グロ-バル経済とは勝ち組の一人占めを作る経済システム。

世界にある資産総額は変わらないので、負けた人のところから

より「しくみ」を上手く使った人のところにカネが集まるというシステムのことだ。

儲けとはすなわち、負け組の懐から取り上げた分のこと。

仕事の種類や、才能、教育階層、付き合う人間の職種などで、

地域でまとまってきた人間集団が、立場で再編されようとしているのがグローバリズム

スポーツの現場がそれを端的に表す。

スポーツの才能で背秋に出て成功するものもいる。

同じ才能でも、稼げるプロスポーツに行けば勝ち組で、

儲からないアマスポーツに行けば負け組扱いだろうか?

 

では、地域を離れて世界に行く一握りの才能を、支える一般国民の仕事はどうか?

若いうち、怪我や病気をしないうちだけ稼げるスポーツ界。

そのあとは?あるいは家族ができたとき、親、兄弟、子供、医療、教育は、

そのスポーツ界が担うのか?

 

経済政策で韓国大統領選を切ってくれているニュースは他に見当たらなかったので、

三橋貴明氏のブログからまた引かせてもらう。

韓国とフランスの例で、国内での立場によって、投票行動が分断されている様子が

よくわかる。

国内に超格差という立場の違いを作るグローバル経済のもとでは、

恩恵を受ける側と受けない側で、まったく経済政策の選び方が正反対になる。

よりため込んでいるなら、取られたくないから取られない政策の候補を選ぶし、

入ってこないで汲々の暮らしなら、富裕層とは分断されているので、

程度の差はあれ、フランス革命やロシア革命時のように、

経済的貴族に反感は持つだろう。

経済的な困窮で、政治なんか後回しになるのが普通の人間だろうと思うし。

国内の統一も助け合いもそこにはない。

殺伐とした敵対関係があるだけだ。

 

 

 

三橋貴明

 

朝鮮半島の危機

 

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12271785222.html

韓国大統領選 最大野党の文候補大幅リード
http://www.news24.jp/articles/2017/05/03/10360527.html
 >韓国の朴槿恵前大統領が罷免されたことに伴う大統領選挙を今月9日に控え、3日に発表された投票前最後の世論調査で、最大野党の文在寅候補が支持率42.2%と大きくリード。安哲秀候補は18.6%と失速、北朝鮮により厳しい姿勢の候補に支持が流れたか。(後略)』

 

 安哲秀の失速は、皮肉な話ですが、北朝鮮危機が深刻化するに連れ、彼よりも対北政策が厳しい洪準杓に、保守派の支持が流れてしまっているためです。


 安哲秀と洪準杓の支持率を合わせると、文在寅に迫ります。保守派が候補を統一することができたならば、勝負になるかも知れませんが、既に手遅れです

 文在寅の支持層を見ると、20代、30代、40代が50%超と高く、50代以降はガクッと減ります。つまり、文在寅を支持している中心層は、韓国の若い世代なのです。


 「恋愛」「結婚」「出産」「マイホーム」「人間関係」「夢」「就職」の7つを諦めざるを得ない、韓国の若い世代。いわゆる「七放世代」という言葉で総称される韓国の若者たちが、文在寅を支持しているわけです。


 そして、なぜ韓国の若年層失業率が高く、七放世代といった言葉が生まれるほどに困窮してしまったのかといえば、もちろん「グローバリズム」の影響です。韓国は、97年のアジア通貨危機の際にIMF管理に陥り、グローバリズムの優等生として生まれ変わりました。


 結果的に、日本以上にグローバル化が進み、国内が少数の勝ち組(財閥オーナー、オーナー家族、役員など)と大多数の負け組に分断されていきました。


 グローバリズムが国内の格差を拡大し、「革命家」と呼んでも過言ではないような人物が、政権の頂点に立とうとしている

 

 

韓国大統領選挙 文在寅の勝利

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12273317281.html

 文在寅の経済政策は、なかなか興味深く、「政府主導で経済成長」と訴えていました。


 具体的には、警察官や消防士、医療・保育の公共機関職員を、新たに51万4千人採用。さらに、公共機関で働く約30万人の間接雇用を、直接雇用に切り替える。


 財源は、歳入の自然増や予算見直しに加え、「大企業や高所得者層向けの増税」で賄う。


 と、明らかに「反グローバリズム」の方向が中心になっているのです


 韓国は、アジア通貨危機&IMF管理により構造改革を強制され、グローバリズムの優等生として成長してきました。結果、正社員と非正規雇用、大企業と中小企業など、様々な所得格差が拡大。


