おうちにかえる日まで~奇跡講座(ACIM)~

おうちにかえる日まで~奇跡講座(ACIM)~

奇跡講座(奇跡のコース・ACIM)を実践中です。
スピリチュアルなワークなどを経て今、奇跡講座を中心に日々を過ごしています。

Amebaでブログを始めよう!

ご無沙汰しております。

気が付けばなんと一年以上経っていて、
当の本人がびっくりしております。

オイオイって声が聞こえそうですが・・・(^^;)

実は、このブログに日々のこと
(ほぼ奇跡講座のこと)を書き、
ある程度気づいたことがまとまったら、
もう一つのブログ(喜びを生きる)で整理しようと思っていたのですが、
どうにもこうにも、特に去年からの学びが
はい次!はい次!とやってきて、
まとめるどころではない感じになってきました。

奇跡講座は、「自学自習」のものなので、
日々が毎日赦しの機会。

さらに、スカイプでvijayさんがファシリテートしてくれる
勉強会や、札幌の地元の勉強会にも参加して、
気づきをまとめる前に、どんどん認識が変化していきました。

そこで、出した結論は、

まとめるのは無理~!


ということで、日々の赦しについて書いてくことにして、

もう一つのブログの方で更新したいと思います。

ブログは更新していませんでしたが、
毎日のように日記はノートに書いていて、
勉強会では1章ごとに事前、事後レポートを書き、
(だいたい1か月で1章ずつ進み、今27章まできています)
さらに、勉強会仲間でのみ公開している隠密日記ブログでも
毎日のことを書き、とにかく書き続けてきました。

どうやら、私は書くことで聖霊とつながれるらしい・・と
実感しています。

そして、面白いことに、一人で書くよりも
仲間内、あるいはこのようなブログでシェアすると
更に気づきが加速されるようだ・・という気もしています。

それは結構前から気づいていたのですが、
抵抗がすごくありました。

奇跡講座は一人一人オリジナルな道
が用意されていると思うのですが、
私は感情の起伏が激しくて、
いちいち感情の嵐を通過するのにドタバタしないと
潜り抜けられないようなのです。

外に見える出来事のわりに、
内面が激しくて、
ホント、派手だわね~~って感じで。

そんな格好悪い私は見せずに、
スンっと済まして、こうでした~~ってことだけ書きたかった。

(と言いつつ、このブログでも、結構怒り狂っている私を書いてましたが・・苦笑)

そんなことを考えていたので、ブログを書こうにも書けずにいました。

私のようにドタバタせずに、静かに奇跡講座を学ぶ方もたくさんいて、
その方たちと比較しては、
何で私ってこんななの~!?と責める気持ちもありました。


ところが最近になって、そんな私もいいか~♡と受容できるようになってきまして・・・

また書きたいという気持ちがムクムクとでてきました。


今後はもう一つのブログ
更新していきたいと思います。

このブログは、過去の右往左往しながら学んでいた私、
聖霊がいるのかわからない~!と思いつつ、
読みかえすと、ちゃんと聖霊に導かれていたじゃん!って
自分にツッコミたくなる様子が書かれていて、
残しておきたいなと思うので、
ブログが消されない程度に(消されるのかわかりませんが・・)
たまに更新するかもしれません。

もう一つのブログを更新しました~ってお知らせとか(笑)

何年も前から、読んでくださったり
コメントをいただいて、
支えていただきましたこと、
改めて感謝しております。

一人で学んでいると思っていましたが、
本当は一人ではなかったなあと思います。

御父と聖霊と、兄弟のみなさまに
感謝でいっぱいです。

ありがとうございます。

今後はこちらに遊びにきてくださいませ~~。

喜びを生きる ~奇跡のコースと共に~











 

「アメイジングジャーニー 神の小屋より」のDVDを、先日借りてきて観ましたが、

なかなか良かったです。

原作の雰囲気がちゃんと伝わってきました。

でも、私が一番印象的に感じられたシーンが、原作にはなく映画にしかないものでした。

 

