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「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾

学校、塾、キャリア、子育て、家族、心理学、脳の活性化!全部やります!
趣味は「教育」!!

今日は久しぶりの「母親講座」

メインのスライドがあるだけで、細かい内容はそのとき考えるので、自分の学び度も分かっていいです。

さて、毎回こういう講座をするときに、必ず伝えることが2つあります。

ちなみに今日はその1つを言い忘れました(笑)

1・学んだことを実践するときは、必ず相手(子ども)にその旨を伝える。

2・たった一回でもいいから、学んだことを実践してみる。

 

1・学んだことを実践するときは、必ず相手(子ども)にその旨を伝える

子育てや育成法などを学ぶと、ついすぐにやってみたくなる人もいます。

でも、それは大前提である、相手との信頼関係を高めたい、相手を尊重する、対等ということを忘れてはいけないと思います。

ここを考えずにしてしまうと、「相手をコントロールしたい!」感、満載になってしまいます。

心理学系のことを学ぶときは、ここは絶対に忘れてはいけないと思っています。

「今日ね、一尾先生という人がやっているところでお母さん、勉強してきたんだけど、~ってやるとなんかいい感じになるらしいから、ちょっとお母さんもやってみるね。」

ぜひそうやってもらいたいと思っています。

そうすれば、子どもはコントロールの相手から、いっしょに育つ協力者となります。(結構子どもの指摘は厳しいですが(笑))

でも、これこそヒドゥンカリキュラムなんだと思うんですよね。

「相手との関係をよくするために、チャレンジをするんだ。失敗してもあきらめずにチャレンジするんだ。」ということを子どもに伝えることになるんじゃないかな、と。

これは今日もちゃんと言いました。

 

2・たった一回でもいいから実践してみる

これは今日言い忘れました(笑)

こういう場所に来るお母さんたちのバックグラウンドを考えると、基本的に子どもたちに対して十分考えているお母さんたちです。

だから、今日学んだことを実践し続けられなかった、がんばったけどすぐに元に戻ってしまう、となっても、全然気にしないでください、って伝えています。

 

ただ、1回くらいは使ってもらいたいなぁって思っています。

そのいつもとは違うたった1回の言葉が、もしかしたら子どもの一生を支える言葉になるかもしれないからです。

 

私たちはいろいろと思い出すとき、そのシーンすべてを思い出すわけではないと思います。

切りとった一場面、あるいはワンワードを思い出すことが多いように思います。

 

だからこそ、続けられなかったこと、元に戻ってしまったことにあまり意識をもち過ぎず(できるに越したことはないですが(笑))、一度でいいから、いつもとは違う言葉がけをしてみてはどうかな?と思うわけです。

いつもとは違う言葉が、もしかしたら脳に引っかかって、記憶として残るかもしれませんからね。

今日は年に3回程度のアドラー心理学ELMリーダー学習会。

とっても寒かったですね~

今回も前回に引き続き歴史ある建造物の名古屋市政資料館で。

  
午前中は、名古屋駅を活動の中心としているコクリエ国語教室代表の黒川葉子さんの

「大人の国語塾」

キャッチコピーは「頭がよくなる国語塾」

ここでの「頭のよい」=「理解する力がある」という定義

黒川さんの豊富な社会人経験に基づいているので、これから大人になる子どもたちにとっても社会にでてしっかり生かせる実践的なメソッドです。

   
 今後は子どもだけではなく、法人向けにも活動していくそうです!

社員のコミュニケーション能力に困っている方はぜひ体験してみてくださいね!

詳しくはHPをご覧ください!→http://cocurie.jp/

 

お昼ご飯を食べて、午後はELM(勇気づけ勉強会)リーダーの学習会

まだリーダー資格をとって間もない方もいらっしゃったので、第一章をもう一度丁寧に参加者全員で読み合わせながら取り組みました。

ゆっくりとそれぞれのパートを確認しながら取り組めたので、基本的理解や進め方がレベルアップしたと思います。

引き続き私もこの学習会を開催していくので興味ある方はこちらをご覧ください→アドラー心理学入門編

 

最後に、それぞれの近況報告や困っていることなどをシェア。

解決策を出すわけではありませんが、こうしてみんなで情報をシェアすることで、お互い助け合えたらいいなと思っています。

次回は5月!

