おはようございます閑林庵です
山のてっぺん、早朝のカメラ
鹿と猫が映っているね
昼間は、草刈
大汗
困っているのは、この烏
草刈のお客さんが大勢でね
なんとか、草刈終了
家人は引き続き、組合の仕事で実家で仕事
私は、自宅に退去して、このところ、惰眠をむさぼっている
犬たちと、ゴロゴロ、昔はプー太郎とか言ったけれど
なんにもしないで、ゴ~ロゴロ
それが、これにハマってね
池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』
全部で24巻
面白くてね
ついつい読み続けて、あっという間に読み切れそう
なぜ、この長谷川平蔵にゾッコンなのか
自分ながらに考えましたよ
きっと、自分に足りないところに惹かれるのだと思う
それはね、「情」
自分には、これが足りない
平蔵は、若い頃、放蕩三昧をしている
そのわけは、長くなるから割愛するけれど
それが、長じて、今のお役目、火盗改めの御頭にはなくてはならないものになっている
その一方で
この大正新脩大蔵経の14巻に収蔵されている『維摩経(ゆいまきょう)』という経典を読むとね
これまでと、違うんだよね
『維摩経』の漢訳の中でも、鳩摩羅什(くまらじゅう)が訳した『維摩経』は
本文が短い
それに、それほど漢文が読みにくいというわけでもないから
何度も読んでいる
そのなかで
維摩という金持ちが、お釈迦様の十大弟子を論破する場面があるんだけれど
今までは、維摩という人を、超立派で学識も人品も高貴な、一般とは格別な人に見てた
ところがね
鬼平を読んでから、『維摩経』を読むとね
酸いも甘いも嚙み分けた人の言に、なるんだよね
懐かしい感じがするんだね
それで、ますますこの経典が、いいなぁ~になってきている
今日も、惰眠をむさぼりながら、鬼平を読むつもりでね
ゴロゴロして
しあわせなことだなぁと思います
ありがたいね