 過去十年で、正社員の月平均賃金は47%増加したのに対し、非正規は25%増にとどまりました。また、正社員にしても、大企業と中小企業の給与差は二倍に達しています。


 若年層失業率はILO推定で、10%を超え、「恋愛」「結婚」「出産」「マイホーム」「人間関係」「夢」「就職」の7つを諦めざるを得ない「七放世代」が続出。2015年には
ヘル・コリア(地獄の朝鮮)」
 と、韓国を卑下する流行語が生まれました。


 相も変わらず、財閥経済。財閥オーナー、オーナー一族、そして財閥役員が、新たな兩班(貴族)としてふるまい、多くの国民は競争から零れ落ち、困窮していく。


 特に、若い世代(40代以下)にたまったルサンチマンが、「革命」的な発言を連発する文在寅を勝たせたわけです。


 逆に、50代以上は朝鮮戦争の記憶もあり、北朝鮮に融和的な姿勢を見せる文在寅に対する支持は低迷しています。


 現状に不満を持ち、北朝鮮融和政策に拒否感を持たない若い世代と、北朝鮮を危険視する高齢者世代とで、世代により投票行動がまるで異なっていたわけでございます


 韓国大統領選挙では、毎回「経済民主化(財閥経済からの脱却)」が叫ばれ、政権が変わるたびに「裏切られる」という状況が続いていました。韓国の若者たちは、革命的な文在寅が、
「今度こそ、経済民主化を達成してくれるかも」
 と、希望を見出したのだと思います。

 

 

 

グローバリズムと革命、国民統合の崩壊

 

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12272103610.html

 

仏社会「徐々に分裂」 大統領選控えトッド氏に聞く 

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM01H2S_S7A500C1FF1000/
 フランス大統領選挙は7日、中道のマクロン候補と極右のルペン候補による決選投票を迎える。第1回投票で二大政党が敗退し、反欧州連合(EU)勢力が支持を伸ばした。仏社会に何が起きているのか。歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏にパリで聞いた。』

 

 「グローバル化疲れ」という、現代の世界の政治を動かす現象を、見事に表現したトッド教授ですが、インタビューを読むと、何というか本人も「疲れている」感がありありと出ています


 トッド教授によると、
「高齢者や中流、上流階層がマクロン、フィヨン両氏を支持し、若者や労働者階層がルペン氏や急進左派のメランション氏に多く票を投じた。」
 とのことです。


 これは、意外です。イギリスのブレグジットの際は、逆でした。つまりは、「相対的に」高齢者がEU離脱を望み、若者が残留を欲したのがブレグジットなのですが、フランスは逆なのです


 若者が、ルペン党首やメランション氏、つまりは「EU離脱」を中心に、反グローバリズムを訴える候補を支持したのが、フランス大統領選挙第一回投票だったのです。


 昨日、韓国において、グローバリズムの犠牲(というか、敗者)となっている傾向が強い、20代から40代が、「革命」を訴えているも同然の文在寅を支持していることをご紹介しました。


 フランスは、韓国同様に、グローバリズムの呪縛に(相対的に)捉えられています。何しろ、EUとは、モノ、ヒト、カネの国境を越えた移動を自由化するという「グローバリズム」を固定化する国際協定です。


 フランスもまた、韓国と同じく「グローバル化」が進んだ国の一つです。


 しかも、フランスの場合は、トッド教授もインタビューの最後に語っていますが、
EUのルールとユーロの下で、仏大統領には何の力もない。ドイツの求める緊縮財政をとるしかない。寂しいことだ」
 という状況になっているのです。


 すなわち、グローバリズムの呪縛により「主権」を(事実上)失った状況にあるのが、現在のフランスという話です。


 グローバリズムにより、特に割を食っているのが「若い世代」です。フランスの若年層失業率は、何と25%! 