ネタバレになっちゃうので、具体的には書かないですが、

とあるボートのシーン。

主人公のマックが闇に飲まれそうなときに、

イエスが助けるところ。(ほぼネタバレじゃん~)

 

「Just keep your eyes on me」

 

というイエスのセリフが印象的だったのでした。

エンディングの曲のタイトルも「Keep Your Eyes On Me

これもまたぐっときました。

アメイジング・ジャーニー ~神の小屋より~ [DVD]

 

この映画を見た頃、私もボート上のマックのように闇に込みこまれそうにアップアップしていました。

恐らくですが、ちょうどこの時参加しているコース勉強会が13章がテーマで、

事前レポート、事後レポートを書くために13章をじっくり読んでいたせいか、

なんかエゴが大暴れしまして・・。

13章は「救いに対する恐れ」というエゴには絶対気づかれたくないようなことが書かれており、

まさに攻撃が救済とばかり、自己攻撃の思考が止まらなくなり、

頭のなかでは私は世界一のダメ人間だと罵倒が続くような感じで。

生きてるだけでツライと思う程。

 

死んでも列の後ろに並ぶだけだからね~w

 

という勉強会をファシリテートしてくれるvijayさんの言葉を思い出しては、

出口は赦しだけか~!もうどうにでもしてくれ~と思いながら、

聖霊に助けを求めて、その時期をくぐり抜けたのでした。

 

「神の小屋」のボートのシーンが、闇と救済のわかりやすいイメージを与えてくれたので、

「Just keep your eyes on me」という言葉とJ兄さんだけを見るというイメージが

渦中にいる私には、すごく助けになりました。

 

現実に見えることは幻。それが私を動揺させたり、傷つけることはありえない。

でもとてもそう思えない時、そんな時こそJ兄さんや聖霊だけをみつめる。

私だけを見つめて!とJ兄さんから言われているように思えて、

力強い助けになったように思います。

 

主人公のマックが幻を見て飲み込まれそうな姿が、まさに今私がやっていることなんだなと

イメージができたことが本当によかったなと思います。

DVD「神の小屋」よ、ありがとう~。

 

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奇跡講座について、体験談などをまとめている新ブログも書いてます。

喜びを生きる ~奇跡のコースと共に~

 

やっと、北国も春めいてきた。

桜はもう少し先。待ち遠しい。

 

 

奇跡講座を学び始めて、気が付くと7年。

ゆっくりゆっくりと学んできました。

このブログも、一人コツコツやっている時に、

なかなか日常で赦しができないので、

どこかで宣言をしたら、もっと赦しに意識を向けられるかもと思い、

必要に迫られたように書いてきました。

 

このブログを始めた時は、まだ奇跡講座に出会っていなかったのですが、

途中から奇跡講座についてのブログにほぼなっていました。

 

時々、奇跡講座を実践しながら、どうにもならない状態になることもあり、

ここでその体験を書いた時には、コメントなどで、温かい励ましや

アドバイスを頂いて、どれだけ助けられたかわかりません。

本当にありがとうございます。

 

一人コツコツと学び始め、今は勉強会に参加して学んでいます。

今まで学んだ体験を整理してまとめてみたいという気持ちが、数か月前からふつふつと湧いてきて、

別ブログを立ち上げました。

 

私自身が周りに奇跡講座を実践している人がほとんどいない状態で、

ブログなどで兄弟の学ぶ姿に大変助けられてきました。

新しいブログは、学び始めた時に、どうしたらいいのかわからないと思っていた

自分に向けて手紙を書くような気持ちで書いています。

 

よろしければ新しいブログもお読みいただければと思います。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

 

奇跡講座を続けてきて、本当によかった~。

続けてこられたことに感謝です。

 

喜びを生きる ~奇跡のコースと共に~

 

 

 

 

「神の小屋」を読んだ。

映画は去年「アメイジング・ジャーニー神の小屋より」というタイトルで公開されていたが、見逃していた。

 

