2002年9月









就職の決まった俺が、この大学生活の間にしなければならないことは、

もうあとわずかだ。



最後のインカレ。


ここでタップリンのボード選手として浜に立ち、

チームを総合優勝に導くこと。



もうそれしかなかった。


そのインカレのタップリンに選ばれる近道が、

今度の全日本選手権だ。


ここでなんとしても決勝に残って、

ボードでメダルが取れれば、

インカレのメンバー入りはほぼ確定。

タップリンのボードにもグッと近づける。



しかし、一つ、大きな不安があった。



腰が、痛いのだ。



ボードのパドリングは、正座の格好で体を前後させながら、

水を掻くので、どうしても腰に負担がかかる。


全日本選手権が近い今、無理をして悪化させたら、

全日本はもとより、インカレにまで影響を及ぼしてしまう恐れがあったため、

俺はずっとランとストレッチで調整していた。


おまけに、自慢の弱い胃腸がまた悲鳴をあげて、

腰痛と腹痛のダブルパンチで、

胴回りは酷いことになっていた。



そんな時の励みはあの人しかいない。


そういえば、もうすぐあの人の誕生日だ。


何か渡そう。



俺は散々迷った挙句、自分の好きな物を渡すことに決めた。



七瀬さんが23歳の誕生日を迎えた週の週末、

グランプリという小さな大会が行われた。

そこに七瀬さんは西浜チームとして参加していた。


俺は体調不良と金欠で欠場し、

その日は大会スタッフとして働いていた。


種目が始まってしまうとなかなか話す機会が持てない。

もし、渡すなら、レース前のテントだ。


俺はチャンスを伺った。


そして、七瀬さんがチームメイトと談笑してる姿を発見!

ここしかない!



俺はダッシュで西浜テントに行き、

七瀬さんにプレゼントを渡した。



中身は、俺の大好きなピングーのビデオだ。


これなら、変に重くないし、手頃でいいだろうと思った。


すると、周りで、俺たちを冷やかすヤジが出始め、


なになにー?見せてー!!


と、周囲に煽られた七瀬さんは、俺の目の前でプレゼントを開け始めた。





「ははっ。


ってかさ、


あなたの趣味を私に押し付けないで」









ショックだった。



普通、プレゼントもらって、すぐ開けて、

目の前でそんなこと言うか?


渡さなきゃよかった。


なんかすごく後悔した。





グランプリは、クレスト3年の武井君や、2年の和成といった、

各学年のエース達が、その力をいかんなく発揮して、

スタッフの俺にプレッシャーをかけてくれた。



まぁ、プレッシャーを感じる以前に、

プレゼントのショックでそれどころじゃなかったんだけど。



ところが、翌日、向こうからメールが来た。



「昨日はオフィシャルスタッフお疲れ様!

全日本頑張ってね。それと、プレゼントありがとう。」



嬉しい。

流石に悪かったと思ってくれたのかな。

詫びのようなメールだったけど、

やっぱりプレゼントをあげてよかったと思った。



よし!これを励みに全日本頑張ろう。



グランプリ以降、

少し胴回りの具合がよくなってきたので、

急ピッチでボード練を再開させた。


まだイメージと現実にギャップはあるけど、

でももうやるしかない。


その気持ちで必死に調整した。


そしてやってきた全日本選手権。


今回は千葉の蓮沼ではなく、


西浜だ。

俺の心のホームビーチ。


ここはなんとしてもいいところを見せて、

西浜の人たちに、自分の成長を報告したい。


しかし、今日は波が全く無い。


どフラットというやつだ。


ある程度、海が荒れてるほうが力を発揮できる俺にとって、

パドル力とスタミナの勝負になるフラットなコンディションは、

俺には厳しい舞台だった。



でも、予選は通過点。


ここで負けるわけにはいかない。


俺のヒートは激戦区だった。




全日本で常に上位にいる江藤さん、

去年のパドルボードレースBクラスで優勝、
LOCOのエース格でもある石垣、

そして、湯河原が産んだ天才、
Bクラス2位のスーパー高校生政則。


こんなそうそうたるメンバーのなかで、

セミファイナルに駒を進められるのは、




・・・3人。




誰か一人でも倒さなければ、

セミファイナルにいけないのである。




でも、緊張はしなかった。


妙に静かだった。





よーい、


ホアアアアーーーン!!!





