先ほど公開した「総理大臣の犯罪」(その8)」の続き。

「最悪の事故想定を」(玄場光一郎国家戦略担当相)。「チェルノブイリ型は有り得るのか。スリーマイルのようなメルト・ダウンがあり得るのか?」(管首相)

3,4号機の爆発後に開かれた15日の会議では、混乱が最高潮を迎える。

「実務オペレーションのリーダーは誰か?消防活動への要請も断片的かつ子供っぽい印象だ。統率が取れていない。誰が中心になっているのか?」苛立つ片山善博総務相に、管首相は「経済大臣と細野(豪志)首相補佐官を張り付けている。歯車がまだうまく回っていない。」と答えに窮した。

3月16日には、東京電力が現場から撤退を申し入れたとされる問題を念頭にしたのか、管首相が「撤退なんてありえない。量から言うと、チェルノブイリよりも多い放射能が曝されることになる。何としても冷却していかなければならない。」と発言した。

自衛隊のヘリコプタ―で上空からの放水が行われた17日。玄場担当相が「これは戦争だ。勝つか負けるかだ。既に局地戦では負けている。3つのスリーマイル事故が重なって起きているようなもの。」と述べ、最悪の事態を想定した避難の必要性に言及するほど緊迫感は高まった。」

一先ず産経新聞記事から離れて、私の感想を述べたい。

このような話は福島事故直後から新聞報道で、チョコチョコ出ていましたが、

まさかこれほどとは知りませんでした。「やはり管直人総理大臣が真犯人だったのですね。」怪しいと感じていました。

それが「事故後1年目にして議事録ができていた。」(と言っても、マトモナ議事録ではないが、、、。)まるで小学生が書きなぐったようなメモです。

当時官僚は「政治主導」「官僚排除」とか言って民主党内でも、政権内でも背を向けていたから、もちろん協力する訳がない。この段階で日本はもう滅んでいたのです。日本国は亡くなっていたのです。怖いですね。国家観の無い人がリーダーを務めると、国なんて、あっという間に滅亡してしまうのです。

今の日本人はもう少し、真剣にならなければいけない。国の行く末を誤る人を総理大臣と呼んでいたなんて、、、。

最後は管直人は、やけになって一人勝手に振舞っていた。最初のうちは、「おれは原子力に強い。」とか言っていたようだったが、そのうちに原子力発電所事故を契機に「反原子力」「脱原子力」へ誘導し出した。目的は己の政治的野心を達成するため。

管直人は昨年5月6日「浜岡原子力発電所の運転停止命令」を出したり、「ストレス・テスト」や「再生可能エネルギー法案」を出すに至って、ようやく国民は管直人を疑い出した。私はこれを「総理大臣の犯罪」と呼ぶ。(終り)

今日は重大な報道があるので、「勿忘草を貴方に」は休ませていただきます。

本日(3月10日)の「産経新聞」記事は、以下のように伝えている。

◆片山総務相「実務の統率取れていない。誰が中心になっているのか?」

◆管首相「撤退なんてありえない。何としても冷却しなければ」

◆玄場担当相「これは戦争。3つの『スリーマイル』が起きている。」

「福島第一原子力発電所事故への対応や避難区域の設定など、政府の意志決定を担った原子力災害対策本部の「議事概要」が震災から1年目を目前にようやく公表された。ただ議事概要は、発言内容の要旨を箇条書きで羅列するだけで、発言者が特定せれていないケースも散見される。

政府の意志決定が、どのような議論に基づいて判断されたか、不明な点を多く残した。記録の不備は事故原因究明など後世の障害となるが、特に事故直後の1週間について、原子力安全・保安院の担当者は「メモの情報もほとんどない。当時は緊迫した状況で、資料を集めさせられたが、確証はない。」とする。