私は、奇跡のコースを中心にして、日々を送っている。

この本はコースのようにはっきりと「世界はない」とは書かれてはいないのだが、

コースを学ぶ時に助けになることが、たくさんあって、まるでギフトキラキラのように思えた。

 

コースを学ぶ中で、闇を光にもっていく、あるいは聖霊と共に見つめるということが不可欠だが、

それは正直楽ではない。

だってそこで光にもっていくのは、一番見たくないもので、苦痛で、だからこそ抑圧していたものなのだから。

爆発しそうな感情に見舞われることもある。

 

だからそれをやるには、聖霊という存在が必要だ。

それも、なんかぼや~~っとして、漠然としたイメージじゃだめなのだ。

罪悪感の渦に巻き込まれている最中、

それこそ死んだ方がましかも・・と思う位の時、

もっとはっきりした助けが必要だ。

本当に助けてくれて、その手にすがれば大丈夫!と思える存在。

 

ワプニック博士も「奇跡講座入門」で書いていたが、

イエスか聖霊と個人的な関りを育てていくことが重要だと言っていた。

 

コースは、私たちに自分の内に誰かがいるという感覚を育てさせようとしています。

抽象的な影響力のようなものではなく、私たちを愛し、助けてくれる本物の人間のような存在です。

もし私たちをこのように安心させてくれるものがなかったなら、私たちはゴールのずっと手前で止まってしまいます。

聖霊は、あなたが受け入れることができるどんな形ででも

自らをあなたに現わしてくれます。

 

コースを始める前から、あることをきっかけに、少しずつ神に対するアレルギーを

解消し、神を近くに感じるようになった。

恐る恐るだったので、かなり時間もかかったが、

コースを学び始めてからは更により身近にはなってきた。

 

そして、自分がいろんなものを求めてきたけれども、結局

本当に欲しかったのは神との一体感だけだったということにも

気が付いた。

 

「神の小屋」を読んでいると、パパと呼ばれる神、イエス、聖霊の声が、

ハートにどんどん響いてきた。

神のことを、御父と呼んでいたけれど、この本を読んでからというもの、

主人公に倣ってパパと呼んでいる照れ

今までよりも、更に近くなった。もうそれだけで嬉しい。

嬉しいと自然に感謝が出てくる。

 

神の臨在感、というと格調高い感じだが、

「パパ(やイエスや聖霊)がいつでもここにいて、愛してくれている」という実感だ。

 

神は恐れではなく、愛である。

これを実感できないと、闇の中へ入っていくのはなかなか難しい。

 

先日勉強会でテーマになったところ、

 

神はわが子を愛することを決してやめず、神の子は神を愛することを決してやめない。

神の子はそのように創造されたのであり、その状態は永遠に神の心の中で不動である。

それを知ることが正気である。(T10.ⅴ.10.6)

 

なんて嬉しい言葉なんだろう。

今年も、聖霊に縋りながら、一歩一歩正気へと戻っていきたい。

そのささやかな意欲を聖霊にささげます。

 

 

JACIMさんのサイトを久々に見に行くと、いろいろ更新されていて、
第2弾のDVDの「思考の逆転」の小冊子が12月23日から発売になっていて、
早速申し込みした。
DVDもすごくよかったが、小冊子でじっくりと読めるのは嬉しい。
楽しみ~♪

そして、新しい動画、クリスマスと「内なる静けさ」がアップされていた。
これは、2012年クリスマスのワプニック博士の講話に日本語字幕がついたもの。
そしてワプニック博士のクラリネット演奏の断片の入った
自我と聖霊と<決断の主体>が奏でる三重奏という音声ファイルもアップされていた。

JACIMさん、クリスマスプレゼント、ありがとうございますラブ

 




去年もクリスマスのメッセージ動画「聖性」にすごく感動したので、
再度こちらも見てみた。
やっぱり何度見ても感動する。泣ける~。

卑小さか、神の栄光か。

今年一年も、コースを熱心に学んできた。
エゴを直視するのは、決して楽しいことばかりではないけれど、
(むしろハード・・汗)
去年よりも、動画のメッセージを深く深く感じられること、
イエスの言葉に素直に「はい」と思えることが、
心から嬉しい。

