年一度の春の京都。
1月に予約しまだまだ先だと思っていたがあっという間に4月になった。
学校での学びや修学旅行等を一通り終えて、大人になってなら訪れる京都は言葉に表現出来ない楽しさがある。
今の京都での楽しみは平家物語由来の地を回ること、そして花街である。
宿泊は六波羅(六原)近く。
今年は二泊三日で、祇園甲部、宮川町のをどりを見て、大原寂光院に行くが目標だった。
平家物語の大原御幸の章は学生時代から好きだった場面である。
建礼門院徳子と後白河法皇が寂光院の庵で対面する場面は栄枯盛衰が表れていて何とも哀れで惹きつけられて止まない。
建礼門院徳子は平清盛の娘として生まれ、入内し天皇の后妃になって皇子を産み、その皇子は安徳天皇となる。
栄華を極めた前半生、平家と共に壇ノ浦に落ち伸び入水するも源氏方に熊手で引き上げられ京都に戻り出家したち隠棲。
その落差が何とも言えず哀れさを誘う。
建礼門院の墓は大原西陵といって寂光院の隣にある。
京都中心地からバスに揺られること80分。
当時は牛車や馬に乗って丸一日以上はかかっただろうか。
実家の平家が滅びた後の都の話みたいなものは聞きたくない、だけど生まれ育った都からは離れたくない。
建礼門院の心中はこんな感じだったのかもしれない。
建礼門院が隠棲した庵の跡地。
寂光院の敷地内にある。
この場所に庵があり建礼門院は後白河法皇と対面している。
大原西陵参道入り口。
大原西陵。
ここに建礼門院徳子が埋葬されている。