ここまでくると自分の生きてきた時代も入ってくる。

たしかに、宇宙戦艦ヤマトにキャプテン・ハーロックがでてきたとき、かなり胸が躍った記憶がある。

そことそこがつながるの!!!というような。

そのころはまだ幼かったので、現実の虚構化に期待を裏切られ、虚構に走ったわけではないけれど、その虚構の奥行の面白さは感覚としてあったと思う。

父との関係。「父を越える」という意識はない。勉強すれば父を越えられる、という意識もなかった。

ただ、そこで虚構に入れ込まなかった一つの要因として、父母が高卒だったことはあるかもしれない。

そういう意味で、大学に行くことで現実として、父を越えた、という捉え方は可能。

もちろんそんなことは意識はしていなかったと思うけど。

80年代、私は小学生~中学1年生。

当時自分が夢中になっていたのは、バック・トゥ・ザ・フューチャーであり、香港ポリスストーリー。

虚構に魅かれるとともに、ジャッキー・チェンのスタントなしという現実の両方に興味を魅かれていたということかな。

バブルを直接は享受していないけれど、マイホームを買おうか、という行動を家族がとったことは覚えている。

これは在る意味バブルのなせる業だったのかもしれない。

 

バブルと聞いて、最初に思い出す映画は、「私をスキーに連れてって」

なんでだろう(笑)

この本では80年代についてはアニメを取り上げているけれど、音楽シーンを考えるとまた面白いだろうな。

ザ・ベストテン 1978年1月19日から1989年9月28日

1978年にサザンオールスターズがデビュー。

松任谷由実第二次黄金期。

1981年boowy結成

1983年尾崎豊デビュー

音楽とは関係ないけど、この年にファミリーコンピューターが発売

1985年ブルーハーツデビュー

80年代のピカピカ洋楽・・・

オレたちひょうきん族からの天才たけしの元気がでるテレビ・・・

 

考えだすときりがないから、まぁいいか(笑)

 

自分の感覚としては、なんとなく浮かれつつも、現実にしらけつつも、そこに反抗するという感覚があったこの時代かな。

あるいは虚構と現実をいったりきたりしていた、というような。

 

幸せということで考えると、

1950年代は「階層上昇」という物語は現実に即していたために、そのまま幸せ感につながっていたかもしれないが、

1960年代からほころび始めたその物語を、「総中流」という新しい物語が補完し始めた。

しかし、そこには虚構があり、そこに幸せ感を求めることにシラケた人たちが、自分の中にだけある幸せに浸るようになったということか。

その象徴的な社会意識が「オタク」。ということなのかな。

次はオウム真理教についての内容に移っていく。

今やっている自主学校瀬戸ツクルスクールでは、カリキュラムがない。

しかし、学校でやっている学習内容が意味がないとは思っていない。

むしろ、素敵だと思うくらい。

ただ、その内容よりも、それを学ぶ過程で知らず知らずのうちに身についてしまう隠された「教え」をどうにかしたいという思いがある。

・「怖れ」が人を動かす原動力だと思ってしまうこと。

・勉強はやらさせるものだと思ってしまうこと。

・人と比べること

・勉強が人としての評価を計る柱だと思うこと

・学ぶ機会は「与えられる」と思うこと

・ミスを悪いものだと思うこと

・答えはひとつだと思うこと

・答えが「ある」と思うこと

・できないよりもできるほうが「偉い」と思うこと

・勉強ができないことは「だめなこと」だと思うこと

・競争することで、他者を敵だと見なしてしまうこと

・「速いこと」だけがいいことだと思うこと

・積極的でないといけない、ということ

・自分はできない、と思ってしまうこと

・みんなと同じようにできなければいけないと思うこと。

などなど。

 

もちろんこれらは今の「学校システム」のなかで克服できないことではないとは思う。

しかし、相当の先生の力量がいると思う。

私が学びを共にしている先生方は懸命に努力をしていることは知っている。

これらをプラスに転じさせていることも知っている。

 

しかし、同時に、自分のやっていることを通して、いろいろなことを聞くと、そうではない先生もある一定数はいることは間違いない。

そして、今の「学校システムだけ」だと、普通と言われる先生もこの隠されたカリキュラムに対抗できないのではないかとも思う。

まず、外部からの刺激がないから、気づく機会が少ないということもあるだろうし、それこそ普通に授業が進んでしまっていることで、気づかないということもある。

 

この隠されたカリキュラム(ヒドゥンカリキュラム)に気づくために、様々な手があると思うが、「全くシステムの違う学校」の存在による刺激というのは、その手のひとつになりえると思っている。

