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武田邦彦 「電力はなぜ足りたのか? 関電が向いている方向」 2012.09.10


武田邦彦 「電力はなぜ足りたのか? 関電が向いている方向」 2012.09.10
crescent421 さんが 2012/09/11 に公開
武田邦彦さんのブログ『電力はなぜ足りたのか?シリーズ3 関電が向いている方向』(9月10日)の音声。
ブログリンク → http://takedanet.com/2012/09/post_a17c.html

電力はなぜ足りたのか?シリーズ3 関電が向いている方向


関西が今年の猛暑を乗り切ったのは、関電が原発再稼働無しに供給できると言っていた約2500万キロワット(後同じ)に対して、原発再開によって3000になった。これに対して、最大消費量は約2700だったからだと関電は説明した。

でも、大飯原発は2基で230だから、3000-(2500+230)=270万キロワットは原発ではない。つまり、「原発は必要か」を論じていた5月頃、関電が示した2500は「原発を動かさなければ」という意味ではウソだったのだ。

さらに、このブログにも書いたように、関電が動かそうと計画している量が2500とか3000であり、決して最大能力ではない。このことについて読者の方からのご協力で、次のことが新たにわかった。

まず、関電が原発依存を高める中で計画を中断していた和歌山火力(370万キロ)の再開の準備をしていなかったこと、2006年に廃止していた高砂火力(90万キロ)は動かすことができた。このほかに多奈川第二発電所(2005年休止)、宮津エネルギー研究所(2004年休止)、姫路第二(330万キロで半分だけ運転)などが休止している発電所だ。

昨年、関電が原発の再開を心配している関西の人に配慮して、これらの発電所を整備して稼働すれば、和歌山火力を除いて 70+165+90+347=672万キロワットからの電気が生産できた.そうすると、原発再開をしないで調達できる電気量は、2500+672=3172万キロワットだから、実際の消費量2700を遙かに超えるし、予想された最大消費量の3000もクリアーしていたのだった。

原発を動かすために関電が使った表は、発電所一覧に「停止中の発電機なし」と書いてあることだ。現実には停止中が多いのだが、これに対して関電は「計画的に停止しているものは、停止中の発電機に入りません」という説明をしている。

こんな日本語はない。このブログでも解説したように、電力会社の「供給電力」というのは電力会社が「供給しよう」と思ったもので、「発電機の量」ではないからだ。こんなに甘えたことが許されるのは電力が独占だからに他ならない。

これに福島事故のあとすぐ計画すれば来年にでも稼働できる和歌山火力の370を足せば、関電は原発無しに3540万キロワットがあり、当面、まったく電力には心配が無いという恐ろしいことが分かる。またこの計算には自家発電、他電力からの融通の努力不足などが含まれていないから、それを足すとおおよそ4000万キロワットの出力を持っていると推定される。

つまり、自分のお金(火力など)を出したくないので、4000円持っているのに、3000円もないといい、他人のお金(原発)で済まそうということなのだ。

関電は関西の人からお金をいただいている.その人達は「原発を動かさずにすめば動かしたくない」と希望していた。関電がお客さんの方を向いていれば、3540万キロとか4000万キロという数字を示していただろうし、その方が関電は信用が高まる。

最近、ある講演会に行ったら、電力会社の方がおられたが、その方に対して司会者が「良く出てこられた」と言っていた。電力会社は堂々たる会社なのに、社会に出てこれないような惨めな団体になった。まるでアウトローの取り扱いだが、それでは先輩が泣くだろう。

この際、関電は「全力を挙げたら、原発をやらずにこのぐらいは出せます」という「身を切るような」数字を出してみたらどうだろうか。日本のほとんどの会社はそうしているのだから。

(平成24年9月10日)
武田邦彦

20120920 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章


tacc77 さんが 2012/09/20 に公開
プルトニウム問題の核心・MOX燃料の大間原発の建設再開・廃炉問題の整理 小出裕章
http://hiroakikoide.wordpress.com/2012/09/24/tanemaki_2012sep20/

