「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾の一尾 茂疋(いちお しげひこ)です。
「勇気はいかに回復されるのか」
第二章、勇気とは何か。
前回は、仕事の課題での勇気でした。
今回は、3つの課題のうち、一番メインであろう交友の課題に対する勇気
「この人はよい友人であるが、他の人を怒らせることを怖れない。
しかし、いつも他の人の幸福に関心があるだろう。
この人は有用で適切な手段で他の人の人生に自発的に貢献するだろう。
われわれはこの人が他の人から賞賛されることを待つのを見ないだろう。
控え目に、ためらったり、内向的に行動するのも見ないだろう。
このようなことはただ臆病(の表れ)でしかない。」
このあたりは岸見先生との対談を思い出す。
自分が納得がいかない、おかしいと思った事柄なのであれば、上司であろうと、友人であろうと、きちんと話し合いをする、ということ。
相手は怒るかもしれない。
でも、そのやり方ではお互いが幸せになれない、という思いのもとにできるかぎり話し合いをする、ということ。
ただ、できるかぎりやったのであれば、それはそれでもうよいのだとも思う。
ヒューマンギルドの岩井先生は、そういう場合はその人間関係は「卒業」だと思えばいいのでは?と提案されていた。
このあたりは、いろいろなスキルや考え方を持っていることが必要かもしれない。
話し合いの仕方。
課題の分離。
私メッセージ。
共感、信頼、尊敬、対等。
そして、原因を追究するのではなく(目的論)、相手の性格を責めるのではなく(対人関係論)、ひとりひとりが違うものを見ている(認知論)ということを認め、そしてどういうことであれ、自分で決めることができる(自己決定性)という考えを持つことは欠かせないと思う。
そして、勇気がある人は、人からほめられたりすることを期待しない、ということ。
賞賛を求めて行動をする人は、勇気が足りていないということになる。
また、賞賛を求めている人の行動力はたかが知れているような気もする。
勇気がある状態とは、自分が自分であることを認め、相手に迎合することはないが、相手の幸せを考え、対等に話し合える状態。
人から褒められようが、叱られようが(本では、賞賛になっていたけれど、賞罰はセットだと思うので)、やるべきことはやる。
そういう状態。
自分のやることを卑下せずに、かといって謙虚さも失わずに、スッと行動に移せる状態。
そんな感じかな。
そんなものを目指して教育に関わっていこう。
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