そう思えるのは、今年は特にエゴの狂気を、
どんどん直視していったからだ、という気がしている。
すごい抵抗があり、その抵抗の形もいろいろ。
けれど、エゴを直視したなら、間違いなく神の平安を選ばずにはいられない。

(そのあたりのことを、ブログでまとめて書いてみたいと思っているところ)

そして、天国へ(神のもとへ)帰るのではなく、
最初からずっと神とひとつだった。
分離など最初からなかった。という見方を少しずつ受け入れ始めている。

静けさの中で、今日は感謝と喜びをかみしめる日にしよう。

聖霊とすべての兄弟に、ありがとうキラキラ

そして、わからないなりに聖霊を選び続けた自分にもありがとうキラキラ

2月からブログを書けずにいたのだが、
その間、就職活動をし、新しい会社に入社し、
長い研修を受け、毎日気力も体力も使い果たすかのように過ごしてきた。

その間、赦しもコツコツやり続けた。

自分を肉体だという信念をどーんとつかんでいるので、

疲れも感じるし、体感的にはつらい。

しかし、気持ち的な部分は以前とは違っている。

被害者意識的なものもぐんと減ったし、

心が乱れても平安に戻りやすくなった。

 

コースの勉強会にも参加し、

自分のエゴにどんどん光をあてて、

その分すっごい抵抗を受けながら(自分でやっているが)

エゴの自分がやろうとせず、

ささやかな意欲を差し出して

聖霊に委ねていくことを少しずつやっている。

 

この幻想世界では、仕事や家事や子育てをやることが私の役割だし、

日々の多くの時間はそこに当てらるのだが、
心の中では、奇跡講座の教えをツールにして、目覚める、あるいは
神の子であることを思い出すこと、それがなによりも一番大切なことになっている。

 

以前よりもずっと、聖霊を近くに感じられ、

だからこそ、平安でいられる時間が長くなった。
 

本当に続けてきてよかったな。奇跡講座。

 

 




今日は、お休みを取っていたので母とお出かけをした。
最近母の足が痛くなり、以前より外出するのが億劫になっているようだった。

今日は、美術館に行き、温泉街のリゾートホテルでランチブッフェという予定。
美術館で開催されている木彫展の作品は素晴らしく、道中は紅葉が美しい。

そして紅葉を眺めながらのおいしいランチ。
母もすごく喜んでくれた。

母とは、私が離婚後、実家で長らく同居させてもらったのだが、
その時は母との折り合いが悪く、毎日が葛藤葛藤の日々だった。
 

今年一番の寒さかも・・というヒンヤリした空気のなか、
母と一緒に落ち葉の道を歩きながら、
今日のような穏やかな日を過ごせるのも、
わからないなりに、なんとか奇跡講座を学び続け、

聖霊に助けを求めてきたからだとしみじみ思った。

 

隣を歩く母を、肉体ではなく神の子として見たいと

聖霊に祈り、母の口から出る愚痴や文句などを聞きながらも、

聖霊と共にふんわりとした優しい眼差しで母を見続けられることを

幸せに感じた。

 

穏やかで、静かな秋の一日。

感謝が溢れる。

 

 

今朝、やっと「この宇宙は夢なんだ」が届いた。

うれしいラブ

早々とAmazonで予約したのだが、到着予定日がどんどん遅くなり、

しまいには未定になってしまったので、先日JACIM Booksに注文を

し直したのだ。

今朝、新聞を取りに行ってくれた次男が、こんなのが来てたよと

持ってきてくれた。

朝からわくわく。

 

なぜなら、今日は私の誕生日。朝からプレゼントをもらったような気持ちだった。

 

Amazonで入荷日が未定になったときは、なんだよ~と思ったが、

一番いいことが起こっている と心を変えて平安になったのがよかったのか。

誕生日の朝に届くなんて、にくい~。

 

今日も就活に動いていたのだが、地下鉄の車内でも読んでいた。

わかりやすいし、なにより面白い。漫画にしては文字が多すぎだろって気もするが、

この奇跡講座の教えについての本だから、それは仕方がない。

例えが面白すぎて、地下鉄でぷっと吹き出してしまった。

かなり私的にはツボ笑い泣き まだ半分までしか読んでないが、残りはじっくり

急がないでかみしめよう。

ああ、この本を出版してくださった皆様、ありがとうございます!!

