2002年7月







学生生活最後の夏が始まった。



今年が今までと大きく違うことは、


就職活動をしながらのガードを余儀無くされていることだ。




先月、東京と藤鎌市を受けた。


どこの市も、わざと試験日を被らせて、

本当にその市で働きたいと思っているコを取りに来る。


俺が藤鎌市を受けたのは、他でもない、

西浜の海がそこにあるからだ。


もしそこで海難救助隊にでもなれたら、


仕事でも休みでも西浜の海に関われると思ったのだ。




その藤鎌市の一次試験の結果が、7月1日にわかることになっていた。


よりによって海開きの日に結果が出るとは。


ほんとはガードどころじゃないんだけど、

俺の学生生活の最優先はライフセービングだと決めているので、

ガードを休むという選択肢は無かった。



でも、ガードの終了時間が近づくにつれて緊張してくる。


こんなんで集中できていたのかな・・・?





ガードと夕練を終えた俺は、恐る恐る家の郵便受けを開けた。


藤鎌市の場合、もしも受かっていれば、

合格通知と共に、二次試験の案内が同封されている。



一次の不合格は通知すら来ない。



だから、郵便受けに、藤鎌市役所からの封筒が来てれば合格、

無ければ不合格というわけだ。




俺は目を瞑り、ゆっくりと郵便受けに手を伸ばす。






・・・ない!



なにも無い!!!



お、落ちた・・・。




絶望的な気分になった。


明日、市役所のホームページにも合格者の番号が掲示されることになってたので、

一応、それも見ておくことにしたが、

きっと結果は変わらないだろう。




でも、こればっかりは仕方ない。

就職試験はまだ始まったばかりだし、

一回落ちたくらいでクヨクヨしてはいられない。




翌日、授業の合間に学校のパソコンで藤鎌市役所のホームページを開いてみた。





あ、







あった。




番号、間違ってないよな?



いや、間違いなく俺の番号が載っている!!




うおーーーっっっ!!!


心の中で絶叫し、なぜか少し泣けてきた。



合格者の番号の数を見る限り、

一次試験は40人弱が受かっていた。



受験者数から考えて、恐らく6、7倍の倍率だったんだろう。


飛び飛びになっている合格者の番号を見て、


よくこの中に俺の番号が残ったなと思った。




とにかく一次試験突破!