レースがスタートした。


やはり3人は速い。



あっという間に、俺も含んだ4人が、

ダントツで5位以下を引き離す展開になった。



第一ブイを回り、


第二ブイ、


そして第三ブイ。




最後の直線に入った。



フラットが苦手な俺にとって、

この展開は嫌だった。




案の定、あと50メートルほどのところで、

3人に前に出られしまった。





このままいくと、負ける・・・。




俺は必死に前を追った。





しかし。






俺はまたしても、予選1本目で敗退してしまった。


でも、切り替えてやっていくしかない。



俺は前を向いた。



その切り替えが功を奏したか、


タップリンリレーで決勝に残ることができた。


俺はもちろんボードだ。



翌日、決勝に駒を進めた選手たちだけが海でのアップを開始した。


この、選ばれました感がたまらないんだよなぁ。



今回のタップリンは、ボードがアンカーだった。


つまり、チームの浮沈は俺にかかっていた。



一つでも順位を上げないと。



レースが始まった。


俺たち大磯チームは現在9位。



あと一つ順位を上げられれば、全日本選手権で初めて入賞することができる。


そして、アンカーの出番がやってきた。



俺は必死で前を追った。



大会最終日の今日は少し波があった。


俺の土俵だった。

どんどん前に追いつく。


一人抜き、二人抜き、三人抜き。



そして、最後、ゴールテープを切るところで、

一度抜いたチームの選手にランで抜き返され、


結局、大磯チームは7位で、レースを終えた。


最後に抜かれてしまったが、初めて全日本でポイントが取れた。


それだけでも収穫だった。



こうして今年の全日本選手権は幕を閉じた。


結局武井君はパドルボードレースで6位に入賞した。


予選落ちの俺と、6位の武井くん。


ずいぶん差をつけられてしまったように見えるが、

結果ほど力の差は無い。



というより、むしろ、

波さえ荒れてくれば、俺は誰にも負けない。


そう自分に言い聞かせて、最後のインカレに向けた、

地獄の部内練習に臨むのだった。




インカレ練はいつもしんどい。


みんな超真剣で、

いつ、どんな時でも全力なのだ。


ここで遅れるわけにはいかない。

俺も必死になって練習した。



しかし、どうも調子が出ない。


当面のライバルは三人。


武井君と、和成と、同期の八賀だ。


ところが、練習でちょくちょく他の部員にも不覚を取るようになっていた。



「今年はほんと横一線だよなぁ。」



同期の主将、金崎に言われた。



何を言っている。

横一線?


どこがだ。


こんな部内で際どい勝負をしているようでは、

インカレで戦うことなど夢のまた夢。


でも、金崎にそう言わせてしまったのは、

自分が情けないからだ。


俺がしっかりぶち抜いてれば、

そんな発言されることはなかった。




なんだか、気合いが入った。


翌日、俺は飛び抜けたパフォーマンスを見せることができた。


そうだ。

この感覚だ。



俺はみんなを蹴散らした。


この調子。この調子だ。


このまま調子を上げていって、

セレクションでしっかり結果を出してやるぜ!!



2002年8月







藤鎌市の最終3次試験の日がやってきた。

3次は、健康診断と面接だ。


まずは今日の健康診断。

あさって個人面接やって終わり。



今までの試験は面接の日以外は私服で行ってたんだけど、

3次からは面接じゃなくてもスーツを着ていくことにした。

もうここまできたんだから、後悔だけはしたくない。


健康診断の集合場所に来て驚いた。


最終試験に残ったのが17人だったからだ。

だいぶ減ったな・・・。


でも、たしか採用は10人程度って書いてあった。

だから、ここからあと7人が落ちる。


17分の10。


落ちたくない・・・。


俺にはひとつ、大きな不安があった。


最近の試験とガードの毎日で、

精神的にも肉体的にもかなり削られていたのか、

ここにきて、また腰が痛くなってきていたのだ。


腰は、前にヘルニアをやっていた泣き所で、

今は座敷に座ってることができず、

座骨神経痛まで発症していた。



七瀬さんはたしか、

キャビンアテンダントの最終試験、腰が悪くて落ちた。



こっちは体が超資本である、消防の採用試験だ。

17人の中に腰痛の人がひとりいたら、

俺が採用担当ならまずそいつを落として16人に絞る。


だから、絶対に腰痛がバレるわけにはいかない。



健康診断は特に問題なく進んでいた。



しかし、



「これから腰の検査をします。」



マジか!?


なんというタイミング・・・。

俺は血の気が引いた。



仰向けになった俺に医者が話しかける。


「はい、じゃあ片足を真っ直ぐ上げてください。



うっ!