 

ところで、「一番いいことが起こっている」が最近お気に入りのフレーズだ。

特に起こってほしくないことが起こった時につぶやくとすごくいい。

 

私=肉体100%と思っているレベルでも、そう思うことでくよくよしなくなる。なんとなく安心する。

また、別のレベルでは、目の前に現れた出来事は中立として、聖霊を選ぶという意味でもある。

一番いいことが起こっている、とつぶやくと、そのことで自分や誰かを責める気持ちがなくなって、安心するし、平安になる。これはまさに聖霊を選んだ時と同じだ。

 

最初から聖霊を選ぶと思ってもいいのだが、むしろ、気持ちにぴったりな言葉を使うことで

結果的に聖霊を選んでいる感じだ。

 

まだまだ肉体=私を信じているので、こういうフレーズがいいのかもしれない。

 

そう考えると、奇跡講座を知らなかった時も、聖霊は

ずーーっとそばにいて、愛を示してくれていたんだなあと思う。

 

ところで、今日は尊敬するワプニック博士の誕生日でもある。

翻訳されたワプニック博士の本はすべて読んだし、それらが

なければ学んでいくことは無理だった。

 

感謝をささげて、今日は眠りにつこう。

 

感謝で始まり、感謝で終わる日。

それこそが一番のプレゼントだった。

 

しばらくブログを放置して、ひたすら奇跡講座の
学び、赦しの日々を送っておりましたm(_ _ )m

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

去年の6月以降、体質改善ならぬ、心改善の期間と思ってきた。

とにかくそれまでは、変な責任感のもと
自分がやらなきゃ!と思いすぎて、
かなり自分の気持ちを抑圧してきた。

 

自分の楽しみは後回し。
子供たちが大きくなって手が離れてから
自分の趣味をやろう・・とか。
奇跡講座の学びさえ、働いて子供の世話をして社会的責任を
果たして、残った時間とエネルギーで・・という感じだった。

 

あまりに心をぎゅうぎゅうに抑圧していたので、
いろんな形で噴出してきたのかと思う。

 

去年の6月以降、まずは自分の気持ちを大切にすることにした。
まるでリハビリをするかのように。

奇跡講座のテキストやワークを毎日ゆっくりしみじみ読んだりした。
そんな静かな時間をまず過ごした。

家のことはやらなければならないけれど、
時間に拘束されて、いつも時間がないと思っている状態から解放されて、
それだけでゆるんでいった。

 

そこから、少しずつやりたいこと(といっても大してないのだが)を
やり始めた。
興味のあることに少しずつ動いた。

でも、結局今一番興味があるのが奇跡講座のことなので、
日々テキストを読み、赦しをやり
個人セッションをうけてみたりもした。

 

奇跡講座を学びたい!赦しをどんどんやって天国に帰りたい!
そう思えば思うほど、エゴがそれをやろうとし、
エゴが強くなっていく・・一体どうしたらいいの?という
感じにもなった。

 

相変わらず理由のない恐怖感にもつきまとわれていた。

 

6年前から奇跡講座を一人でコツコツ学んできた。
なぜ一人だったかというと、近くに勉強会などもなかったし、
時間のゆとりも心のゆとりもがなかった。

 

そしてなにより、この間違えやすい奇跡講座の教えを、ある程度自分で
わかるところまで学ばないと、間違った情報に影響されてしまうかもしれない
と思って警戒もしていた。遠回りをしたくないとも思った。
アーテンとパーサも神の使者などで、指摘していたからだ。

 

