今自分が(正月の最中も)こんなに気になっている/恐れている病は〇lsというものだ。(既に気力も無くほぼノイローゼ状態なので)簡単に言うと、脳からの筋肉伝達指令が壊れるもので・・・筋肉が痩せ細り筋力が無くなってしまうから握力も無くなり、1人で歩行も出来ない/呼吸器の筋力も落ちていくから人工呼吸器が必要になり…死に至る病。そう、国の難病指定されているこわいもの。
困った事に?その病、五感 (視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)、記憶、知性を司る神経は侵されないので…悩みや葛藤、苦しみやストレスは日々残ったまま。だから、体の衰えと死への恐怖だけからは逃れられないという(涙)
違和感/危機感を覚えたのは…去年の春頃。
ふとした時に右腕の力瘤辺りに、謎のひくつきを覚える。その時は回数も数日、ほんっと思い出した程度にしか現れなかったものの…PCをしてると酷い誤字脱字/チャットでのスピードが追いつかない/内科へ行くと、自分だけ異様な立ちくらみやめまいに冷え(冷え性そのものは一昨年の冬に感じていた)etcを感じていた
そもx2、その2年の間に(今迄になかった過激なダイエット/逆食不安の為、食べたり食べなかったりは有ったものの)20kg以上痩せた事がとても気になっていた。いつも行く内科の先生に相談しても、気に留めてるのは[血糖値の上昇]が主。その為か、褒めてはくれるものの特に何も追言されず。むしろ、消化器病センターのセンター長さんの様に「その体重じゃ、まだx2肥満体系だから」と。立ちくらみ/眩暈etcにも特に関心を示さず・・・。確かに糖尿を患った際、「(これからは)食パンと水、主にそれでね」と言われていたものの…本当にそれだけで(父が亡くなって忙しくなった)毎日を乗りきれる筈もなく、割と食べていた。とある病院ではCTを撮り、画像も見せたのだから(恐らく)「あぁ、血糖値の上昇はかなり頑張って抑えられてるものの・・・パンと水だけって事は無いよな」というのは気づかれてた筈。血液検査も以前に比べると毎月のようにしてはいたものの、いつもチェックを入れるのはヘモグロビンa1cか空腹時血糖値位。[L]の表示には別にスルー。・・・ところが最近になって、ようやく「少し痩せたかねぇ」とか(オイラが行かなかった時に)「息子さん、もしかしてダイエットとかしてるの?」と聞いていたらしい。それを知った時、心から愕然とした・・・あんなに「それなりに食べてるのに体重が」とか「腕の辺りがフツーの人より細すぎる様な」とか言っていたのに
それはともかく、6月の終わりに意を決して(落ち着かないながらに)総合医療センターに
親に付いて来てもらい・・・ハンマーによる反射反応/血液検査と尿検査で診察をもらう。そもx2父が生きていた頃は、院内で待つのも出来なかったので駐車場に停めてある車内で待ち(親が呼んでくれたら)そこへ。後は全部任せるという形態をとっていた自分にとっては、あんな大病院で(二日間とはいえ)7時間近く待っているのは驚く程の進歩だった。・・・まぁそれもイイとして、結果はというと「特に恐れる状態でもないと思います」という感じ。ところが握力は右:28kg/左:30kgしかなく(肝心の)筋電図検査はされなかった・・・それが又嫌な不安感を残したまま帰宅に
とりあえず「ホッとしたねぇ」という親に対して心の中では「たったの二回で(しかも筋電図なしで)何が分かるよ・・・どんなに速く症例が判断された方でも2年以上はかかってるのに」と思う自分。又、前者の様な捉え方の親だった為に(危機意識の問題差について)日々ジレンマと不安を抱える日々
その後、数年前に手術した痔漏の悪化が懸念されたので・・・以前お世話になった(というか前述でCTを撮ってもらった)総合病院の外科の先生に診てもらいに。その方は自分が心の病を抱えている事を御存知なので、色々親身になって対応、かなりのフォローもしてもらう。そして聞く所によると(過去に)〇ls患者の方を見た(恐らくだけど診たというより、見たの感覚に近いと思う)事もあるという話を聞き、色々相談を聞いてもらう。その際に[見た目]で判断出来る3つのポイントを教えてもらう・・・も、やはりその先生さえ「確定されるまでに3年はかかる病だからねぇ」と。又そのポイント(実はwikiにも載ってた事)は除外出来たけど・・・一番最初に気にして打ち明けた、はたから見ると骸骨の様に見える手の甲の骨格筋の痩せ、それは現段階で更に顕著に確認出来てる。更に皮肉な話、その頃は既に母の体力の方も酷く落ち始めていたので1人で通院してる事が殆どで・・・その時も(一番真剣に聞いてもらいたかった)彼女はそこに居ず。帰宅しても(そんな中作らせては悪いなぁと)コンビニで買ってきた食べ物や、一時は視力が無くなるかもしれないと言われていたのに未だに夢中のテレビ・・・そちらにのみ関心が強くそれが又自分を苛々させる