あ、上がらない・・・。




「あれ?ちょっと抵抗があるかな?」




く、くそ、

こうなりゃ、なるようになりやがれ!



俺は意を決して、思いっきり足を上げてみた。


反動も使って無理矢理上げたんだが、

それを見た医者は、



「あ、上がるね。はいOK。」



バレずにやり過ごすことができた。


よかった。

たぶん、この医者、ヤブだ。



なんとか無事に健康診断を終えた俺は、

翌々日、今度は面接試験に臨んだ。



今回は受験生1人に対し、

向こうは3人。

それも、たぶん、ここの会社の首脳陣だろう。



なんで、藤鎌市なの?


なんで、消防を受けたの?



長男でしょ?親はどう思ってるの?





色んなことを聞かれたが、


短所は?


という問いに対する俺の答えで、

首脳陣からどよめきのような声があがった。


それはなぜかというと、





「空気が読めないことです。」




と、答えたからだ。


短所を聞かれた時の面接のセオリーは、


一つのことに集中し過ぎてしまうところです。


など、短所を答えてるようで実は長所とも受け取れそうな、

自己アピールに繋がる受け答えをすることだ。



そこで、ガチ短所に聞こえる回答をした俺を見て、

こいつ、バカか?

と思ったんだろう。



本当は、


空気は読めなかったが、大学時代の様々な経験を通じて、

徐々に改善していった



という、欠点を克服しましたよアピールをするつもりだったんだ。


しかし、どうやって克服したのかの説明があまり上手くできず、

ちゃんと伝わったのかとても不安になった。


読めない子のレッテルを貼られてやしないだろうか。





そんなこんなで試験を終えた俺は、

その足で大磯に戻った。


もちろんガードをするためだ。


翌日もガード。



その翌日もガード。



来週、東京の短大卒以上用の試験と、

静岡の熱河市の試験を控えていたが、


ガードを休む気にはなれなかった。

大磯はまだクラブ発足2年目。

俺たち4年生がいなくなったら、

それこそガードのレベル低下は免れない。


さらに、台風の接近に伴い、

週末にかけて、波のサイズが大きくなっていた。





それは8月11日のことだった。


各地の海水浴客数が、どこもピークに達してる夏の日曜日。


ここ、大磯も例外ではなく、海が芋洗い状態になっていた。


その時間のパトロールを終えて、

俺が本部前でシャワーを浴びていた時、






「重溺!重溺発生!!」





という無線が入った。



慌てて蘇生器材を持って現場に駆けつけると、

中年のおじさんが、ガードメンバーに助けられて、

浜に横たわっていた。




またか・・・。


でも、意識はあった。


重溺じゃないぞ・・・。

これなら助かるはずだ・・・。




俺は回復体位という、溺者を横向きに寝かせる体位を取らせ、

必死に呼びかけを行った。



結局、救急車で運ばれ、

その後、無事が確認された。




よかった。ほんとによかった。


こういう時、この活動をやっていてよかったと思う。




しかし、その5日後、

湯河原の海で、溺水死亡事故が起きた。


湯河原にとってはこれで今年2人目の犠牲者だ。


同じCRESTの仲間たちが所属している海で、

このような悲しい事故が起きてしまったことは、

とても悲しかったが、

それでも俺たちは前を向くしかないと思った。



週が明けると、再び就活モードに突入した。


静津市がまさかの不合格に終わり、

もし藤鎌市まで落ちてしまっても、

浪人だけはなんとしても避けたかったので、

受けれる日程の試験はほとんど申し込んでいた。



東京の2類、熱河。




でも、どっちも手応えは悪かった。


勉強を夏に入ってからは全くしていなかったので、

藤鎌を受けてた頃より、だいぶ学力が落ちていたのだ。



この2つはたぶんダメだ。



だから、やっぱり俺にはもう藤鎌市しかない。


祈る気持ちで毎日を過ごしていた。


ガードも入ってはいたが、

申し訳ないが、試験結果が気になり過ぎて、