今週の心がけの授業は

「安定」

よく大人が将来の安定といったり、安定した収入っていったり、安定した職業っていったりするけど、それって何のこと?

ちょっといろいろ考えてみよう。

そもそも「安定」ってどういう意味なの?からスタート。

結構答えられそうで答えられなかったりする小中学生。

辞書には、「物事が落ち着いていて、激しい変化のないこと。」

じゃぁどんなときに「安定」という言葉を使う?

生徒からは、「収入の安定」「安定した仕事」「安定した成績」「将来の安定」などなど

では、「将来の安定」を考えたときどうなんだろうね~

就職したら?

大きな企業に入ったら?

手に職を付けたら?

家を持ったら?

社長になったら?

どうなんだろうね~ たしかにそれぞれ安定するかもしれないけれど、結局100%ではないよね~

それにいくら確率が上がっても、自分がどちらに入るかは誰もわからないよね~。

結局、資格も仕事も学歴も、お金だって予期せず変化するもの。

そんな不安定なものを支えにしてしまったら、それこそその支えが取っ払われたとき、ころんじゃうし、それに頼っていただけに、起き上がれなくなっちゃうんじゃない?

止まっているコマを四方から支えて自立させたって、その支えがなくなってしまったんじゃぁね~

じゃぁさぁ、どんなときに独楽って一人で立っていられる?

勢いよく回っているとき。

これを人にするならば「自分の軸」を持って「行動しているとき」「チャレンジしているとき」なんじゃないかな~。

資格も仕事も学歴も仕事もお金も、自分を成長させるための道具でしかないと思うんだけど、どうかな?

結局は変化(成長)することが安定につながっていくって私は思うんだけどね~。

それでね、独楽のたとえを続けるならば、勢いよく回っていればさ、もしその場所で弾き飛ばされたって、また違う場所できちんと倒れずに周り続けられるってことにもつながるような気がするんだよね。

ということで、

「安定」とは、「行動・チャレンジ」によって「成長」することなんじゃないかな?

 

と、こんな授業を今日したけれど、ちょうどそれと同じくして、公教育を選ばずに(学歴を選ばずに)大人になったサドベリー教育OBの鈴木一真さんがこんなブログをアップしていました。→サドベリー教育の卒業生たちは今

サドベリー教育についての本はこちら↓

「生きる力」の強い子を育てる 人生を切り拓く「たくましさ」を伸ばすために (人間性教育学シリーズ)

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  • 出版社飛鳥新社

幸せの戦後史

第二部 家族の変容と個の漂流

第三章「強い個」への欲望

なぜオウム真理教が存在しえたのか。

総中流化キャンペーンから大衆教育社会につながった。

実際には学歴社会の平等というウソが晒されたにも関わらず、過剰な教育投資によって「学歴エリート」が大量につくられた。

この「学歴エリート」は実際は中身は千差万別であったが、その「ブランド」を手に入れることで、たとえその仕事がホワイトカラーとは遠いものであり、自分の階層を上昇したという事実がなかったとしても、ある程度の満足感を満たすものだった。

そんななか、一部の本当のエリートが危機意識を持ち、それを可視化するための方法として、ひとつはブランドなどを身にまとうこと、そして、もう一方として、自己を高め、覚醒するという方法があり、80年代のオカルトブーム、超能力ブーム、世紀末ブームという後押しもあり、一部のエリートがその答えを求めてオウム入信した。

入信したエリートが口をそろえていっていたのが、「明快な答えをくれる」

 

一方女性は、もので自分を取り繕うものの、いったい自分はなんのために生きているのかという普遍的な答えがだせない一定の人が、流れ流れてたどり着いたオウム。

流れついただけだったとしても、全財産を寄付したということが消費社会に対する強い意志ということで、カリスマ性をもっていたりした。

 