そして、季節は秋の初め位だろうか…
今迄youtubeに流れている曲に合わせて、指でリズムを刻むという遊びが好きだったが・・・それもかなりしんどくなってきた。(ドラム)ロールはおろか、シャッフルビートも殆ど刻めなくなりそれまで平気で2~3時間以上デスクの端を叩けていたのが3曲もすると腕がだる。そしてよくx2見てみると、前腕の甲や筋肉が更に痩せ細っている。不規則な生活に食生活とはいえ「流石にこれは」と危機感を覚える様になった。
案の定、その後に母の再手術が決定・・・その頃になると、ノイローゼや心身異常な波を毎日のように乗り越えている感じ。母はそんな中でさえ、テレビを見るのをやめないし俺の言う事を聞かない。絶望と不安のみが混沌となる中で・・・1人(更に皮肉な話)抱え込む様に増えた通院や洗濯や食事、入院準備を全てこなす。それでも、奴は(いかんせん我が強いのか/プライドが高いのか)人の忠告は殆ど聞かず、それとごろかこちらの揚げ足取りは嬉々としてしてきたり(露骨に聞きたくない話になるとテレビや広告などを見て)無視。俺の通院先への電話はしたくないが、自分のしなければならない事や買い物などに行く際の支度や電話はテキパキと済ませる様子に…心の我慢も限界寸前。だけど、弱った親に手もあげられないし・・・風邪とかひいていたり/帰りが遅くなると心配で仕方無い。そんな感じを繰り返しつつ、入院の日も(精神崩壊しつつ)何とか徳山まで付いていくも・・・今迄に感じた事のない異様な寒さと身体の気だるさも混じり(悪いなぁと思いつつ)荷物を運ぶと逃げるように帰宅。しかし、その数日は嚥下障害が気になって何も喉を通らない&ナゼか異様に疲れて只只管(水もとらず)眠る毎日。少しだけ気分が落ち着いたのは奴が帰る数日前だった。何とか退院の日も迎え、タクシーで行くも・・・(何一つ変わらない)あの人の態度と(せめてもと楽しみにしていた)[二葉屋]で好きなパンを買うという行為も出来ず1人だけテンションはガタ落ち。それでも洗濯物を済ませ、料理もして母には(五月蠅いながらも)「暖かくして寝ときぃよ~」とフォローしていた
実はその間消化器センターのセンター長に言われた「84歳のお爺ちゃんだって、短パン半そでで海峡マラソンとか走ってても何ともないじゃん」「マラソンランナーだって24.195kgも・・・」という叱咤激励(と思いたい)に・・・正直心の中では「(老人とはいえ)マラソンを走りきる為に日々走りこなしてる人の体力と父の癌(しかもその医師が担当していた)にショックを覚えつつも、日々何とか自分が出来るだけの事を尽くして苦労しつつダイエットで体重落とした精神病患者にそんなに強く言うかなぁ」と大粒の涙を流しつつ、始めたウォーキング。それで、右足の親指に痺れを覚える。そしてその痺れは左にも移行・・・強いては、30分の競歩で両足の甲が酷く疲れ直後謎の睡魔に襲われる様になる←そんな症状が出て来たので(痔漏の検診も兼ね)外科に通っていた。無論、母が居ないので(今とはほとんど当たり前になったが)1人で何度か。・・・ところが、殆どが時間外に設定してくれていた事/又、フツーの日でも(そこの病院が)MRIやCTを撮る方は、外科以外からも続々と訪れる&健康診断の時期に重なったためもあってか、受けられたのは問診のみ。何も解決されないまま今もその状態という
そして・・・日々重ねる毎に手の甲の大きさが明らかに小さくなり、寝てもx2疲れが取れない/朝寝起きには両手の指が痛くてゆっくりと時間をかけないと手が開けない。そんな症状も増えていった。そんな中、又新たに通い出した耳鼻咽喉科では(いつもの内科では診断されないもののそうじゃないかなぁと思っていた)[副鼻腔]が見つかり、歯科では[虫歯治療]・・・と酷使したくなくてもそれだけで身体を痛めてる状態。無論、その間洗濯や家事は続けながら母の心配もしてるものの毎日(近所に大痴態を晒しての)大喧嘩。貯金の額も残り少なくなって来たのに/逆食や糖尿を抱えてるからそんな食べられなくなってるというのに・・・買物ジャンキーな性格は治らず、危機意識(実際は少しは有ると思うが)の無さを感じられないのは相変わらず。又、こちらとしては「こんなに言ってるのに」と思ってるフラストレーションとあちらとしては「又言ってるよ、うるせぇなぁ。過ぎた事はイイじゃん/金出して頼めばイイじゃん」と思ってるフラストレーションは大爆発。亀裂も生じる様に