二次試験は早速来週に3回に分けて行われる。




同期達に連絡をすると、どうやらみんな落ちていたようで、

そこに舞い上がって受かった連絡をしてしまったことが、

軽率でとても申し訳なかった。





二次試験に行く前に、もう一つ、試験があった。



それは静津市の試験だ。



最悪、藤鎌市に行けなくても、とにかく海のあるとこで、

海難救助の道に進めたらと思い、

縁もゆかりも無い、静岡の市だろうがお構いなく、

とにかく試験があるなら受けてやろうと思ったのだ。




それにしても静津は遠い。


始発の新幹線に乗って、ギリギリ間に合うような感じだった。



学科は簡単だったが、静津市は一次に面接があった。



東京や藤鎌の一次に面接はない。


だから、就職試験初の面接だった。




中高大受験してきた俺にとって、面接は免疫が無いことはなく、


むしろいけるんじゃないかとさえ思った。




しかし、やってみると、想像以上に緊張した。



なんと、緊張の限界を超えて、


平衡感覚がなくなってしまったのだ。



真っ直ぐ座れているんだろうか・・・。


試験官がなんか話しているが、

あまり耳に入って来ない・・・。



くそっ!こんなはずじゃ・・・。




何を聞かれたのか、ちゃんと答えられていたのか、

さっぱりわからない。


ただひとつ、わかっていることは、


俺のスーツのケツの部分が汗でびしょびしょになっているってことだ。



なんだか、猛烈に疲れた。



大磯に戻ると、ちょうどガード後のミーティングが終わったところで、


気分転換に夕練だけ参加させてもらった。




翌日からまたガード復帰。



今年からチーフを任されていた。



今から2年前、俺が西浜に入った時、


絶対的な存在だった智春さん。



その智春さんの肩書きがチーフだった。




あれから二年。



浜も性格も実力も違うけど、こんな俺もチーフをやる時が来たんだと思うと、

ちょっと感慨深くなった。




チーフは何かとストレスが溜まる。



チーフは浜を取り仕切る舵取りなので、


基本的に、タワーやパトロールなどの前線には出ない。



後ろでドシッと構え、


海の状況に合わせて指揮をとる。


感情的になってはならない。


常に高い集中力が求められた。





あー、早く次の時間のシフトを作らなきゃ。




これから波が上がってくるから、あいつをここに配置して、



あ、そういえば、あいつ、昼メシ食べたっけ?



一年生はどこまでできるかな?





色々考えすぎて、頭から湯気が出そうだった。





就職試験、ガード、ガード、就職試験、ガード、就職試験・・・。




忙しすぎて頭がおかしくなりそうだった。





静津市を受けた2日後、東京の不合格の通知が来た。



マジか・・・。




こりゃなんとしても藤鎌市合格しないと。




翌週、藤鎌市の二次試験が3回に渡って行われた。




作文、面接、体力。



作文のテーマは、理想とする消防士像だった。



作文や論文は特に練習して来なかったから、


とにかく、自分のセンスを信じた。



嘘をつかずに正直に。






面接は5人1組の集団面接だ。




俺以外のみんなはほんとに受け答えが上手だった。



例えば、



「消防を目指したきっかけは?」



の問いに対し、




「人を助けることのできる人間になりたいからです!!」



とか、




「祖父が病気で倒れた時に、駆けつけた消防士の方たちがあまりにかっこよかったからです!」





とかみんな上手いこと言ってたんだけど、




俺は、





「尊敬してる先輩の後を追いかけたかったから」





と答えた。



これじゃあ消防じゃなくてもいいって話になり、

きっとマイナスだ。




ちょっとこれは分が悪いかなと思った。





最後の体力試験は、決死の覚悟で臨んだ。





腕立て・・・トップ!

腹筋・・・トップ!

反復横とび・・・トップ!





しかし、




上体そらし・・・ビリ。



握力・・・ビリのほう。




なんて、凸凹した成績だろう。







作文試験の日と、集団面接試験日の間には、

東京の2類の試験が行われた。



でも、1類に比べはるかに難しかった。



これはたぶんダメだろう。




なんだか今年は例年よりも疲れる。



ガード一辺倒にならずに、途中途中で就職試験を受けてるから、



なかなか夏のリズムを掴めないんだろう。



そんな調子のバイオリズムが下降線を辿っている時に限って、

揉め事は起こる。




ある日、ガードメンバーと衝突してしまった。



それまではうまくやれてたと思っていたのに、


お前のことが昔から気に食わなかったと言われ、


衝突したこと以上に、その言葉がショックでならなかった。




その翌日はまたもチーフだったんだけど、


とてもじゃないが、集中できるはずはなかった。



その日は最悪な気分のガードになった。






塞翁が馬って諺は、本当によく出来てるなと思ったのは、


その翌日のことだった。





藤鎌市役所から届いた封書の中に、




二次試験の合格通知と、三次試験の案内が入っていたのだ。





やったぁぁぁーーー!!!



二次も通った!



もう揉め事なんかどうでもよくなっていた。



よく考えたら、そんなことでクヨクヨするなんて、人生勿体ないじゃないか。




合わない人間がいる。



そんなのどこの世界でも当たり前のことで、

そんなことで一喜一憂してたらキリがない。





とにかく後は最終の三次試験をやるだけだ。




何のために、一日も休まずに、就職試験とガードをやってる??




合格と無事故を勝ち取るためじゃないか!!!





学生生活最後の夏、


何としても最高の形で締めくくってみせる!