だからまずは、奇跡講座3部作、JACIMさんの情報、ワプニック博士の書籍だけを
中心にして、ゲイリーさんの本も参考にして学んできた。

 

その心境が変わったのは、去年の3月頃に、正しさにこだわりすぎじゃない?という
小さな声が聞こえたときからだ。

それから、奇跡講座にこだわりなく、いろんなものを取り入れられるように
なってきたように思う。

聖霊がその情報をちゃんと使ってくれるような感じがした。

 

今から改めて振り返ると、聖霊はずっとそうして導いてくれていたのだが、、
自分の意識のなかで、その気づき以降ちゃんと認識できるようになってきた。

 

奇跡のコースのいろんな教師の方が出されている書籍をほとんど読んできたが、
その中でなんとなく好き嫌いがあった。
その時の私には、純粋に奇跡のコースの教えに沿っていないように思えるものも
あった。正しいかどうか判断ができないから、まずしっかり一通り学ぶまで、
ちょっと置いといて・・という感じだった。

 

最初は、奇跡のコースの中心概念さえ、なかなか受け入れられなかったのだ。

 

けれども、のんびりと過ごし、奇跡講座を中心に据えて生活するようになってから、
以前はちょっと違うかもと思っていた書籍も、また読んでみたくなり、
改めて感動して、違う角度から光を照らしてくれるかのように思えた。
改めてお宝発見!だった。

 

しかし、一方では自分だけではなかなか打破できないものを感じていた。

勉強会というより、どちらかというと、奇跡講座のセラピストがいないかなと
思っていた。

 

熱望していたわけではないのだが、その後ちゃんとその機会が準備されていた。
セラピーを受けるつもりではなかったのだが、気が付くと結果的にその願望通りに
なっていた。そして、学習グループに参加することになった。

 

去年から今年にかけて、どんどん自分のエゴを聖霊と共に直視するプロセスが
進んでいる。

どれだけエゴを直視しないようにしてきたか、
一人で学んでやれないことはないのだろうが、
ものすごく時間がかかることだろうと思う。

 

特に私は、とにかく罪悪感がいつでもどかんと内側に横たわっているし、
自己肯定感が非常に低かった。
この状態で学ぶのは、奇跡講座でなくても、なかなかつらいものがある。

 

なぜ、学びが積み重なっていかないのかもよく見えてきた。
どれだけ、目覚めないように何重もの信念で固めていたことや、
自分で気づかないように、さりげなく大切なところをスルーするのかを
ありありと見えてきた。

 

まだまだ、エゴを直視する過程にいるし(多分一生だと思う)、
エゴの自分がやっていること(本当はやっていないけど)を
はっきり見ては、げげげ~っ!!と思うことも度々なのだが、
私の場合は、サポートなしではなかなか難しかったと思う。
以前よりも聖霊がずっと近くに感じられる。

 

セラピストさんの、私が自分で気づいていけるように、
ものすごく忍耐強く、かつ鮮やかに誘導していく姿に
正直すごい!と感嘆する。


でも、そこで気を付けないとならないのは、そう思うことで、
相手と自分を分離してしまうことだ。
あるいは相手を特別視してしまうことだ。
分離の幻想から覚めるためにやっていることで、
分離を深めていっては意味がない。

 

あくまで、自分がついていくのは聖霊で、その先のゴールは
テキスト第一章に書いてある通り、
「一なる子の完全な復元が奇跡志向者の唯一のゴール」だ。
もしかしたら、そこをちゃんとわかるための、
一人学習だったのかもしれない。
もちろん、セラピストさんの口を通して、
聖霊が教えてくれていると思うし(実際たくさんのことを受け取っている)、

もともと私は、神と兄弟ともひとつだということを、実感はなくとも

押さえておかないと、へんちくりんになってしまうだろう。


また、グループワークというものを体験して、一人だけではなかなか
気づけないこともたくさんあって、私にとっては
ちょうどいい時期に出会ったように思う。

 

 

 

そして、今月から就活を本格的に始めている。

のんびり過ごせるならそれに越したことはないが、
現実的にタイムリミットなのだ(笑)

