第400回 日本演芸若手研精会 記念公演 14/12/3 | i10k2のブログ

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2014年12月3日 日本演芸若手研精会 第400回 師走の会 日本橋劇場
 
開演の6時15分の30分前に会場に着きエレベータ前でちょっと待って開場。前の方に座ったので良く分からないが拍手の量から結構良い入りのよう。
 
柳亭市助出来心
柳亭市楽。毎年やっている高級老人ホームでの落語会の紹介のされ方から、大木戸の別れの小咄をやって鮫講釈
入船亭小辰。ここは持ち時間一人20分だが自分だけ15分しかない、と。口上のための高座だが、これだけ広ければ宮地が存分に動ける、と。居合道の夫婦の結婚式で、出席者は本当は着てはいけない全員紋付き袴だ、と。一番の強面の仲人のアイ・アイで居合の駄洒落の話から高砂や。頼まれたのは稲葉の旦那から。隠居の謡は微妙にウマイ。
桂宮治。待ってましたの掛け声から、イラッとジイサンの話。小辰はしっかり20分喋った、と。奥さんが娘さんを幼稚園に迎えに行ったら娘さんがパパでなくちゃいやだと泣き叫んだ、と。ただ言いたかっただけだ、と。ケチは金を持っていて使わないのだ、と片棒。広い高座の上を膝だ立ちでこっちの方まで来た。ほーらほら満作だと立ち上がっての踊り。
 
仲入り。今回の会場売りは小辰ひとり。手持ちの最後のチケットを買った。まだまだ並んでいるのでもう一度取に行って延々と売り続ける。その間、来月は小辰の長講のトリで3月はメンバーが全員そろうと加藤さんが後ろで。
 
400回記念口上
司会志ん吉、国立演芸場ができた昭和54年に始まって400回、と。
新婚小辰、三三が一番上でここにいる遊一が一番下だったのを見ている、と。ちょっと長々。
宮治、落語を知って直ぐに入門したので研精会も知らなかったし、何も感慨ない。落協に挟まれて、ここにいてはいけない存在だ、と。
遊一から前座を引き継いだ市楽、国立演芸場の周りには店もなく客が来ないので二つ目勉強会を始めた。やっぱり客が来ないので稲葉さんが自分で買ったチケットを配って歩いた、と。二つ目初出番の時に稲葉さんの声掛けで口上をやってもらったが、その翌々月に亡くなった、と。
芸協と落協の架け橋こみち、59高座やっている。稲葉さんに言われたのは、入れるの簡単だが付いて行けないと首にしなければならないと、と。色々思い出す、と。
出番がないのにこのために来た長男遊一、150回記念の時の正雀独演会を見ている、と。最初は前売り200円、当日千円だった。300回記念の時は一番下手に座っていたが400回は一番上手に座っている、と。もうじき追い出されるが、と。
 
柳亭こみち。6人の居合コスチューム、と。自分のミッションは時間調整だ、と。ビールは2年飲んでいないが、亭主にはいつも買ってやっている、と。だけど、最近になって、それが第3のビールで不味いんだと言われた、と。金麦(これも偽ビールだが)は美味しいと思う、と。壇れいはバラエティでも立っているだけでお金が入ってくる、と。鰻屋
古今亭志ん吉。道楽商売をやっているので規範には気を付けている、と。浅田次郎は自衛隊にいたがと、歩兵の本領の話。自衛隊は軍隊ではないので軍隊用語を言い替えている。脱走は脱柵でこっちの方がもとの言葉みたいだと脱柵の話。文七元結。熱演だが苦し重かった。筋でないところを長くやったりして早く前に進めと思う。また、店に帰ったところで思い出すのに時間がかかる思っていたら、吾妻橋から直ぐに長兵衛の家に近江屋が訪ねて来て、そこからはトントンと噺が終わって噺の正味45分。9時15分。
 
演者全員が揃って送り出し。こみちの9時半完全撤収の声に、皆さん急いでいるようなそうでもないような。
こっちは一人反省会の茅場町に向かって大急ぎ。