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茨大ボート部のブログ

試合結果や漕艇部の日常を更新します!


かの人は言葉遣いが荒くて、自分が一番だと思っていて、文句が多くて、えげつなくスパルタでした。
かの人は生徒一人一人をよく見ていて、勝ちにこだわっていて、人生で大切なことを教えてくれて、卒業式で泣いてくれる人でした。

僕は高校からボートを始めましたが、中学では卓球部でした。親友が小学校から卓球をやっていて中学でも続けるというのでじゃあ一緒にやってみよう~という軽ーい気持ちで入部しました。そこで顧問をしていた先生が前段落の「かの人」です。社会人の大会でバンバン好成績を修めたすごい人です。ボート部関係者に例えるなら後神さんぐらいすごい人です。3年間お世話になりました。友達と楽しくやろうかなぐらいの気持ちで入部した僕でしたが、練習が始まってからその甘い考えは吹っ飛ばされることとなりました。

僕たち初心者組が練習している中、怒鳴り声がずっと練習場に響き渡ります。見れば50を過ぎた「かの人」が中学生相手に、汗を流しながらビシバシやっているのです。「帰れ」と言われた部員は数知れず(彼の場合、帰らない方が怒られます)。ダブルスの先輩は、ラリーが100回続くまで練習を終わらせてもらえず、その他部員もそれが終わるまで待たなければいけませんでした。水分補給は水道水のみ。理由は「スポドリが必要なほどやってないだろ」とのこと。いやこっちはどんだけ汗かいてると思ってんだ。てかお前理科の先生だろ。

─あれ、結構ガチじゃん。これやっていけんのかな。

そんな不安を抱えていたのは、同期がほぼ経験者でかつ人数が団体戦にぎりぎり出れる人数だったからでした。初心者でもともと運動が得意ではないのでどうしても部内では一番弱くて、同時期に始めたはずの女子卓球部にすら負けて泣いたりして、でも大会には絶対に出ることになる。一気に卓球が嫌いになりました。真面目で純粋無垢な石田少年はただただ自分が弱いという事実にうちひしがれます。そんな初心者の僕は彼の言うことを聞いて吸収していくしかありませんでした。そして彼もそれに応えてくれました。基本のフォーム、サーブレシーブ、点数の取り方のパターン、勝つためのメンタル、僕の悪い癖、頭の使い方、僕の人間的に良い点悪い点と、言葉が悪いことを除けば、分かりやすく一つ一つ教えてくれたり気づかせてくれたりしました。

毎日毎日図星をさしてきて、もっとこうだ、違うもっとこんなだと汗を流し声を張り上げ根気強く向き合ってくる50代の姿に中学生石田少年は心を打たれます。この人は自分を一人の人間としてしっかり見てくれている、どんなに下手くそでもどうにかしようとしてくれていると。言葉遣いが荒くても、やたら厳しくても、この人は「優しい」人なんだと分かりました。どうにか応えたい、下手くそなら下手くそなりに全力を尽くしたいと思えるようになりました。

それからは速かったです。二年生の秋の大会の団体戦で僕はダブルスで出場しましたが全勝、チームとしても市、県ともども優勝しました。それから三年生の最後の県大会までダブルスは県内ではほぼ負け知らず状態になりました。こんなことを言うとかの人に「謙虚になれ」と怒られてしまいそうですが。そんなに勝ってたのになぜ卓球を続けなかったのかというと、結局卓球は好きにはなれなかったからです。先生が好きになって、同期と一緒に勝ちを目指したくてやっていたので、別にそれは卓球じゃなくてもできるなと思いました。まあボート部を一番最初に勧めてくれたのも彼なんですけどね。

部活を通して親からは人格が変わったとまで言われました。今の僕があるのは彼のおかげです。そんな中学3年間を過ごし卒業式を迎え卒業証書を授与されたその瞬間、かの人は柄にもなく号泣していたそうです。他人から話されるのが嫌だったのか自分から「泣いてしまったねが」と報告してきました。ここで改めてこの人は「優しい」人なんだなと実感します。同時に僕もこんな大人になりたいと思いました。こんな教師になりたいと思いました。

かの人は口が悪く、
憎たらしく、
この先もずっと僕の憧れの存在です。

今よりもっと彼に近づけるようにこれからも部活に励んでいきたいと思います。
一年生の皆さん、ボート部はそんななりたい何かを目指すあなたを応援しています!ボート部はそれができる環境を提供する自信があります!選手、マネージャーともに大募集中です!

雑な宣伝で台無しにしたところで今回は以上です。また今回の写真は高校時代の僕です。特に意味はありません。

 

2年漕手・石田太一

こんにちは、2年漕手の関戸です。

先日、我らがボート部の活動体験として試乗会を行いました!

なんとこれまでに8人ものキラキラ新入生がボートを漕ぎに来てくれました、、!!!


そしてなんと第1回試乗会にて!今年度新入部員第1号が誕生しました🏋️‍♂️

(豚汁を受け取るおっちー)


彼は落合祐輔くんといって、東京出身のシティーボーイです。茨城に来てどう?と聞かれると「のどかでいいと思います」なんてぬかしておりました。中学校と高校で水泳を続けていたそうで、肩幅がとても広いんです💪

長い手足と肩甲骨の広い可動域を駆使してたくさんボート漕いで欲しいです。

SNSのアカウントの名前が全部「おっちー」になっていたので部員は皆おっちーと呼んでいます。ちなみに所属は農学部です。農学部生がどんどん増えてきて嬉しいですね。(筆者も農学部)阿見キャンパスで一緒に練習できる日が待ち遠しいです。

私のおっちーに対する第一印象(zoom)は、礼儀正しくてちょっとお茶目だけど落ち着いた子だったんですが、驚きの順応力を隠し持っていたんです。


これは入部して1週間が経過したころの写真ですが、3年漕手の池田(右)のポーズを真似していますね。

あっという間にボート部に染まってしまいました。。。順応するのがはやい!ウィンブレも似合ってるね☺️

それに入部宣言してくれてからすぐ次の日から上級生と同じように練習に参加するという素晴らしい気合の持ち主で、これはすぐにボート速くなるんじゃないか、、、!?楽しみにしています。


新歓イベントにも新入生の視点から意見を出してくれたり手伝ってくれたり、友達を連れてきてくれたりと即戦力になってくれています。ありがとう!