・建設再開合意したフルMOX 大間原発の問題点
・プルトニウム問題の核心
・廃炉の問題点の整理。実用規模の原子力発電所を解体した例は、世界中1つもないということなど
についてです。



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MBS1179『たね蒔きジャーナル』終了の公式発表
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2012年秋の改編について
http://www.mbs1179.com/201210/

毎日放送「たね蒔きジャーナル」打ち切りに抗議して、
すみやかな番組復活を求めます。
http://www.news-pj.net/request/pdf/2012/tanemaki-0918.pdf

2012年9月20日、東京新聞の記事「たね蒔きジャーナル打ち切り」に、
小出裕章氏のコメントが掲載されました。
http://fb.me/1f25TwMkS

神保哲生 「原発ゼロに反対する側の論理」 2012.09.11


神保哲生 「原発ゼロに反対する側の論理」 2012.09.11
crescent421 さんが 2012/09/11 に公開
TBSラジオ・Dig パーソナリティ:神保哲生、外山恵理
ゲスト:共同通信編集委員・井田徹治さん、
青森県むつ市市長・宮下順一郎さん
富士通総研主任研究員・梶山恵司さん
「≪原発ゼロは選挙目当て≫経団連会長などから相次ぐ、反対意見をどう受け止めればいいのか?」

Bootlegs - Woong San LIVE TOUR Japan 2012 Autumn

$I have a thing about ・・・・

1st ラスト曲。

 曲名が分かりません。(>_<) 誰か教えて!



 カズーは、ウンサン。

 本来、彼女の本領はこっち系にあるんだろうね。ライブの2ndのラストは、なんと、Stormy Mondayだったもの。

武田邦彦 「電力はなぜ足りたのか? 関電の能力」 2012.09.08


武田邦彦 「電力はなぜ足りたのか? 関電の能力」 2012.09.08
crescent421 さんが 2012/09/07 に公開
武田邦彦さんのブログ『電力はなぜ足りたのか?シリーズ2 関電の能力』(9月8日)の音声。
ブログリンク → http://takedanet.com/2012/09/post_b6f3.html
電力はなぜ足りたのか?シリーズ2 関電の能力


この夏の電力危機を乗り切った理由として、関電は次のように説明しています。(単位はすべて万キロワット)
大飯原発再開前の発電計画   2542
大飯原発再開後の発電実績   2988
予想された8月の最大消費   2982
関西地区の最大消費(8月)  2682

【関電の説明】大飯原発を再開しなければ関電が供給できる電力は2542万キロワットでしたが、大飯原発を再開できたので2988万キロワットを生産できました。一方、これまでの実績から猛暑の8月に予想された消費量は2982万キロワットだったのに対して、皆さんが協力してくれて2682万キロワットに留まったので、2988の生産能力に対して、2682を消費したので安定した電力供給ができました。

この説明を聞いて、多くの人が納得するでしょう。それは、「ああ、そうか。原発を稼働させて、自分たちも節電したから、何とか乗り切ったのだな」と思うからです。原発の再稼働も正しく、努力も報われたと感じるのですから、自己満足も得られ、とてもいい気分になるからです。政府や大阪市への信頼感も出るでしょう。

でもこれは「優れた頭脳の働きをズルに使う」という模範的(詐欺的)な回答です。これは学校教育の失敗が原因です。つまり、もっとも大切なことを回答せず、形式的な回答をすることによって、本当に必要なことを隠すという高級な手口で、これで学校では100点がもらえるところに問題があります。

この回答のどこが「詐欺的」であるかというと、「なぜ、大飯原発を再開しなければならなかったのか?」という疑問に何も答えていないからです。真に原発の危険性を心配している人が知りたいのは、このような数値ではなく、次の数字なのです。

関西電力が製造・調達ができる最大電力量は以下の8つを合計したものです。
1)8月に稼働した火力発電所の最大発電能力
2)稼働しなかったが設備としては存在する火力の最大発電量
3)火力・原子力以外の発電量の内、8月に稼働したもの(水力など)
4)他電力から融通を受けることができる最大電力量
5)企業の自家発電の稼働を要請することによって補填する最大電力量
6)個人の太陽光発電など分散電源
7)原発の電力量

