師走の花、名古屋の日本庭園②《徳川園/2020年12月19日》

 

 

 

徳川園 龍仙湖 (薬草の歳時記 加藤久幸)

日本庭園・徳川園(名古屋)、龍仙湖のコイたち

泳ぐ宝石と言われるニシキゴイ。それぞれ異なる模様は。命が描く色彩です。

 

 

 

 昨年末(2020年12月19日)、名古屋の日本庭園に行った際の報告です。

 年が明けて、2021年1月9日(土)には冬ボタンを見に、この徳川園に行きました。後日、報告いたします。

 

 徳川園は、武家庭園です。名古屋駅から車で15~20分程の距離にあります。JRの最寄り駅は大曽根(大曽根/中央腺で、名古屋から4駅目の駅)で、下車後徒歩10分程で園に着きます(バスなら、大曽根発の栄行きで2区乗車)。

 平成16年に庭園として整備されました。尾張徳川家の宝物を展示する徳川美術館が、隣接しています。

 

 自宅(守山区)から20分程の場所に、徳川園があります(自宅から徒歩8分+JR1区3分+降車後徒歩10分)。庭園の花たちを見に、美術館(徳川美術館)の展示を見に、折々訪れています。

 小学生の頃(50~45年程前)、さらに家が近かったので(東区)、この場所で遊んでいました。

こんな大きな池はなく(小さな池は幾つかあった)、どこでも見られる公園でした。驚くほどの変わり様です。

 

・・・・・・・・・・・・

 

【徳川園について(公式サイト掲載文)】

 徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。

 昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開されました。昭和20年(1945年)に大空襲により園内の大部分を焼失した後は一般的な公園として利用されてきましたが、平成16年秋に日本庭園としてリニューアルしました。

 

 

 徳川園 龍仙湖 (薬草の歳時記 加藤久幸)

徳川園(名古屋市 東区)の風景

北口から入るとすぐ、この風景が目に入ります。女の子が、コイにえさをやっていました。親子とも、楽しそうです。

建物は観仙楼と、池は龍仙湖と名づけられています。(入場は、この北口と、南口の2か所があります。/南口はグッズ売店併設)。

 

 

 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

徳川園の風景

 

 

 徳川園 龍仙湖 (薬草の歳時記 加藤久幸)

コイの争奪戦

お客さんから投げてもらう鯉エサを、じゃぶじゃぶ水波を立て、奪いあっています。

そして、すきあらば、エサを奪おうとしているハト。

 

 

 徳川園 紅葉 (薬草の歳時記 加藤久幸)

紅葉風景

12月ですが、まだ美しい紅葉風景が残っています。

 

 

 徳川園 ソテツのこも巻き (薬草の歳時記 加藤久幸)

ソテツのこも巻き

南国植物のソテツを、寒さから守るため、植物繊維で出来た「こも」を巻いてあります。

 

 

 

 

 

 白マユミ シロマユミ (薬草の歳時記 加藤久幸)

白マユミ(白檀 白真弓/ニシキギ科 ニシキギ属 落葉低木)

 袋状の果皮(朔果)がこの画像では白色ですが、通常野山で出会うマユミは、ほとんどが赤色です(わたしがよく訪れる伊吹山登山道にも、マユミの木は多くあります)。白マユミは、栽培品種として広まっています。

 果実は枝に長く残っているもので、果実としてはあまりおいしくないのでしょう。ヒヨドリやメジロがそれを食べると言います。新芽を食べる事が出来ますが、種子には激しい作用をする脂肪油が含まれていて食べると身体に良くありません。

 

 果皮の中にあるのは、4つの赤い種子(仮種皮に包まれる)ですが、これは白マユミ・マユミとも共通です。

 

 女性の名前をつけた訳ではありません。よくしなる材で弓を作っていた事から、この名になりました。かっては和紙の原料とされていましたが、より用いやすいコウゾ(楮)にその座を譲りました。現在は、クシや印鑑の原料に用いられています。

 

 

 

 

 

 サザンカの花 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

サザンカの花美しく

 

 

 

 

 

 白南天 シロナンテン 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

白ナンテン(白南天/メギ科 ナンテン属 中国原産の常緑低木)