ちょっと、集中力が散漫になっていたかもしれない。



そしてとうとう試験結果発表の日がやってきた。


ガードを終えて、帰宅すると、

郵便受けの中に手を突っ込む。



封筒の感触。

これは間違いなく藤鎌市からのもので、

開けると今年の就活がうまくいったか、

いかなかったかの判定がなされるのだ。



お、思ったより薄っぺらい・・・。


大丈夫なんだろうか・・・。


サクラチルとか書かれてなきゃいいが・・・。




それから5分後、







気が付くと、俺は七瀬さんに電話をかけていた。




少し涙ぐみながら、





携帯を持つ手を震わせながら、








興奮を必死に抑えながら。






俺は見事に合格していた。


必死に岡村さんの背中を追いかけてきたが、

とうとう憧れの人と同じ職業につくことが決定したのだ。



電話を切ったあと、考えた。




なんで、受かったことを家族でも友達でもなく、

七瀬さんに一番に知らせたんだろう。



もう無いよ。

あの人は無いんだ。



でも、たぶん、


俺にとって、



俺のこれまでの大学生活の中で、

一番大きな存在だったんだろう。




好きとか嫌いとかじゃなく、


一番最初に伝えたいと思ったのがあの人だったんだろう。




電話を切る前に、聞いてみた。




「こんどデートしてください。」





返ってくる答えはわかってたが。


ついつい聞いてしまった。





ガードは結局45日入った。


その結果、今年の夏に得たものは3つ。





無事故と、





就職と、






そして、





七瀬さんへの俺の本当の気持ちだ。
2002年7月







学生生活最後の夏が始まった。



今年が今までと大きく違うことは、


就職活動をしながらのガードを余儀無くされていることだ。




先月、東京と藤鎌市を受けた。


どこの市も、わざと試験日を被らせて、

本当にその市で働きたいと思っているコを取りに来る。


俺が藤鎌市を受けたのは、他でもない、

西浜の海がそこにあるからだ。


もしそこで海難救助隊にでもなれたら、


仕事でも休みでも西浜の海に関われると思ったのだ。




その藤鎌市の一次試験の結果が、7月1日にわかることになっていた。


よりによって海開きの日に結果が出るとは。


ほんとはガードどころじゃないんだけど、

俺の学生生活の最優先はライフセービングだと決めているので、

ガードを休むという選択肢は無かった。



でも、ガードの終了時間が近づくにつれて緊張してくる。


こんなんで集中できていたのかな・・・?





ガードと夕練を終えた俺は、恐る恐る家の郵便受けを開けた。


藤鎌市の場合、もしも受かっていれば、

合格通知と共に、二次試験の案内が同封されている。



一次の不合格は通知すら来ない。



だから、郵便受けに、藤鎌市役所からの封筒が来てれば合格、

無ければ不合格というわけだ。




俺は目を瞑り、ゆっくりと郵便受けに手を伸ばす。






・・・ない!



なにも無い!!!



お、落ちた・・・。




絶望的な気分になった。


明日、市役所のホームページにも合格者の番号が掲示されることになってたので、

一応、それも見ておくことにしたが、

きっと結果は変わらないだろう。




でも、こればっかりは仕方ない。

就職試験はまだ始まったばかりだし、

一回落ちたくらいでクヨクヨしてはいられない。




翌日、授業の合間に学校のパソコンで藤鎌市役所のホームページを開いてみた。





あ、







あった。




番号、間違ってないよな?



いや、間違いなく俺の番号が載っている!!




うおーーーっっっ!!!


心の中で絶叫し、なぜか少し泣けてきた。



合格者の番号の数を見る限り、

一次試験は40人弱が受かっていた。



受験者数から考えて、恐らく6、7倍の倍率だったんだろう。


飛び飛びになっている合格者の番号を見て、


よくこの中に俺の番号が残ったなと思った。




とにかく一次試験突破!