・・・・・・・・・

もし関電が「良心的な企業」であったとします。多くの人は電力会社は隠すのが当然だと思っていますが、独占的販売権を持っているのですから、そのかわり「正直である」というのは必要なことです。

関電「皆さんができれば原発を再稼働させたくないとお考えのことは良く知っています。そこで原発が再稼働しない状態で、関電社員一丸となり、また関係会社にもご協力を得て、「原発を再稼働しない場合の最大調達量」を計算しました。」

関電「その結果、上記の1」から6)を合計すると、3500万キロワットになります。猛暑の時の最大消費量は3000万キロワットになりますから、この夏は原発無しに乗り切ることができますし、皆様も特別な節電は必要ありません。でも調達できると考えられる3500万キロワットの内、他の電力会社からの融通、自家発のご協力などは不確定です。また発電所のトラブルも考えられます。その場合はギリギリになりますから、その時は節電をお願いします。」

つまり、関電の説明は「原発を動かすために、他の電気を得る方法をサボれば」という仮定が入っていたのです。それに計画より増加した400万キロワットのなかで実は200万キロワットは原発以外ですから、ここもトリックが入っています。

大飯原発の再開問題というのは、「原発の再稼働に反対する人がいなければ、再開すればいつもの年のように過ぎる」のは当たり前です。でも「原発の再稼働を心配している人がいるから、検討する」というものだったのですが、実は「原発を動かさないでも大丈夫か?」ということを「誰も考えなかった」のです。

トリックというのは恐ろしいものです.特に頭の良い人が集団でズルをしようとするとこのようになるという典型的なことですが、関電の幹部の方にも良心的で国民のことを考えている方が一人ぐらいはおられるでしょうから、ぜひ、1)から6)を示してください。

また、これで終わりではなく、来年がありますから、次の2つを追加しなければなりません。
1)大急ぎで火力発電所を建設する敷地も持っている場合の発電量と建設期間(突貫でやれば、3年.発電量は1000万キロワット程度と推定される)
2)自家発電、他電力の融通枠を緊急に増やすことによって調整できる電力枠(おそらく400万キロワットぐらい)
これで原発無しで4000万キロワットレベルに達しますから、関電管内の電力不足は3年後には解消すると考えられます。またこの時の電気代は現在より少し安くなると考えられます。このことについてはすでに整理しましたが、また機会を見て整理します。

(平成24年9月8日)
武田邦彦

ジャッキー・チェン主演映画『1911』

 残念ながら、一部の志の高い人たちの間だけの話しではあるが、革命の志を共にした同志としての歴史もあると言うことだけは忘れないでおこう。

ぼくは別にアナーキストでも、リバタリアンでもないけれど、近代国家というものは、小さな良いところもろもたくさんあるけれど、とんでもない大きな災厄をもたらすことの方が多いと思うんだよ。

この頃と比べると確かに豊かにはなったけれど、なんにもかわんないよねという風につくづく思う。


entermeiteleeiganavi さんが 2011/10/25 にアップロード
『1911』2分の映像で学ぶ清朝末期と辛亥革命前夜
2011年11月5日より 丸の内TOEIほか全国にて
配給:東映
公式HP:http://www.1911-movie.jp/
 (C) 2011 JACKIE CHAN INTERNATIONAL CINEMA CULTURAL HOLDINGS LIMITED JACKIE
& JJ PRODUCTIONS LIMITED All Rights Reserved.


ジャッキー・チェン主演映画『1911』予告編映像
cinematoday さんが 2011/08/14 に公開
中華民国建国のきっかけとなった辛亥革命100周年、ジャッキー・チェン映画出演100本記念の歴史巨編。理想に燃える民衆たちが、新たなる中国を築き上げようと奮闘する­姿にカメラが肉迫する。ジャッキー・チェン自身が総監督を務め孫文の参謀の黄興を熱演し、その妻を『ドラゴン・キングダム』に続いての共演となるリー・ビンビンが好演する­。監督は、『レッドクリフ』シリーズで撮影監督を担当したチャン・リー。歴史の陰に埋もれた名もなき人々の物語が感動を生む。
配給:東映
http://www.1911-movie.jp/

 (C) 2011 JACKIE CHAN INTERNATIONAL CINEMA CULTURAL HOLDINGS LIMITED
JACKIE & JJ PRODUCTIONS LIMITED All Rights Reserved.