 白い果実をつけたナンテンがありました。普通、ナンテンの木の多くは、赤いつややかな果実を実らせます。これは、陽光や風雨にさらされたため、白く色あせてしまった訳ではありません。白い果実がつく、白ナンテン(白南天)という種なのです。

 ナンテンの果実は、ノドに良い生薬として使われます。

 漢方の専門家間では、「赤いものより、白いナンテン果実のほうが、薬効が強い」の意見を言われる事が多いです。なぜそうなのかを説明出来る方はいままでいませんでしたが、肺が白い色に属する事からだと、わたしは想像しています。

 現在は、白色果実も赤色果実も、薬効に違いはないと言われています。

 

 

 白南天 シロナンテン (薬草の歳時記 加藤久幸)

白南天の果実

 

 

 

 

 

 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

人工滝の手前(ここから水が流れ、5m程下へ流れて行きます)

 

 

 徳川園 ガーデンレストラン (薬草の歳時記 加藤久幸)

南口に隣接した、ガーデンレストラン入口

 

 

 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

徳川園南口、グッズ販売の売店

 

 

 徳川美術館 (薬草の歳時記 加藤久幸)

徳川美術館(奥の建物)

 

 

 徳川園 黒門 (薬草の歳時記 加藤久幸)

西側にある門(黒門)

 

 

 門松 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

門松

門松の竹を、徳川家康が斜めに切ったとされ、これが江戸時代に各戸に広まりました。

(1月9日放送の、NHK・ちこちゃんにしかられる の番組内で説明されていました。)

 

 

 門松 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

門松の説明看板

 

 

 

 

 

 徳川園 イヌマキ (薬草の歳時記 加藤久幸)

イヌマキ(犬槇/マキ科 マキ属 常緑針葉高木)

 街路樹に、不思議な2段になった果実が、実っていました。じつに印象的な果実の形です。

 赤い部分が果実で(花床)、松脂(まつやに)を思わす匂いはありますが食べる事が出来ます。見た印象とは異なりおいしいとは言い難く、果汁は粘ります。

 先端の緑の部分が種子で、植物としてはこれを食べられたくないので、毒成分を含ませています(食べられません)。

 

 イヌマキは雌雄異株の樹なので、果実のつく写真のものは雌株です。日本では庭園樹・防風林(防音・防火にも)として用いられ、建材にした場合は白アリに強いとされます。

 その果実の形から、イヌマキは中国で縁起物(縁起の良い樹)とされ、高額で買い取られていましたが、根につく土への防疫を理由に2019年秋から、その移入が止まっています。

 

 

 イヌマキ 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

イヌマキの果実

わずかに枝に残っていました。下を見ると20程のイヌマキ果実が落ちていました。赤い部分は食べられそうな印象、噛んでみると、驚く粘液。味は、特別感じませんでした。わずかに甘味があるようにも思いました。

 

 

 イヌマキ 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

イヌマキの果実(2段になっている先端部分)

緑の部分を噛み割ってみると、スギの果実の様な、蒼く鼻をつくにおいがします。わずかに口内に触れましたが、吐き出したくなりました。

 

 

 イヌマキ 徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

イヌマキ(街路樹)

徳川園の北側の街路樹は、イヌマキです。

 

 

 

 

 

ハクモクレン 白木蘭 白木蓮 (薬草の歳時記 加藤久幸)

白モクレンの赤ちゃん(つぼみ)

徳川園西側の街路樹は、ハクモクレンの並木となっています。3月に咲くハクモクレン(白木蓮、白木蘭)にツボミが、すでに用意されています。短毛で覆われるツボミは、温かなおくるみで包まれる赤ちゃんの様です。

 

 

徳川園 (薬草の歳時記 加藤久幸)

徳川園の長塀

西側の境界です。わたしが子どもの頃(45年前頃)、ここは野球のグラウンドであり、フェンスで仕切られていました。

 

 

 

⇒ 徳川園①(12月19日・2020年) に もどる

 

・・・・・・・・・・・・

 

→ 11月2日の徳川園(日本庭園/①花嫁さんと、寒ボタンの花) を見る