今日もその仕事でした。
今日の作業は、小松菜の時間が経ちすぎて大きくなりすぎたり、虫に食われているものが多くなってきているものを撤去する作業でした
虫が食っているから、捨てる(農薬使用していません)
商品にならないから捨てる
もったないです
ということで、どっさりもらってきました!(色んな人におすそわけもしました)
茹でて冷凍しておけば、長期間もたせられるとファームで教わり、洗い方も教わりました
虫がいるかもしれないし、土ついてるから一本一本洗ったほうがいいと言われたので
そのとおりにやってみました
そんな中で感じた気づき
まず、自分の母とばあちゃんの苦労
ヤンキー座りでホースから水出し洗うと、足が痛いし腰が痛い
そして時間かかる
土流して、葉っぱ軽く流して
この作業が本当に大変でした
なっぱ類って、こうやって洗ってんのかぁって思ったらやっぱ苦労なのです
僕の地域は、長野の上のほうなので、野沢菜を食べます
ばあちゃんが毎年お漬物作ります(寒い時期に)
それを気づかずに食べていた自分に少し虚しさを感じました
おいしいものありがとう
2つ目
それは、僕がホースで洗ってたことで思ったこと
時間がかかるのです、そして水の無駄遣い
管理人さんごめんなさい(1時間くらい使いました(笑))
ここで、ばあちゃんがどうやってたかって考えると、川で洗ってたなぁと
たしかに川があればジャブジャブと洗えたと思いました
そしたらすぐにこの作業終わるし、水も使わなくていいんです
でも、今は川で菜っぱや野菜洗ってる人見かけません
川が汚いから
単純なことですが、スーパーの野菜は土ついてないし、虫がついてないから
丁寧に洗う必要なんてないんだなぁと
そうやって、みんな自分で作って洗って食べるってことから、簡単にスーパーで虫もいない土もついていないもの買うってこと繰り返していく中で
川や水の重要さって見失われてきたのかなぁと感じました
ここでやってて一つ思い出したこと
最近、岐阜の飛騨古川でサイクリングしたときにガイドさんが言ってたことです
古川には、川にコイがたくさん泳いでいます
景観としてコイを話し始めたのではないということ
そのひとつの理由として、川を綺麗に保とうとする人の「気持ち」を作ることなんだそうです
古川も時代の流れと同じで、人が産業排水を流し、川が汚れたそうです
でも、それじゃいけないって考えて、川をもう一度綺麗にしようと考えました
綺麗にしよう、綺麗にしようって言っても拘束力は弱いのです
だから、コイをはなし、排水を流せば「かわいそう」という感情を人が持つようにすることで
川を綺麗に保つ仕組みを考えたそうです
まさに思考の転換て感じですね
特に僕が思うに、子どもの力が大人を変えるってことが、そこにはきっとあったんじゃないかと
話を戻します
要するに、僕は今日、食べ物を洗ってて川があったらなって思いました
だけど、今の川じゃ、なんとなく洗えないのです
それは汚してきたから
でも使えたら、楽なのです!
自分が口にすると考えたら
人に食べさせるって考えたら
綺麗な川に保たなければならない
って感じました
もし、水道が止まったら
スーパーの野菜がなくなったら
どうしましょう(極論ですが)
そう考えると、野菜をあらったり、食べ物を洗える川は、その風景が残ってるんでしょうね
そして、そういう使い方がもし行えるように川がなっていったら、きっと今度は汚さないようになっていくのかも
そう考えると地元の川はやるなぁって感じですね
川で洗うってことは、農薬とかもNGな感じになっていきますね(でも家庭用だから使うこともないのかも)
だって、川だから川下の人に申し訳ないです
風景を守ることと、昔の時間をかけてやってた意味を考えると、大切なものたくさん失ってきたこと思います
これって、今で言うとってもsocialなことですよね
田舎すげーな!村や集落って社会起業家みたいな(大げさですね)
小松菜一つで、今日は3時間勉強した気分です(笑)
土用の丑の日なのに、葉っぱに感動した夜でした。
あ!うなぎも川繋がりやん!!