辛亥革命.rmvb
shuimch さんが 2011/09/25 にアップロード
説明はありません。


 孫文その人について。

孫文〈上〉武装蜂起 (中公文庫)/中央公論新社

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孫文革命文集 (岩波文庫)/岩波書店

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孫 文(そん ぶん、1866年11月12日 - 1925年3月12日)は、中国の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。中国国民党総理。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」、中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として近年「国父」と呼ばれる。海峡両岸で尊敬される数少ない人物である。
中国では孫文よりも孫中山の名称が一般的であり、孫中山先生と呼ばれている。1935年から1948年まで発行されていた法幣(不換紙幣)で肖像に採用されていた。現在は100新台湾ドル紙幣に描かれている。

 略

明治維新と孫文の革命観
保坂正康によれば、宮崎滔天や山田良政・山田純三郎らが孫文の革命運動を援助した理由のひとつは、明治維新または自由民権運動の理想が日本で実現できなかったことの代償であったという。しかし孫文自身も1919年に次のように発言している
そもそも中国国民党は50年前の日本の志士なのである。日本は東方の一弱国であったが、幸いにして維新の志士が生まれたことにより、はじめて発奮して東方の雄となり、弱国から強国に変じることができた。わが党の志士も、また日本の志士の後塵を拝し中国を改造せんとした。
また1923年には、次のように発言している。
日本の維新は中国革命の原因であり、中国革命は日本の維新の結果であり、両者はもともと一つのつながって東亜の復興を達成する
このように明治維新への共感にもとづき日中の連携を模索した孫文にとって、日本による対華二十一ヶ条要求は「維新の志士の抱負を忘れ」、中国への侵略政策を進展させることであった。



日本との関係 [編集]

孫文は生前、日本人とも交遊関係は幅広く持っていた。犬養木堂(毅)の仲介を経て知り合った宮崎滔天や頭山満・内田良平らとは思想上も交遊し、資金援助を受けてもいた。また、実業家では、松方幸次郎、安川敬一郎や株式相場師の 鈴木久五郎、梅屋庄吉からも資金援助を受けている。日本滞在中に日本人女性と結婚して孫文に非常に良く似た容姿の娘をもうけたが、帰国後に母子に対して経済的な援助を一切行っていない。
ほかにも日本陸軍の佐々木到一が軍事顧問にもなっている。ほか、南方熊楠とも友人で、ロンドン亡命中に知り合って以降親交を深めた。
また孫の自伝『建国方略』の文書中では、犬養毅・平山周・大石正巳・尾崎行雄・副島種臣・頭山満・平岡浩太郎・秋山定輔・中野徳次郎・鈴木久三郎・安川敬一郎・大塚信太郎・久原房之助・山田良政・宮崎寅蔵・菊池良一・萱野長知・副島義一・寺尾亨の名前を列挙し、深く感謝の意を表している




