EV化の一端か、超小型の一人乗り、二人乗りEV車両の話題にふれることが多くなってきました。
これらを総称して、“超小型モビリティ”と呼んでいるようです。
超小型モビリティとは、最新の車両カテゴリーで、最高速を30km/h以下と60km/h以下に抑える2つで、どちらも“原付”以上“軽”以下のカテゴリーです。
速い方は、“高速道路は走れない、軽より小さい軽”で、それに見合って求められる安全基準が緩和されています。
遅い方は、言ってみればゴルフカートもどきの空調のない“ミニカー”で、10年以上前からいくつかの社会実験が行なわれていましたが、未だこれといった成功例がありませんでした。
それが、このところ又盛り上がりを見せ始めました。
理由の一つは、本来パーソナルモビリティと商用の集配用途の一部という限られたニーズしか期待できない反面、世界的な燃費、CO2排出量のメーカー毎規制への対応として、“燃費の良い超小型EVを沢山売るほど、燃費は悪いが利幅の大きい高級車を売ることができる”という皮肉なロジックが一方にあり、トヨタをはじめとした自動車メーカーの開発投資を後押ししていることです。
そうではなく、この新しいカテゴリーを誕生させる真の社会的意義は何なのか、考えてみました。
今や超高齢化と地方の過疎化が、否応なく進行しています。
高齢者に限ったことではありませんが、人の幸福感が、自由に移動できる手段を持つことに依存しているという研究報告があります。
前期高齢者である私自身、この議論を実感できます。
クルマというパーソナルな移動手段を持つことで、毎日、買い物やスポーツ施設や離れた住む家族・友人に会うために移動できる自由を当然のように享受できていますが、これを失った先には、不健康で閉じこもりがちな生活が容易に想像できます。
公共交通システムが発達した都市部に住みながらもこのように感じられるのですから、地方都市や過疎地に住む高齢者にとって、この自由でパーソナルな移動手段がいかに大事か良く理解できます。
過疎化、高齢化の下、総活躍社会実現という課題に対し、“超小型モビリティの意義”を、“高齢者が自由に安全に移動できる手段の提供”と再定義してみたらどうか、と思っています。
高速道路を走れなくても、時間距離1時間程度のエリアをカバーできれば良いでしょう。距離でいえば、都市部で半径20km、地方では40km程度で十分かもしれません。
そのためには、電池容量は5kwhで十分かもしれません。最高速度は60km/hで十分で市街地では30km/h以下で十分です。
この新しいモビリティ(移動手段)を実現するには、インフラ側の整備と運用法の革新が必須です。
相対的に高速で重い一般的な自動車との混合交通における軋轢をミニマムにする工夫がなければ、絵に描いた餅になりかねません。
過去、多くの新カテゴリーの移動手段が普及しなかったのは、既存の道路交通システムとの協調ができなかったからだと思います。
その為にも、近年長足の進歩がみられるADAS、自動運転、コネクテッド、EV化は大いに役立つはずです。
都市部では、カーシェアも有効でしょう。
この文脈にそって、超小型モビリティが必要不可欠な移動手段になることを望みます。
単に、軽自動車より少し小さいだけのクルマであれば、なんの意味もありません。
確立された日本固有の優れたカテゴリーである軽自動車に勝るはずもありません。
歩行困難な高齢者や、効率良く移動したい人にとっては、超々小型モビリティともいえる、電動自転車、電動ホイールチェアー、電動キックボードというモビリティが必要です。
時速5km/h以下の移動手段まで含めれば、車道にとどまらず歩道と建物内まで含む“移動手段と道路システム”の革新と既存システムの運用法の大胆な変更が、同時に必要です。
車道と歩道の何処を走らせるか、優先権をどう与えるか、駐停車をどうするか、段差をどうのように乗り越えさせるか、保管とシェアの仕組みをどうするか、、、多くの課題を解決し、システムとして最適化していく仕事が、クルマの開発の他に必要です。
今、まさに世界中で加速しているクルマの革新を、それだけに終わらせてはなりません。
税金の無駄使いにつながるインフラヘビーを避けつつ、そこに暮らす人々にとって最適な混合交通システムを創造することが、今後の日本社会の発展とそこに暮らす人々の幸福にとって、最重要課題です。