これからよろしくお願いします🤲





ボート部は一緒に活動してくれる仲間をいつでも募集しています!!マネージャーも選手もボート部にもっとたくさん入ってほしい!!!!

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2021年度のボート部PV

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練習の見学もできるので、少しでも気になったらどのSNSからでも、ぜひ声をかけてください🙇‍♀️



関戸

あなたは本当におおきな物を見たことはあるか。

私は大学生2年生、茨城県阿見町でしがないボート部員をしている。

あなたは、本当におおきな物の頂上に登りたいと夢を見たことはあるか。



大学2年生になってキャンパスが変わった。

大学側もコロナ対策に慣れて(?)きて、対面授業が増えた。約2ヶ月もの春休みが過ぎ、新しいキャンパスで受ける対面授業の三講時、担当のM先生はこう言った。

「なしくずし的にOKになってるので」

それを聞いてわたしは大いに喜んだ。なぜならこのときM先生は授業中にガム、フリスクなどを食べてもいいと言ったからだ。音や匂いがしないなら、軽食まで良しときた。なんて素敵な先生なんだ。自分が実際食べるかどうかは別として、そういう行動を認めてくれる余裕のある授業はきっと楽しいと思った。まあ本編とは全く関係はないが、そのとき彼は飲食禁止とされている教室でガムを食べることを、なしくずし的にOKになってるから、という理由で容認したのだった。



農学部がある阿見キャンパスと他の学部がある水戸キャンパスは遠く離れている。水戸にいる部員と約50キロ離れていても、我ら農学部生はボートに邁進しなければならない。

きのう水戸から移動してきたばかりなので、阿見には立派な艇庫があるわけでもなし、練習場所がない。ならば走ろう、とわたしは思った。新しく生活する町をランニングしながら探索するなんて楽しいじゃないか。


運動服に着替え、スマホと500円が入ったウエストポーチをつけ、靴ヒモを結ぶ。17:25、走りだした。

20分くらい走ると、森がみえてきた。「ふれあいの森」の看板。その森に入ってまた何分かすると今まで木々によって遮られていた視界が急にひらけて、それは姿を現した。


あれはなんだ。

あの高尚な後ろ姿、大仏なんじゃないか。阿見町の近くには牛久市がある。そこには牛久大仏とかいう有名な、それはそれは大きな大仏があるのだと聞いたことがある。あれはまさか、牛久大仏なのか。

わたしは驚きのあまり立ち止まり、写真を撮る。心拍数が下がってはいけないので、すぐにまた走りだす。もしかしたら行けるかもしれない、と思った。


ここで主張したいことは、私は土地勘がないということである。水戸からきのう阿見にやってきた。昨日の今日である。人間というのは知らないものに関しては適当になりがちだ。愛知県出身の私は、茨城に出てくるまで関東圏の都府県なんてみんな同じだと思っていた。茨城も東京もそんな変わんないっしょ。そんな風に、今日も思ってしまった。阿見も牛久もそんな変わんないっしょ。


牛久大仏がどれだけ遠いかより、牛久大仏の雄大さに、偶然それを見つけてしまった幸運に、私の胸は高鳴った。今日は1時間ランニングする予定だったので、とりあえず18:00まで牛久大仏に向かって走ろうと思った。やはり心拍数は下げられないので、スマホで地図を見るなんてことはしない。田んぼのあぜ道をがむしゃらに走り抜け、大きな道路に出た。牛久大仏という文字と左を指す矢印が書かれた看板があった。ここを左に曲がってずっといけば辿り着けるに違いない。


私は夢を見てしまった。遠く遠くに見える後ろ姿のあの人はどんな顔をしているのか。それを登った先にはどんな景色が見えるのか。


どんどんどんどん走る。民家が全く見えなくなっても、人っ子ひとりいないような、人さらいが来たら絶対に負けてしまうって思うくらい木々の生い茂る道も無心に走る。牛久大仏、牛久大仏。牛久大仏、牛久大仏!


18:05になっても、それは遠いままだった。

もう時間も遅いし、私の赤と黒の服装は夜のランニングには不向きだ。街灯もほとんどないしライトも持っていない。正面から拝むことは叶わなかったが、横顔を拝むことはできた。



夕日と相まってとても綺麗なその大仏は、私が来るかどうかなんてちっとも気にしていないようだった。仕方ない。今日はもう帰ろう。


帰り道、わたしは反省した。つい3ヶ月前まで通っていた自動車学校の性格診断で、あなたは衝動的な行動が多い傾向があるから注意するとよいとアドバイスされたことを思い出した。

2月に引いて初めて出した大吉のおみくじに、色んなことがうまくいくが計画性がなければ何もうまくいかないと書かれていたことを思い出した。

私が走っている途中で設定した、牛久大仏のところに行くという目標は達成されなかった。それはなしくずし的にOKとはならなかったのである。


18:45、家についた。

走った距離は13.3キロだった。

最後に撮った横顔の写真の位置情報を調べると、目的の牛久大仏まで1キロもなかった。あともう5分走っていれば、たぶん着いていた。なんてこった。もうよく分からない。また別日に自転車で行こう。


関戸