 孫文と日本時の関わりについて。

孫文の辛亥革命を助けた日本人 (ちくま文庫)/筑摩書房

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評伝宮崎滔天/書肆心水

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三十三年の夢 (岩波文庫)/岩波書店

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宮崎 滔天(みやざき とうてん、明治3年12月3日(1871年1月23日) - 大正11年(1922年)12月6日)は、日本で孫文達を支援して、辛亥革命を支えた革命家、および浪曲家である。浪曲家としての名前は桃中軒 牛右衛門(とうちゅうけん うしえもん)。
略歴
本名は寅蔵(もしくは虎蔵)。白浪庵滔天と号した。肥後国玉名郡荒尾村(現在の熊本県荒尾市)に郷士宮崎政賢(宮崎長兵衛)の八男で末子として生まれる。兄に社会運動家の宮崎八郎、宮崎民蔵、宮崎彌蔵がいた。父には山東家伝二天一流を兄たちとともに習っている。熊本で徳富蘇峰が主宰していた私塾「大江義塾」でキリスト教や自由主義思想を学び、閉鎖まで義塾で就学した。その後上京し、東京専門学校(後の早稲田大学)に入ったが、大江義塾との学風の違いからすぐに中退した。その後自由民権運動を識り、またキリスト教に帰依、その後アジア革命(アジア主義運動)に関心を深めた。
1891年(明治24年)、初めて上海に渡航した。おりしも東学党の変があり、日本と清国との交渉はついに切迫し、岩本千綱とともに暹羅植民開拓事業に着手したが、志を得ることなく帰国し、外務省の命によって中国秘密結社の実情観察におもむき、中国革命党員との往復があった。
1897年(明治30年)に孫文(孫逸仙)と知り合い、以後中国大陸における革命運動を援助、池袋で亡命してきた孫文や蒋介石を援助した。一旦はこの運動に挫折し、自分を見つめ直す意図で桃中軒雲右衛門に弟子入りし、桃中軒牛右衛門の名で浪曲師となる。しかし革命の志を捨てたわけではなく、1905年(明治38年)には孫文らと東京で革命運動団体「中国同盟会」を結成した。なお滔天は辛亥革命の孫文のみならず朝鮮開化党の志士金玉均の亡命も支援しているが、その金玉均が上海で暗殺された後に、遺髪と衣服の一部を持ち込み日本人有志で浅草本願寺で葬儀を営むという義理人情に溢れた人物であった。
1898年(明治31年)、戊戌の政変においては香港に逃れた康有為をともなって帰朝し、朝野の間に斡旋し、1899年(明治32年)の米比戦争においては参画するところがあった。
哥老会・三合会・興中会の3派の大同団結がなり、1900年(明治33年)恵州義軍が革命の反旗をひるがえすと、新嘉坡<現在のシンガポール>にいた康有為を動かして孫文と提携させようと謀った。しかし刺客と疑われて追放命令を受け、香港に向かったもののそこでもまた追放令を受け、船中において孫逸仙と密議をこらしたが、日本国内における計画はことごとく破れ、資金も逼迫し、政治的画策は絵に描いた餅になってしまった。
この時期に半生記『三十三年の夢』を著述し、1902年(明治35年)に『狂人譚』と共に、國光書房で出版した。1907年(明治40年)頃より『革命評論』を編集発行、1912年(明治45年)1月に、口述筆記『支那革命軍談 附.革命事情』(高瀬魁介編、明治出版社)を出版し、辛亥革命の宣伝につとめた。亡くなる前年まで大陸本土に度々渡航した。腎臓病による尿毒合併症により東京で病没した。
上海でも孫文ら主催で追悼会が催された。東京文京区の白山神社境内には孫文が亡命中に滔天とともに座った石段が孫文を顕彰する碑とともに保存されている。 日本人として、山田良政・山田純三郎兄弟とともに辛亥革命支援者として名を残す。

醇なる日本人―孫文革命と山田良政・純三郎/プレジデント社

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山田 良政(やまだ よしまさ、慶応4年1月1日(1868年1月25日) - 明治33年(1900年)9月22日)は、辛亥革命に参加した革命運動家である。熊本の宮崎滔天と並び称される孫文の支援者であった。
陸奥国弘前(現・青森県弘前市)に津軽藩士の子として生まれる。青森師範中退。
近所に住んでいた陸羯南に師事。北海道昆布会社上海支店勤務。日清戦争の際には陸軍通訳官として従軍。その後孫文の革命運動に参加。義和団の乱の際、恵州起義に参加し清軍の捕虜となり処刑された。
実弟の山田純三郎も兄の遺志を継いで孫文を支援した。伯父に菊池九郎がいる。

