「気づき」と「人間力」の教育 一尾塾の一尾茂疋(いちお しげひこ)です。
「勇気はいかに回復されるのか」
現在第一章。失われた勇気。
この章の最初に、なんのために勇気が必要なのかということに対して、3つの人生の課題についての内容があり(http://ameblo.jp/ichi75/entry-12057093296.html)、前回は、そこから逃避するために、人は自分の課題に取り組まないという選択をする、という内容(http://ameblo.jp/ichi75/entry-12057783083.html)。
今回は、なぜ課題から逃げるのか、という点。
ここではアドラーの言葉というよりも、それに基づいた岸見先生の意見が書かれている。
なぜ課題から逃げるのか。
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
目的論的にいうと、なぜ課題から逃げるのか、というよりも、
なんのために課題から逃げるのか、
ということになり、予測、予想のつかないことに遭遇しないために避ける、逃げる、ということになる。
ここでいう課題は、対人関係ということもできる。
そして、予測がつきにくいものの筆頭が他者であり、子どもであり、実は夫婦だったり(そもそも夫婦は他者)
ということで、ここで「なんのために人生の課題から逃げるのか」、ということを再定義すると、
自分の予想、予測を越えてしまうことに怖れがあり、それを避けるために、他者との関係(課題)を避ける。
ということになる。
そこで、アドラーは逆説的に、それではもしすべてのことが予測できたら人生はどうなのだろうか?という問いかけをしている。
なにもかもが事前に分かっており、知っているという状態である。
たしかにそういわれると、そこに生きる醍醐味というものがないような気がする。
もう分かっているのであれば、やらなくていい、というようになる気がする。
そして、アドラーは、変化や不確実性が否定できないことであるわけだから、
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
![](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
として、変化、不確実性を協力、貢献へのチャンスであると捉えている。
このように不確実性や変化を捉えていれば、怖れも減るのではないかと思う。
結果、人生の課題からの逃避も減少する、という流れか。
このあと、未来への恐れということで、「将来への恐れ」そして、「死の恐れ」について書かれている。
いずれも、自分ではコントロールできないことに対する恐れである。
次は、その逃避するということに対しての具体的事例になる。
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アドラー心理学入門編@瀬戸市
8月10日(月)→https://www.facebook.com/events/1439871019654376/