 とはいえ、EUに入っている限り、フランスは積極的な若年層向け雇用対策を打つことはできません。結果的に、フランスの若い世代が「EU離脱」を主張する候補者に流れた、という話です。

 

 トッド教授は、
「フランス社会は少しずつ分裂し始めている。人々がイデオロギーや宗教でなく、高齢者や労働者といった階層単位で振る舞う。新大統領の下でも社会は緊張を抱え続けイスラム勢力のテロのような政治的な暴力のリスクは高まる。力を増す高齢者に若者が対抗するため、暴力でよりよい扱いを実現しようと考えるなら、おぞましい事態だ
 と、国民統合の崩壊と「暴力革命」に関し、懸念を表明していますが、EUに残り続ける限り、トッド教授の恐れは次第に高まっていくことになると確信します。

 

 

フランス大統領選挙と、国民の分裂

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12272416321.html

【仏大統領選挙で各候補が得票1位だった県】
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20170426004791.html

 

 フランス東北部、および南部の地方はルペン、それ以外の地方及びパリではマクロンが勝利したと、地域別にくっきりと「色分け」ができてしまっているのです。


 マクロン前経済相は、全体的に都市部で強く、人口が多い上位10市を見ると、元々国民戦線の地盤であったニース、マルセイユ以外では圧倒的に勝っています。


 特に、パリではマクロン候補が得票率36%であるのに対し、ルペン候補はわずか5%。まさに、マクロン圧勝です。


 イギリスのブレグジットと同様に、「地域間」「地域と都市部」と、複数の断層でフランス国民が分断されていることが分かります。


 フランス東北部は、炭鉱業が衰退し、地盤沈下が著しい工業地帯です。いわば、フランス版「ラスト・ベルト」でございますが、この地域では逆にルペン党首が圧勝しました。


 グローバリズムの問題は、モノ、ヒト、カネの国境を越えた移動を自由化することで、国民を「所得階層別」で分断していくことです。昨日、トッド教授の、
「高齢者や中流、上流階層がマクロン、フィヨン両氏を支持し、若者や労働者階層がルペン氏や急進左派のメランション氏に多く票を投じた。」
 という言葉をご紹介しました。


  Odoxaの調査によると、月収1500ユーロ(約18万6千円)未満の有権者は、51%がルペンに投票するとのことで、マクロンを上回っています。それに対し、3500ユーロ(約43万4千円)以上は、ルペンが26%であるのに対し、マクロンは何と74%。


 グローバリズムにより、国民が所得階級、属性により分断されると同時に、地域毎にも分断されていくということが、イギリス、アメリカ、そしてフランスの事例から分かります。

 

 

 

 

EU消滅の引き金は「知識人たちの錯覚」である

ブレグジット予言者による「国民国家」復活論


5/6

 

 2015年に上梓された『欧州解体』で英国のEU離脱を予言していたロジャー・ブートル氏。

 投票結果次第では英国に続くEU離脱という道もありうるフランス大統領選挙の決選投票を前に、同書でEUの根本的矛盾を論じた部分を中心にお届けする。

根本的に誤っていたビジョン

 EU(欧州連合)の将来について考えるときに、ぜひとも理解しておかなければならない点がある。今後20〜30年の間に世界の権力構造は――EUの指導者たちはそこにEUを組み入れたいと熱望しているわけだが――大きく様変わりするだろうということだ。具体的にどう変わるかは定かではないが、それとEU創設の父たちが思い描いていたものが合致することはほとんどありえない。

 歴代のEUの指導者たちは、根本的に誤ったビジョンを持つきらいがあった。彼らの頭の中には、地理的に近接した国々が経済的・政治的に固く連合するという考え方しか存在しない。興味深いことに、これは大陸の広い範囲が1つの帝国のもとに統一されていた第1次世界大戦までの欧州の姿と符合する。しかし直近の数十年間に世界で起こったことを踏まえれば、このようなビジョンは現代の現実とはまったく相いれない。

 彼らのビジョンはまた、海を挟んで築かれた、かつての広大な政治・経済連合と完全なコントラストをなしている。英国、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダは、いずれも7つの海を股にかけた大帝国を経営した。

 17世紀にはもちろん、19世紀から20世紀前半になっても帝国内の遠隔地との連絡は困難だったが、何とかうまくやれていた。

 むろんこのような形の政治連合――すなわち帝国――は、私たちが今日受け入れられるものではない。それでも当時、これは機能していたのだ。それに大英帝国の植民地の一部は自治領へと地位を上げた。実質的な自治権を持つ対等な帝国の構成員となった彼らは、歴史によって本国とつながり、法制度や政治制度、言語、君主を共有した。現代の通信技術の恩恵に浴さなくてもだ。

 距離が大きな障害となった時代に、英国は史上最大の帝国を築き、管理した。なのにこのインターネットの時代に隣近所で寄り集まって経済・政治連合をつくる必要がどこにあろうか。