山田 純三郎(やまだ じゅんざぶろう、1876年5月18日 - 1960年2月18日)は、辛亥革命に参加した革命運動家、山田良政の実弟である。
青森県弘前生まれ。伯父・菊池九郎が創立した東奥義塾を卒業後、室蘭炭礦汽船を経て上京、青森リンゴ販売商となる。兄の影響で東亜同文会に合格し上海に渡りその後南京同文書院(後の東亜同文書院)に入学。この頃、兄に孫文を紹介されている。その後、同書院教員、日露戦争での通訳に従軍後、南満州鉄道に入社。
上海以来、終始兄の遺志を継ぎ孫文を支援、第一次世界大戦中の第2次大隈内閣による対華21か条要求など日本政府と袁世凱政権の関係悪化による孫文の対日不信の中にあっても孫文は山田を信頼し、再び孫文が政権を回復した場合、日本軍は孫文に協力する旨の日中盟約を秋山真之海軍軍務局長が作成、その孫文との仲介を行っている。しかし秋山は、日本政府の袁世凱支持方針を害する者として左遷された。
袁世凱の後を継いだ段祺瑞政権下においても孫文は山田を信頼し続けた。山田は頻繁に孫文と会合を持ったが、常に日本官憲の監視下におかれた。1925年北京での孫文臨終の際に立会いを許された唯一の日本人であった。
その後、山田は1945年の日本敗戦まで上海で過ごした。

革命をプロデュースした日本人/講談社

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梅屋庄吉(うめや しょうきち、明治元年11月26日(1869年1月8日)- 昭和9年(1934年)11月23日)は、日本の実業家。アジア主義者。
略歴
長崎県生まれ。幼少期、土佐藩経営の土佐商会の家主もあった貿易商・梅屋家に養子入りする。一時は米穀相場に失敗して中国へ退転したが、写真術を学んで写真館を経営するなど、香港で貿易商として地位を築いた。
中国革命を企図した孫文に多額の資金援助をし、辛亥革命の成就に寄与している。革命後も、孫文と宋慶齢との披露宴を主宰するなど、たびたび日本に亡命した孫文への援助を続けた。また、頭山満、犬養毅、山田純三郎、宮崎滔天らアジア主義者らと集い、フィリピンの独立運動にも関与している。
その後、映画事業に取り組んで白瀬矗の南極探検や辛亥革命の記録映画を製作し、これらの事業で得た多額の資金を革命に投じている。
千葉県夷隅郡長者町の別荘において孫文らと秘密の会議をしばしば行なった。この別荘は高い塀と樹木に囲まれており、外部からは内部の様子が殆ど見えず、場違いの白亜の館らしものが見える状態になっている。
日中関係の悪化に伴い、外相・広田弘毅に改善の談判に赴こうとした途上、最寄駅である外房線三門駅にて倒れ、急死した。65歳歿。


近刊ではこのようなものもある。
日中百年の群像 革命いまだ成らず(上)/新潮社

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神保哲生 「2030年の電気料金」 2012.09.04


神保哲生 「2030年の電気料金」 2012.09.04
crescent421 さんが 2012/09/04 に公開
TBSラジオ・Dig 神保哲生さんのニュース解説。
約20年後(2030年)の電気料金の報道の問題について。

2012.09.03 武田邦彦 節電の錯覚・・・困るのは電力だけではない


2012.09.03 武田邦彦 節電の錯覚・・・困るのは電力だけではない
hiruyan さんが 2012/09/03 に公開
武田教授のブログに、「節電の錯覚・・・困るのは電力だけではない」というコメントが「音声」で上がりましたので、アップしました。
元ブログ
「節電の錯覚・・・困るのは電力だけではない」→http://takedanet.com/2012/09/post_0719.html
です。
節電の錯覚・・・困るのは電力だけではない

もし節約が必要なら、未来に影響のないものから始めなければなりません。それは贅沢品や住宅を小さくするなどです。もっともしてはいけないのが「省エネ」や「節電」です。(同じ事をするのにエネルギーが少なくてすむ「省エネ」は技術としてはよいのですが、活動を制限する省エネは子供に悪い影響を与えます。)

学校で電力会社が教育にきて、省エネルギーの授業をしているそうです。この場合の省エネとは「石油はあと42年しかないから節電しろ」ということで、それを子供達に教えているということです。子供達は早速、家庭に帰って「活動量を減らさなければ」という意味のことを言っているらしいのです。