いつも、最初は「自分がやるからええっちゃ!」と掴んだ手も振りほどいて我を貫き通しても、その事で深くストレスを溜めつつ結局は俺が1人殆どの事を済ませる・・・という事で年末も過ぎた。クリスマスもとうに過ぎて(筋電図検査も出来るとあったので)通い出した脳神経外科/脳神経内科が併発された医院でも、当初の医師は・・・その一日で触診/脳と腰椎をMRIで撮影を7時間近く待って済ませたものの(俺じゃ分からないと思ったのか)「毎週火曜日に(女性だけど)神経内科の医師が来るからその方に」となり、翌日行く事に。しかし、腕や四股へのハンマー反射や指の動き/握力計での触診をしてもらうも・・・「どっちにしろ、開業医の様な医院では判断は付けられない」「〇lsになっていたとしてもなっていなくても、容易にここで告げないと思う」と仰ってナゼか脳のMRI撮影(長い事頭を動かせられないし、尚且つ固定してる器具の下はお侍さんが寝る時にする異常に固くて薄いので後頭部が酷く痛くなる)を年明けに再度する事に。(どうしても気になる場合は)結局、その方が通られてる例の総合医療に行く事になるという。しかし「ペンをとると疲れるって言っても、割と2枚とも綺麗に書けてるじゃーん(その内一枚は別の日に綴ったもの、要は一枚でもそれだけ疲れる)」「筋電図は思ったより痛いよ~」「正月を挟むけど、この一週間で特に何か酷く症状が悪化するわけでもないからさぁ、あんま考えこまないようにねぇ」という(まぁ、〇神病患者特有への)"知恵遅れの子を宥めるような"柔らかめの対応に・・・「あ~あ」と思ったのは否めない。看護師の方は、採血中に「足首とねぇ、手とねぇ〇〇が気になるんってぇ」と明らかに自分が告げた事をキャッx2と笑いながら話してる。残念な事に、こちらがそんな事を冷めた目で見てるというのも意識としてないのだろう。オイラが混じりけ無しの寸分狂わずアホだからと思い「まさか悟られてる?」という捉え方も無い様だ。脳と腰の撮影も他の病への可能性を除外するもの(つまり今回の様に「腰は大丈夫みたいよ」と言われたら、切り捨てで確率は高くなる)だし、又それのコピーももらえなかった。反射にしたって"特に何とも無い"としても・・・初期には一時的に亢進するというのも知ってる
正直、自分には焦りがある。何かあった場合、じゃあその医師の方が「こんな身体になって可哀相」と手〇キでもしてくれるというのか?今迄「何とも無いんじゃな~い?」と言って反応を特に示さなかった医師の方達が、週末になったら見舞いに来てくれるのか?・・・そこまでしなくても、携帯ナンバーを交換してこんな俺とでも友達になってくれるのか?答えはどれも「NO!」だ。只一人、年老いた親に苦労をかけてしまう事を力尽きて排便さえ自分で出来なくなる自分が、毎日のように泣きじゃくりながら詫びつつ恐怖の中余生を迎えるのだ。オイラはまだ33歳、そんな事が起きるなんて思いたくもない・・・しかし、この2日胡坐をかいているだけで股関節は酷い筋肉痛。寝てもx2朝は疲れが残ってる/手の握力が戻るまで時間がかかる。リモコンでチャンネルを変えるだけでも疲れる、ハガキも何とか3枚綴れればいい方・・・そんな状態なんだ。あの後帰宅して検索したら、医師というよりレジデント(=2年以上の研修段階にいる研修医)だった事が判明した、〇〇さん。あなたがDTを奪ってくれるのかよ!!!!!!!尊厳死を受け入れるか受け入れないかの問題が問われてるなら・・・"アホを宥める様に接し「どうせそれになってたら何れは死ぬんだし」という態度で特に危機感を感じない"そんな捉え方だけはしないで欲しい。延命の尊厳がある事も理解して説明をしてもらいたいと思う
手の指も痩せ細り、手の甲も8.5cmと縮まっていき疲れも(前述の)痙攣数も一時間に十数回と増えている中で・・・相変わらずの意味不明な長文になっちゃったけど、どうかお許し頂きたい。誰だって若くして最期を迎えたくないし、正月の最中こんな事を綴りたくないのだ。だけどあまりに全ての俺以外が無責任すぎる、無関心過ぎる。知恵遅れが1人この世界から居なくなろうが、医師等何とも思わないのだろうからね
今、読み直してみると・・・頭がボーっとしてる中で何とか3時間近くかけて書いたのもあってか、ビミョーに時期がズレていたり/まだx2言われた事もあるのだがいかんせん体力が無い。だから、そのままにしておく。(そんな奇特な人はいないと思うけど)もしも気になってくれた方がいらしたら、過去ログを