 言語、文化、共通の歴史、法、仲間意識などが地理に打ち勝つ時代があるとすれば、間違いなく今がそれなのだ。

 現代の通信技術は国家連合の可能性を変革した。世界規模の即時コミュニケーションが可能なら、グループの成員を地理的に近い国々だけに限定する必要はない。このことが経済の世界で是認されるのは明らかだ。グローバル化とは要するにそういうことなのだから。米国のどこかを本拠とする企業が、しばしば生産の主要な部分を中国、インド、韓国などで行っていたりする。

 政治の世界には、グローバル化はほとんど影響を与えていないようだ。しかし今、政治的な(あるいはそのほかの緊密な)連合が広大な距離をまたいで開花しえない理由はない。

 私は距離の重要性を完全に否定するつもりはない。たとえば環境や安全保障の問題に関して言えば、地理的に近い隣国との共通点が最も多くなるだろう。しかし近隣の家々が家計や社交活動を一体化せずとも防犯グループを結成することができるように、欧州の国々も貨幣・財政・政治同盟を結成せずとも安全保障や環境の問題で協力し合えるはずだ。

 EUにはおかしな特徴がある。小さすぎると同時に大きすぎるのである。政治的なグループとして成功するには大きすぎるが、さりとて自給自足しうる経済ブロックになるには小さすぎる。経済的な側面から言えば、属する意義があるグループは国連(国際連合)だけだろう。そのメンバーに、すべてのEU加盟国はすでに入っている。

「見たいものだけを見ている」知識人の集団錯覚

 統合主義者のプロジェクトがたびたび失敗し、さまざまな危険性を露呈しているにもかかわらず、非常に多くの知識人(目立つのは欧州のエリート層だが、米国の支配層も含む)がこの問題を認めていないのは不思議なことだ(もちろん認めている人々もいるし、EUへの懐疑主義は至る所で増大している)。その理由は、彼らが自分の見たいものだけを見ているということだろう。そして問題点を目にすると、勝手に改善を期待してしまうのだ。

 このような集団錯覚の傾向は、知識人の間でかねて顕著だった。

 20世紀前半には数えきれないほどの欧州の知識人が、共産主義に心を奪われ、ソ連を熱烈に支持したものだ。両大戦間の時代には多くの西側の知識人が共産党に入党した。後に英国の蔵相や国防相を務めたデニス・ヒーリーもその1人だ。ソ連の支持者のリストには、ほかにも英国の作家ジョージ・バーナード・ショー、H・G・ウェルズ、ウォルター・デュランティ、ドイツの作家エミール・ルートビヒ、ハインリッヒ・マン、リオン・フォイヒトバンガー、米国の作家セオドア・ドライサー、フランスの作家シモーヌ・ド・ボーボワール、ロマン・ロラン、アナトール・フランス、アンリ・バルビュス、ルイ・アラゴン、エルザ・トリオレらが含まれていた。

 1920年代にこうした支持者の代表団がソ連を訪問し、目にしたものに感銘を受けている。

 彼らは、それが訪問者の歓心を買ったり、是認を得たりする目的で特別に建設された工場や農地であるなどとは夢にも思わなかったようだ。

地獄への道は善意で舗装されている

 不思議なのは、なぜそれほど大勢の賢明で世知に長けた人々が、いともあっさりと籠絡(ろうらく)されてしまったのかだ。彼らは資本主義社会で見ていたものに不満を抱き、もっと良いものがあると信じたかったのだろう。またロシアに関して言えば、知識人たちは共産主義に先立つ帝政の欠陥を熟知していた。

 第2次世界大戦中から戦後にかけては、ソ連との連携が一層魅力あるものに見え始める。ソ連がファシズムに雄々しく立ちむかい、それを打ち破るのに大きく貢献したからだ。それに対して、西側民主主義国がアドルフ・ヒトラーに譲歩したのは臆病な行為だと見なされた。これは控えめに言っても偏った見方だった。なぜならヨシフ・スターリンがナチスと独ソ不可侵条約を結んでいたという事実や、最初にヒトラーに宣戦布告したのは英国とフランスだったという事実は、ほとんど無視されたからだ。しかしなぜ耳当たりがよい神話に事実を割り込ませる必要があろうか。神話は生き続け、やがて高い教育を受けた英国人の中からソ連のためにスパイ行為を働く者さえ現れた。

 私はここでEUや欧州統合の理想を邪悪な共産主義になぞらえたいわけではない。私が言いたいのは、知性と善意を持つ大勢の人々が、時代を画する大問題について考えを誤る例もあるということだ。人々はコンセンサスにのみ込まれることがある。コンセンサスはそれ自体が命を持ち、ひとたび定着するとなかなか揺るがない。人々は自分が信じたいものをつい信じてしまいがち。なぜなら、それにより心地よい世界観や未来像が得られるからだ。そうしたコンセンサスへの依存行動はある種の麻薬のようなもので、断ち切るのはとても難しい。

