上野へ③ 旧岩崎邸庭園 | 元お針子店主のブログ

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以前から所在は知っていても行くチャンスがなかった、池之端にある旧岩崎邸庭園を訪ねました。(旧岩崎家住宅は国の重要文化財です) 建築家コンドル設計の洋館は迎賓館の役割を持つとはいえ、各部屋に立派な暖炉と大きな鏡があり、金唐革紙の壁紙の客室や全館見事な装飾が施され、個人の邸宅とは思えない立派さです。しかし、天井も高いしドアも大きいし、寒そうです。大きなガラス窓のサンルームが必要だった訳ですね。

 

そのサンルームで撮った一族の家族写真が飾られていました。美男美女ぞろいでびっくりしました目

 

洋館と地下通路でつながった別棟の山小屋風の撞球室もありました目


和洋併置式で洋館とつながる書院造りの和館は、完成当時は建坪550坪もあったそうですが、現在残っている1棟だけでも、凝った造りの廊下の天井を貫く長い1本の北山杉とか、正目で継ぎ目のない長い桧の天井板等々、御殿のような豪華さはないけれど、現代では不可能そうな贅を尽くしていることが分かります。


三菱の創始者岩崎彌太郎が旧舞鶴藩主牧野氏から購入した地(15,000坪)に、その子で第三代社長の久彌が本邸として建てたそうですが、屋敷一つ見ても、時代の流れも、財力が桁外れだったのもよく分かります。

 

売店には小岩井農場の製品が並んでいました。小岩井って地名かと思っていましたが、1891(明治24)年、日本鉄道会社副社長の小野義 眞と三菱第二代社長岩崎彌之助(三菱の創業者・岩 崎彌太郎の弟)、鉄道庁長官の井上勝の3人が、東北 地方への鉄道開通を機に食料増産のため農牧事業を 起こそうと農場を開設。 3人の名字から1文字ずつ取っ て「小岩井」と命名。ということだそうです。他の2人が手を引いて、三菱が引き継いだ結果が今日に繋がっているようです。

 

館内は原則撮影禁止と書かれていたので、なんだかホッとして、外観を撮影しました。電池残量は5%でした。 ‐続く‐

 

↑雪見障子から庭のお気に入りのモッコク(木斛)の木が良く見えるようになっていました。

↑1階の出っ張った部分がサンルーム

↑撞球室