二次試験は早速来週に3回に分けて行われる。




同期達に連絡をすると、どうやらみんな落ちていたようで、

そこに舞い上がって受かった連絡をしてしまったことが、

軽率でとても申し訳なかった。





二次試験に行く前に、もう一つ、試験があった。



それは静津市の試験だ。



最悪、藤鎌市に行けなくても、とにかく海のあるとこで、

海難救助の道に進めたらと思い、

縁もゆかりも無い、静岡の市だろうがお構いなく、

とにかく試験があるなら受けてやろうと思ったのだ。




それにしても静津は遠い。


始発の新幹線に乗って、ギリギリ間に合うような感じだった。



学科は簡単だったが、静津市は一次に面接があった。



東京や藤鎌の一次に面接はない。


だから、就職試験初の面接だった。




中高大受験してきた俺にとって、面接は免疫が無いことはなく、


むしろいけるんじゃないかとさえ思った。




しかし、やってみると、想像以上に緊張した。



なんと、緊張の限界を超えて、


平衡感覚がなくなってしまったのだ。



真っ直ぐ座れているんだろうか・・・。


試験官がなんか話しているが、

あまり耳に入って来ない・・・。



くそっ!こんなはずじゃ・・・。




何を聞かれたのか、ちゃんと答えられていたのか、

さっぱりわからない。


ただひとつ、わかっていることは、


俺のスーツのケツの部分が汗でびしょびしょになっているってことだ。



なんだか、猛烈に疲れた。



大磯に戻ると、ちょうどガード後のミーティングが終わったところで、


気分転換に夕練だけ参加させてもらった。




翌日からまたガード復帰。



今年からチーフを任されていた。



今から2年前、俺が西浜に入った時、


絶対的な存在だった智春さん。



その智春さんの肩書きがチーフだった。




あれから二年。



浜も性格も実力も違うけど、こんな俺もチーフをやる時が来たんだと思うと、

ちょっと感慨深くなった。




チーフは何かとストレスが溜まる。



チーフは浜を取り仕切る舵取りなので、


基本的に、タワーやパトロールなどの前線には出ない。



後ろでドシッと構え、


海の状況に合わせて指揮をとる。


感情的になってはならない。


常に高い集中力が求められた。





あー、早く次の時間のシフトを作らなきゃ。




これから波が上がってくるから、あいつをここに配置して、



あ、そういえば、あいつ、昼メシ食べたっけ?



一年生はどこまでできるかな?





色々考えすぎて、頭から湯気が出そうだった。





就職試験、ガード、ガード、就職試験、ガード、就職試験・・・。




忙しすぎて頭がおかしくなりそうだった。





静津市を受けた2日後、東京の不合格の通知が来た。



マジか・・・。




こりゃなんとしても藤鎌市合格しないと。




翌週、藤鎌市の二次試験が3回に渡って行われた。




作文、面接、体力。



作文のテーマは、理想とする消防士像だった。



作文や論文は特に練習して来なかったから、


とにかく、自分のセンスを信じた。



嘘をつかずに正直に。






面接は5人1組の集団面接だ。




俺以外のみんなはほんとに受け答えが上手だった。



例えば、



「消防を目指したきっかけは?」



の問いに対し、




「人を助けることのできる人間になりたいからです!!」



とか、




「祖父が病気で倒れた時に、駆けつけた消防士の方たちがあまりにかっこよかったからです!」





とかみんな上手いこと言ってたんだけど、




俺は、





「尊敬してる先輩の後を追いかけたかったから」





と答えた。



これじゃあ消防じゃなくてもいいって話になり、

きっとマイナスだ。




ちょっとこれは分が悪いかなと思った。





最後の体力試験は、決死の覚悟で臨んだ。





腕立て・・・トップ!

腹筋・・・トップ!

反復横とび・・・トップ!





しかし、




上体そらし・・・ビリ。



握力・・・ビリのほう。




なんて、凸凹した成績だろう。







作文試験の日と、集団面接試験日の間には、

東京の2類の試験が行われた。



でも、1類に比べはるかに難しかった。



これはたぶんダメだろう。




なんだか今年は例年よりも疲れる。



ガード一辺倒にならずに、途中途中で就職試験を受けてるから、



なかなか夏のリズムを掴めないんだろう。



そんな調子のバイオリズムが下降線を辿っている時に限って、

揉め事は起こる。




ある日、ガードメンバーと衝突してしまった。



それまではうまくやれてたと思っていたのに、


お前のことが昔から気に食わなかったと言われ、


衝突したこと以上に、その言葉がショックでならなかった。




その翌日はまたもチーフだったんだけど、


とてもじゃないが、集中できるはずはなかった。



その日は最悪な気分のガードになった。






塞翁が馬って諺は、本当によく出来てるなと思ったのは、


その翌日のことだった。





藤鎌市役所から届いた封書の中に、




二次試験の合格通知と、三次試験の案内が入っていたのだ。





やったぁぁぁーーー!!!



二次も通った!



もう揉め事なんかどうでもよくなっていた。



よく考えたら、そんなことでクヨクヨするなんて、人生勿体ないじゃないか。




合わない人間がいる。



そんなのどこの世界でも当たり前のことで、

そんなことで一喜一憂してたらキリがない。





とにかく後は最終の三次試験をやるだけだ。




何のために、一日も休まずに、就職試験とガードをやってる??




合格と無事故を勝ち取るためじゃないか!!!





学生生活最後の夏、


何としても最高の形で締めくくってみせる!