 ユーロが生きながらえるとしたら、それは間違いなくその通貨同盟を救うために、(英国を取り残したまま)何らかの財政・政治同盟がつくられた場合だ。この同盟は未来永劫、課税し、調和を図り、規制するだろう。根本的な改革が行われないかぎり、そのような同盟はEU経済の成長に極めて有害な決定をするものと思われる。ユーロの創設とその悲惨な経済効果は、将来に対する身の毛のよだつような警告なのだ。同じことは、統合への動きに我慢ができなくなったほかのEU加盟国についても言える。

 この問題は経済の枠を超えている。これは民主主義の問題であり、統治の質の問題だ。しかし、劣悪な統治には貧弱な経済的パフォーマンスがついてくる。これまでの経験と、何らかの政治同盟を組まざるをえなくなる国々の多様性からいって、EUは最悪のことをしでかす目算が高い。EUはすでに「エスペラント・マネー」(ユーロ)を生みだし、今また「エスペラント政府」(政治同盟)を生みだそうとしているかに見える。

 確かにユーロばかりがEUの問題点ではないし、欧州でうまくいかなかったことのすべてがEUの落ち度というわけでもない。その点で、過激なEU懐疑派は話を誇張しすぎている。しかし欧州の指導者たちはまるで見当違いのことに意を注いでばかりいた。彼らは統一の実現ではなく、卓越を生みだすことを夢見るべきだったのだ。それには欧州史の大半を通じて存在した多様性が不可欠だった。経済のことはほとんど(あるいは何も)知らずに、そうした欧州のエリートたちは欧州の利益をひどく損なうような行動を取ってきた。条約や合意や規制に執着し、共通化を追求してきたのだ。

 エリート層はまるで理解していない。国家の繁栄は、大小の工場や店舗、サービス業で働く市井の人々の、一見単調な営為のうえに築かれるものだということを。しかもそれが実現できるのは、彼らが官僚主義に邪魔をされずに、ビジネスの利益を十分に追求できた場合に限られるのだ。

 一方、統合主義者の工程表と社会モデルに従う中で、欧州各国の政府は幻を追ってきた。これらの政府は大きいが、だからといって有能ではない。むしろ政府が伝統的にこなしてきたこと――市民を内外の危険から守ること――に関しては、救いようがないほど無力である。移民問題にせよ国防問題にせよ、現代の欧州国家は哀れな落第生だ。大きいが優柔不断で、金食い虫だが能力が低い。これが右派からの批判である。一方で左派からは、グローバル化と市場圧力の猛威にさらされているのに、国家が「社会保障」の提供者としての役割を果たしていないと不満が漏れている。

 どちらの批判も説得力がある。しかし防壁と口実と脅威の混合物であるEUの傘がなくなれば、さしもの欧州各国の政府も目覚め、するべきことをするかもしれない。

 欧州の退潮は経済と政治の相互作用の結果だ。経済的な繁栄が自己破壊的な習慣に浸ることを許してきた。堕落した政治が衰退の根を長らえさせる一方、政治家は人々にさまざまなアヘン剤を与えてきた。「絶えず緊密化する連合」を絶えず追求することで、欧州の成功を生みだすという目的が後回しにされてきたのである。

 EU内の比較的立場の弱い国々では、欧州の指導層の政策への反対論が抑えられる。自分たち自身の制度的な弱さや、危うい近代史を知るがゆえだ。彼らはブリュッセルから漂いでる傲慢と無能と腐敗の混合物を、あまりに長く許容してきた。

「国民国家」復活に目覚めはじめた人々

 だがそれも変わり始めている。欧州全土で人々が目覚めている。エリートたちはそれに応えるだろうか? 応えないなら、私たちはひどく不快なものに直面するだろう。経済停滞(極端なケースでは経済崩壊)、政治制度への不信、外国人嫌悪、人種差別主義が一体となって、破壊的な弊害をもたらすかもしれない。

 私が希望するのは、EUがその働きと性質を根本的に改革することにより、将来の欧州の成功に貢献することだ。それが実現できないのであれば、そのときはEUの消滅を希望する。

 欧州の繁栄を増進すること、世界の中での欧州の発言力を強化することは、欧州の国民国家に――単独であれ、新たな連合の一員としてであれ――任せるべきなのだ。

(翻訳:町田敦夫)