子供に教えることなので、当然ですが、真実でなければなりません。紙のリサイクルや地球温暖化の時のことを思い出します。でも、これには2つの問題点があります。

まず、第一に日本人の真面目さでどうしても「みんなが知っている数字」を使うということです。この性癖はまさに「病気」と言っても良いほどで、「ハッキリと間違っていると分かっていることでも、みんなが知っている数字を使いたい」という配慮型なのです。いわば日本人が大切と思っているのは「事実」より「空気」と言うことを示しています。

石油の寿命は今から40年前にも40年、40年たった後でも40年と言われ、40年というのは実際の寿命でないことは常識的にも明らかです。

グローバル時代と言われるのに、諸外国の状態と隔絶していてもあまり気にならないのも特徴的です。たとえば、アメリカでは100年後のエネルギー政策が石油などの化石燃料に依存しているという事実もあるのに、40年と言い続けます。

また石油会社はメジャーと呼ばれるほどの巨大な会社で、あと40年しか石油が持たなければ「代替エネルギー」の投資するはずなのに、石油、天然ガスに主力をおいています。このことが何よりも「石油、天然ガスは当面は枯渇しない」という証拠です。

エネルギーや電力の話になると、ドイツが登場してきて、アメリカやメジャーの戦略がまったく語られないのはなぜか、これも考えなければなりません。

では、なぜ40年という話になるのでしょうか? それは石油会社が油の相場を下げたくないこと、官僚が代替エネルギーで利権を得ようとして、その利害が一致しているからです。でも日本以外の国は、このような幼稚な判断では国民は動きません。

・・・・・・・・・

第二の理由は日本の電力会社が「電気を少なく売っても利益は同じ」、「電気を高く売っても利益は同じ」という特殊な収益体質になっているからです。これは独占によるものです。

石油や石炭が必要なのは、電力だけではありません。鉄鋼、自動車、テレビ、液晶、太陽電池、シャンプーからトイレット・ペーパーに至るまで、エネルギーは必要です。1972年の第一次石油ショックの時に「石油がなくなる」と言ったら真っ先にスーパーから消えたのがトイレット・ペーパーだったことを思い出せば、よく分かります。

自動車の販売店に行くと「良い車がありますから」と買うことを進めますし、家電量販店に行くと所狭しと新型テレビがならんでいます。大量のエネルギーを必要とするという点では、電気も自動車もテレビも同じです。

でも、日本人の場合、誰も「エネルギーが無くなるから、自動車やテレビを買わないようにしましょう」と言いません。これほど奇妙なのに、電気だけがエネルギーに関係しているように「節電」と言って、多くの日本人が満足しているのですから、「NHKの洗脳」というのがいかに恐ろしいかがわかります。

電気も工業製品といって問題はありませんが、住宅、ビル、道路、自動車、鉄鋼、繊維、ガラス、テレビ、パソコン、冷蔵庫から日用雑貨に至るまで、エネルギーをふんだんに使うものです。なぜ同じ工業製品なのに、電気だけが節電だけが叫ばれるのか、その後ろに何があるのか、無批判に子供に節電や省エネを教える事を止めなければなりません。

8年ほど前、日本経済新聞に大きく「環境教育」という記事が書かれ、その中で「小学生に、温暖化し、南極の氷が融け、海水面が上がって、ツバルが沈んでいるという映像を見せたら、児童が青ざめていた。環境教育の重要性が実証された」という記事をおもいだします。

将来を担う子供達に、ウソを4つも映像で示して青ざめさせ、大人が利権をあさるのですから、本当に日本人の「子供を大切にする社会」はどこに行ったのでしょうか?

(平成24年9月3日)


武田邦彦

崎山敏也 原発関連ニュース 2012.09.04


崎山敏也 原発関連ニュース 2012.09.04
crescent421 さんが 2012/09/04 に公開
TBSラジオ・Dig 崎山敏也さんの原発関連ニュース。

2012.08.09 武田邦彦 「エネルギー問題に発言する会」へのご質問


2012.08.09 武田邦彦 「エネルギー問題に発言する会」へのご質問
hiruyan さんが 2012/08/09 に公開
武田教授のブログに、「「エネルギー問題に発言する会」へのご質問」というコメントが「音声」で上がりましたので、アップしました。
元ブログ
「「エネルギー問題に発言する会」へのご質問」→http://takedanet.com/2012/08/post_27b7.html
です。
「エネルギー問題に発言する会」へのご質問