オウムは集合的仏教のような形をとっており、混乱し、複雑化する現実と虚構にマッチしていた。

冷戦が終わり、「このまま永久に経済活動はつづいていく」という前提に世の中が続いており、終わらない日常にうんざりしかけていた。

そこに、終末論を説き、そこを生き抜くための選民思想。選ばれるためにより強い「個の力」を手に入れるという流れ。

そしてその立場になることで、人の生死も決めてよいのだ、というところにつながり「ポア」が実行される。

 

人がこの時代に苦悩と困難を超越し、何物にも制約されることのない金剛の心を求めたことに対し、オウムはそれに対する回答を返した。(完全に途中で道を誤ったが)

麻原は独創的なイノベーターではなく、市場のニーズに敏感なマーケターであり、ディベロッパー。

 

感想

印象的だったのは、「自分の問いに明快に答えてくれる人、もの、ことにすがりついてしまった」ということ。

学校で答えにたどり着くことがよしとされ、そのトレーニングをひたすら積んできた人が、その明確な回答に陶酔してしまった。

答えは与えてもらうもの、という結末のひとつのような気がした。

今は自分はどうかとおもうと、どこかの感覚で、80年代後半から90年代の「ずっと続く日常」という感覚はない。

このままいったら「終わる」のだろうなという意識は当時よりも強いような気がする。

 

ここで第2部が終わり。

ざっくりいうと、

国家の物語(戦後復興)→家族の物語(階層上昇・総中流)→個の物語

まさにマーケティングもそれに呼応している。

 

次は、第三部 アメリカの夢と影

ここはここで楽しみ。

「幸せ」の戦後史

「幸せ」の戦後史

  • 著者菊地 史彦
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  • 出版日2013/04/05
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  • 単行本419ページ
  • ISBN-10479870136X
  • ISBN-139784798701363
  • 出版社トランスビュー

明日はママーズ(学級サポーター学習会)四期生

今回の宿題は、自分の身の周りで起きたことに対して、フロイト的視点とアドラー的視点で考えてレポート、という一見するとなかなかハードな宿題。

それでもそれぞれが自分の事例について書いてくれて、こちらもなるほどな~と思うこともたくさんあり、よい学びとなりました。

「働くこと」

「子育てについて学ぶこと」

「愛犬が病気になってしまったときのこと」

「乾電池のサイズを間違って買って来て泣き始めたこと」

「対人関係で嫌な感情になること」

そのほかいろいろと、それぞれについて2つの考え方で考察してもらいました。

ひとつのことを学ぶときに、その対極にあるもの、あるいは、違いのあるものと同時に考えると、それぞれの主張などがより明確になり、わかりやすいなと思いました。

以下、ヒューマン・ギルドが出版している「アドラー心理学教科書」より

アドラー心理学と古典フロイト心理学との比較

アドラー:人間は社会的存在である。 フロイト:人間は動物的存在である

アドラー:人間行動の目的を理解する フロイト:人間行動の原因を理解する

アドラー:治療とは勇気づけである  フロイト:治療とは洞察である

アドラー:人間を援助しようとする  フロイト:人間を理解しようとする。

などなど

 

ちなみに乾電池のサイズを間違って買って泣き始めたときについてはこんな感じですかね。

アドラー(目的的)

泣くことで、なにか達成したいことがある。例えば、自分の気持ちを聞いてもらいたい、とか、自分にはどうしようもできないと見せかけ、ほかのだれかに乾電池を買ってきてもらいたい、とか。

フロイト(原因的)

自分の欲しいものが手に入らなかったから泣く。サイズが違っていて動かしたかったものが動かないから泣く。などなど。

 

気になった方は、ぜひこちらで購入を→http://www.hgld.co.jp/products/index/7/page:2

 

↓この本も面白いです!

比べてわかる! フロイトとアドラーの心理学 (青春新書インテリジェンス)

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  • ISBN-104413044304
  • ISBN-139784413044301
  • 出版社青春出版社