 

でも、今までの考えで、働かないと食えないとか、欠乏にならないためという
立ち位置ではなくて、神の子だという立ち位置で、就活もすすめている。

 

びしっと自分の気持ちが100%決まっていると、
なんとかなる!というのを、過去の経験で知っているのだが、
(保育園が突然空いたり、正社員の仕事が近所で決まったり・・・)
今は、自分は神の子で、安心、平安の状態100%とは言えない。
そこがまだぐらついているのだが、就活を通して、

それを認めていくのだろうと思う。

 

不安な気持ちと、平安と揺れたりしながら、
ここで、すべてを赦す機会にしていこうと思っている。

 

私たちは天国で夢を見ているだけで、本当は何も起きていない。

私たちは創造されたままの私たちなのだから。
 

常日頃お世話になっているJACIMさんが更新されていて、

 

クリスマスメッセージの動画が公開されていた。

 

 

すごく今の心境にぴったりで、最後の一言にじ~~んと来てしまった。

 

ありがたや~~。

 

 

昨日から札幌は大雪。何度も雪かきをして、体があちこち筋肉痛だ。

 

雪かきの最中も、聖霊と一緒に、と思っていた。

 

体は痛くても、気持ちは清々しい。

 

聖霊とつながり、聖霊に尋ね、、導いてもらうこと。

そして、出会うすべての人を、キリストとみること。

 

それだけを最近意識している。

 

ただただ、聖霊についていくのみ。

 

ただただ、罪ではなく間違えを聖霊に捧げるのみ。

 

すでにわたしたちは、癒されていて、最初から

愛の中にいたということを思い出しながら。

 

 

 

 

 

奇跡講座を始めたのは2011年1月だった。神の使者も読んでおらず、
全く何にも知らず一人でやり始めたので、全然わかっていなかった。
奇跡とはなにかも、赦しのやり方も全然わかっていなかった。
ただ、ワークをものすごい遅いいペースだが、できだけニュートラルな
気持ちで続けていた。
その年の12月のある朝、会社へ向かう運転中にある言葉が浮かんだ。

 


聖霊主導

 


聖霊主導??なんのこと?聖霊に導いてもらうってこと?
その時の私は、その言葉の意味することをきちんと受け取れなかった。
しかも、インスピレーションだとも思えなかった。

あれから5年がたった今、まさに聖霊主導になるようにと
毎日それを一番意識している。
朝起きた時から、できるだけ思い出しては聖霊に尋ねている。
インスピレーションが来るときも、よくわからないときもある。
けれど、どにかく聖霊を忘れないようにと、それだけを今中心においている。

自分は一歩下がり、聖霊に導いてもらうことを意識している。


5年も時間がかかったことより、今そう思えることがうれしい。

ぼさっとしていると、すぐにイライラしたり、出来事に反応してしまうのだが、
聖霊を意識していないときは、もれなくエゴを選んでいるのだからあたりまえなのだ。
だからこそ、しっかり聖霊・神だけを見ていくことが大事なのだと
心底思う。

 

理由のない恐怖感、不安感も相変わらず定期的に起きてくる。
目覚めて朝いちで聖霊を思い出す前に、どかーんと打ちのめされるような
重苦しい感覚がやってくる。
そんな時、最近はテキスト31章の言葉を思い出し、それを祈りの言葉にしている。
以下の声明以上に、世界が聞くのをおそれているものはない。と書かれている言葉だ。


私は、私であるものを知らない。
だから、私が何をしているのか、どこにいるのか、

あるいは、この世界や自分自身をどのように見たらいいのかも、知らない。

 

聖霊どうか教えてくださいと祈る。こころから祈る。


聖霊に助けを求めた後は、恐怖感などが残ってても気にしないで
やるべきことをやるようにしている。

 

 

 

すると、いつの間にか静かで力強い平安に包まれている。

5年という時間は、私が退くという選択をするまでの時間だったようだ。

それをやっと始めたばかり。