似たようなものでは刺激として十分ではない。

「全く違う」ということが、刺激を起こすし、そこに大きな力が生み出されるのだと思う。

だから自主学校ツクルスクールでは「カリキュラム」はない。

「幸せ」の戦後史

第二部 家族の変容と個の漂流

第一章 戦後の家族と戦略

戦後の「社会意識」

豊かな暮らしを追及する権利は誰にもある

その実現のために、家族は階層上昇という戦略を選んだ。

この時代は不平等、不公平に敏感。

職員と工員という名称は社員に統一などが象徴的。

戦後の貧しい時代は、ほんの少しの環境などの差で生死が分かれる。これが不公平に対する敏感さにつながる。

もともと不平等、不公平は存在していたが、戦争によりそれがいったんゼロリセットされた感覚があったのでは?

 

1950年代に朝鮮特需もあり復興

しかし、それにより格差は大きくなった。

1956年の統計だと、生活保護基準以下すれすれの人数は972万人。残りの約8000万人の生活水準が上がった。

その上昇志向のなかで、家電製品などの普及という目に見える格差がさらにその格差に拍車をかけた。

そのなかで、機会の平等、公平をどこで感じていたか。

ブルーカラーからホワイトカラーへの階層移動。

それに向けて、教育投資が盛んに。それまでも学歴社会ではあったけれど、一般的に

学歴=財となったのはこのころ。ちなみに私の父母はこの時期に生まれている。

 

1960年 所得倍増計画

そして、その実現。ビートルズ結成。

この時代が一番階層移動が大きかったとされている。

しかし、この時期にこの階層の上昇思考に対抗する眼差しを持つ映画作品が取られている。

ほぼこの実質的経済的成功により、ないものとされた「今の階層のままのなかで見つける幸せ」

そこに目を向けた映画。ここでは「キューポラのある街」が取り上げられている。

本当はなにが豊かなのか?という投げかけなのだろう。

このあたりで、経済格差は短期的に縮小されたものの、それは財の配分比が変わっただけで、文化資本のような長期的な財の格差は温存、むしろ階層間の障壁はより高くなったのではないか?

そして、1960年代後半は、上昇基調にあった階層移動が頭打ちになった時期。

しかし1964年には東京オリンピックもあり、その勢いのままブルーカラーはホワイトカラーの人工的で統合的なルールとマナーに置き換えられていった。

地域や階層は自然に解体され、仕事と暮らしに競争が浸透。

 

 

1969年 「男はつらいよ」上映開始 

大学闘争、ベトナム戦争、アポロ11号月面着陸。 父母 中高生

こんな社会のなか、果たして上昇思考が幸せなのか?と問いかけるには、そこから「降りる」必要があった。

その典型がフーテンの寅さん。

また、それとはかけ離れているようにみえる「赤頭巾ちゃんに気をつけて」がベストセラー

この本は空疎なメッセージだと、この幸せの戦後史の著者は感じている。

それでも売れた理由。そこにリアリティがあったから。

1・アッパーミドルの魅力的な描写。本当にそういう街があるのではないかと思わせられた。

2・独特な虚構性ゆえの現実感。ありそうでなさそうな、でもあると信じたいような事柄を、客観的に、でもやっぱりこれは嘘じゃないかと思う、と問いかける。そのことにより、現実感がぐっとでる。

そして、加熱する教育投資により、大学生が巷にあふれるようになり、その意味を失ってきた。

それにより教育投資による階層上昇の期待も裏切られ始めた。

しかし、大学生がそれに声を上げるには、結局もとの不平等、不公平をつくりだすことに戻らなくてはならず、そのどうしようもない力を、自己否定というところに向けた。

1972年にはあさま山荘事件があった。

そして、1980年くらいまでじりじりと続き、80年にあらたなカタチで発露することになる。

これが次回。

 

感想

国民全体が階層上昇という意識にほぼ一体となって動いていった時代なのかな?

なんとなく違和感もあったが、その勢いには勝てなかっただろうなぁと思う。

テレビ・冷蔵庫・洗濯機ときて、カラーテレビ・車・クーラーとパワフルな実体としての違いが豊かさという言葉ととってかわられても仕方がないかなと思う。

自分の父母がこの時代を生きてきたのかと思うと、なんだか不思議な気分になった。

そして、今もそれがそのまま受け継がれているような気もする。

それがどのように今に引き継がれてきたのか。

次の章が楽しみ。