こうした姿勢は、事故調後の詳細な議事録を公開した米原子力規制委員会(NRC)とは雲税の差だ。3000P以上に亘る議事録は、録音に基づき作成され、委員同士の生々しい会話や発言の言い回しまで正確に再現している。「議論の議事録を取って公開することは慣行だ。」(NRCのメザ―ブ元委員長)との指摘を待つまでも無く、日本政府の情報管理体制の不備は糾弾されてしかるべきだ。

以下、本文記事は続く。

「リーダーは誰か?」「これは戦争だ。」

政府が3月9日に公表した原子力災害対策本部の議事概要からは、福島第一原子力発電所の事故直後の限られた情報の中、指揮系統がはっきりせず、閣僚らの意見相違も表面化するなど、事故対応が混乱を深めて行く様子が浮かび上がった。

東日本大震災が発生した昨年3月11日の午後7時過ぎ、官邸4階の大会議室に管直人首相ら関係閣僚が集まり、原子力対策本部の初会合が開かれた。

管首相が原子力緊急事態を宣言、事故状況をめぐり「メルト・ダウン(炉心溶融に至る可能性もあり」(発言者不明)、との報告が飛び出すと、海江田万里経済産業相は「10km範囲の人を避難させる必要があるかもしれない。」と言及した。

翌12日午後3時36分には1号機が水素爆発する。午後10時過ぎに第4回会議が開かれたが、まだ閣僚の間でも事故への認識に温度差がみられる。

「放射線量は必ずしも直ちに危険な水準ではない。」そう語る海江田経済産業相に食って係るように発言はエスカレートした。(続く)

今回のカラオケ大会は、3月8日(木)午後2時から、場所は「新北投温泉招待所」。

この日は大変盛り上がり、参加した皆さんは歌を歌ったり、友人と話たり、温泉に入ったり、そしてまた日本語カラオケを歌うと言うように、6時間を自由自在に過ごしていました。「総括プロジューサー」は、言わずと知れた石門環さん。この人は台湾原子能委員会総合計画部国際課技正という立派な肩書を持っていますが、ご自分の職場で週1回「日本語カラオケ教室」の先生をしておr、この日のお客は全部で14名でした。

同日午後、台北市内は折からの強い雨に見舞われていましたが、我々は石門環さんのマイカーで一足先に新北投へ向かいました。

石さんのお車には、見れば妙齢の女性がお2人乗っておられ、そして私の後にすぐ今度は大学生らしき若いギャルが大きな袋を持って盛り込んできました。 

招待所は、部屋だけは貸してくれますが、一切のサービスはナシ。

午後1時50分頃、招待所へ着いた時は、既に5名の女性陣が到着しておられ、パイナップル、パパイヤ、オレンジ、スイカ、ミニ・トマトなどの果物やワイン、中国茶、コーヒー、紅茶などの準備をしている最中でした。

私は物珍しそうに見ていたのですが、そのうち時間となり、石門環さんが「藤井さん、時間ですから始めてください。」と言われ、歌い始めはアイ・ジョージの「赤いグラス」。(やや歌いにくい。それはレベル・コントロールができていないから。エコーが効きすぎたり、音楽の音量が小さすぎてマイクの声に隠されてしまう。)

開始直後から皆さんの歌いようは、すごかった。それぞれ歌うのを決めていたようで、予約がどんどん入る。あっという間に、カラオケ機は10曲ぐらいの待機状態にある、そのほとんどは日本語カラオケです。このプログの「読者はホントかな?」と信じられない気持でしょうが、それが今の台湾のカラオケ事情なのです。

石門環さんは「毎週のカラオケ教室では、どうしても限界がある。やはり月1回は、外で実践を組む必要がある。」そういう意味で言えば、この日は公開練習日だったのですね。

この日も最後も「勿忘草を貴方に」。仕掛け人は、言わずと知れた石門環さん、この人は大勢のお弟子さんを持つ関係上、実に細かい処まで目配りして、あれこれと下さいます。この日の「勿忘草を貴方に」は、最初から全員大合唱ではなく、1番をAEC放射性物料管理局の劉組長、2番が私、そして第番が全員大合唱となり、めでたく「大団円」となりました。(続く)