(この記事は「バッシングし合うより話し合い」を目指したものです。私たち技術者の目的は相手を罵倒するのではなく、最終的に人間の知恵の産物を人間の幸福のために使うことですから)

「エネルギー問題に発言する会」という会が10年ほど前にできて、原子力関係の技術OBの方が技術の立場から「正確な情報を提供する」(電気新聞)ことを目的に運営されています。

この会の発起人は原子力技術のそうそうたるメンバーで、私も個人的に存じ上げている方もおられますし、技術者としても人間としても尊敬できる方が多いのがこの会です。

しかし、福島原発以後、私とかなり違う見解を公に出しておられます。おそらく技術者同士ですから、議論すれば誤解は解けると思いますし、私が間違っていることもあると考えられますので、ここにブログ上ですが、ご質問申し上げます。

・・・・・・・・・ご質問・・・・・・・・・

貴会は、「東電福島原発事故後の福島県の復旧対策は、国際放射線防護委員会(ICRP)による「年間100mSv以下の放射線被ばくでは健康被害の報告は無い」という基本的考えに沿った防護基準を拠り所にして行なわれている。」としておられますが、次のことはご存じと思いますので、上記のご見解との関係をご説明いただくと、多くの方がより原発の安全性について理解が深まると思います.

1) 事故が起こらない場合の「公衆の人工的原因による被曝限度で医療を除くもの」は1年1ミリを限度としていること、

2) 原発の安全設計に当たっては、福島原発事故の前から安全設計が決まっていて、それに沿って原発が作られていたこと、

3) その安全設計の概念はこのページの下に示したように、事故の頻度と被爆の限度の関係で決まっていること(図は国際的に議論されていたもの)、

4) 従って概念上は、1000年に一度以下の事故なら1年1ミリを守る、1万年に一度の事故なら1年10ミリまで、さらに頻度が低い場合は1年100ミリまで限度を上げうる、

5) このような事故の頻度と被爆の限界についての概念は原発を有する先進国に共通した概念であり、技術的知見として共有されていた、

6) 我が国ではこのような国際的な概念に基づき、「きわめて希な原発事故の場合、1年5ミリまでの被爆を許容する」ということが明文化されていた(下に示した)、

7) また、事故時の被爆によって発生するガンの発生率は、事故が起こらない時の0.05%に抑制するとされていて(下に示した)、これは1年1ミリよりかなり厳しい数値である、

8) これらの概念、設計基準、運用などの情報は国民にも開示され、その約束のもとで原発を設計、建設、運転を行っていたこと、

9) ICRPは権威のある委員会ではあるが任意団体(NPO)であり、従来からICRPの勧告を日本政府が受け入れるかどうかは、日本国内の専門家の検討を経て、しかるべき手続きで採用されたり、されなかったりしてきた、

10) これらのことから、今回の事故は原発が計画されてから50年目の事故であり、かつ震度6と15メートルの津波であることから、100年に一度、あるいは1000年に一度程度の事故であるとされる、

11) 従って、技術者としては国民との約束と今後の原子力技術のことを考慮すると、1年1ミリの限度をあげるべき理由はない。

12) 技術者にとっては社会的約束(法規や基準など)のもとで技術の成果を問うべきと思う。その点で「事故以前には日本には事故が起こったときの基準は存在せず、ICRPの勧告にそのまま従う以外にない」という論理を私はなかなか理解できないでいる。

私が関係してきた技術的経験や公的な基準などから以上のように結論できますが、貴会は「ICRPが1年100ミリまで大丈夫」といったので、日本人の被曝限度は100ミリまでOKということで、強い影響力を発揮しているように思います.

決して、感情的にならず、相互に理解する道を拓いてください.私も個人で活動していますので、データや考え方が不十分かも知れません。間違いがあれば修正しますが、多くの方が今後の生活も含めて迷っておられますので、前向きのご回答を期待します.








(平成24年8月9日(木))
武田邦彦