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今日、うちの会社の大先輩が会社を去ります。
半年ほど前に私がいる部署に異動になり、エリアが違うためなかなか会うことはありませんでしたが、電話では何度かやりとりをさせてもらっていました。
社歴で言えば20年くらい先輩になります。
会社のメールででしたが、昨日お辞めになる旨を連絡してくださいました。
短い間でしたが、お世話になりました、と。
全員に送ったメールではなかったようで、関わりがあった中のごく少ない人達に送ったメールのようで、20年も後輩の私にもメールをくださいました。
ありがたい気持ちもあり、寂しい気持ちもあり、何だかやるせない思いです。
今日、電話をしました。
短い通話でしたが、後輩の私に何度も「ありがとうございました!」と言ってくださいました。
とんでもない。
私こそ、大したお力添えもできなかったのに。
話したいことはたくさんありました。
ですが、何を話せばよいのかわからなかった私は、「お体にお気をつけてくださいね。」と伝えることくらいしかできませんでした。
人との出会いや別れは、全く同じものはないですね。
毎日、毎月、毎年、どこかで経験する、人との出会いや別れ。
大切にしなければならないのに、『毎日』に忙殺されて、疎かになりがちだと、改めて思いました。
私は、人との出会いや別れを、忘れないように生きていこうと思います。
半年ほど前に私がいる部署に異動になり、エリアが違うためなかなか会うことはありませんでしたが、電話では何度かやりとりをさせてもらっていました。
社歴で言えば20年くらい先輩になります。
会社のメールででしたが、昨日お辞めになる旨を連絡してくださいました。
短い間でしたが、お世話になりました、と。
全員に送ったメールではなかったようで、関わりがあった中のごく少ない人達に送ったメールのようで、20年も後輩の私にもメールをくださいました。
ありがたい気持ちもあり、寂しい気持ちもあり、何だかやるせない思いです。
今日、電話をしました。
短い通話でしたが、後輩の私に何度も「ありがとうございました!」と言ってくださいました。
とんでもない。
私こそ、大したお力添えもできなかったのに。
話したいことはたくさんありました。
ですが、何を話せばよいのかわからなかった私は、「お体にお気をつけてくださいね。」と伝えることくらいしかできませんでした。
人との出会いや別れは、全く同じものはないですね。
毎日、毎月、毎年、どこかで経験する、人との出会いや別れ。
大切にしなければならないのに、『毎日』に忙殺されて、疎かになりがちだと、改めて思いました。
私は、人との出会いや別れを、忘れないように生きていこうと思います。
今日も相変わらずミスをしました。
原因は、私が上司の立場になって物事を考えず、やっつけ仕事の資料を作ってしまったからです。
そこには与えられた『仕事』に対して自分なりのエッセンスなど皆無で、提出した資料は、ちょっと丁寧にエクセルができる人なら誰にでもできる資料になってしまいました。
少し詳しく説明すると、先輩から頼まれた資料まとめの仕事を、違うエリアの上司に提出し、そこから私の直属の上司にあたる責任者に提出される流れでした。
先輩からは「資料をまとめて」と頼まれました。
そこで、私は、必要かと思い頼まれてはなかった項目も資料として付け加えてまとめ、提出しました。
きれいに出来上がった資料。
自分なりに必要だと思う項目もつけ、自信満々で提出しました。
が、
上司が必要とした資料ではありましたが、的が外れていたのです。
私の作成した資料を違うエリアの上司に確認してもらいましたが
「このポイントを突いて作成してくれると期待していたのに」
と言われました。
上司に確認してもらい、手間をかけて手直しもしてもらい、責任者に提出しましたが、さらにツッコミが入る始末。
結局ドタバタの資料で提出せざるを得なくなりました。
責任者は、私と確認した上司に軽く叱責しました。
「この程度の仕事の返しならお前に頼まなくても済む。私の立場に立って物事を考え、的を射た仕事を返してくれないと、いつまでも作業員だぞ。」と。
ありがたい話です。
ミスをミスだと気づかさせてくれてるのだから。
同時に、自分を信頼して仕事を任せてくれていたのに、期待通りの返しができなかった自分に憤りを感じます。
私は責任者に叱責された時に責任者に謝り、その気持ちを伝えました。
そして、確認してくれた上司にも謝りました。
本来、私がキッチリとした資料を作っていれば、確認するときに手を煩わすことも無かったし、責任者に叱責されることも無かったのだから。
上司は
「こっちこそ、ちゃんと見てやれなくて悪かった。お互い中身のある仕事をしていこう。」
と言ってくれました。
『謝る』ということは、『感謝する』ということなのかも知れません。
原因は、私が上司の立場になって物事を考えず、やっつけ仕事の資料を作ってしまったからです。
そこには与えられた『仕事』に対して自分なりのエッセンスなど皆無で、提出した資料は、ちょっと丁寧にエクセルができる人なら誰にでもできる資料になってしまいました。
少し詳しく説明すると、先輩から頼まれた資料まとめの仕事を、違うエリアの上司に提出し、そこから私の直属の上司にあたる責任者に提出される流れでした。
先輩からは「資料をまとめて」と頼まれました。
そこで、私は、必要かと思い頼まれてはなかった項目も資料として付け加えてまとめ、提出しました。
きれいに出来上がった資料。
自分なりに必要だと思う項目もつけ、自信満々で提出しました。
が、
上司が必要とした資料ではありましたが、的が外れていたのです。
私の作成した資料を違うエリアの上司に確認してもらいましたが
「このポイントを突いて作成してくれると期待していたのに」
と言われました。
上司に確認してもらい、手間をかけて手直しもしてもらい、責任者に提出しましたが、さらにツッコミが入る始末。
結局ドタバタの資料で提出せざるを得なくなりました。
責任者は、私と確認した上司に軽く叱責しました。
「この程度の仕事の返しならお前に頼まなくても済む。私の立場に立って物事を考え、的を射た仕事を返してくれないと、いつまでも作業員だぞ。」と。
ありがたい話です。
ミスをミスだと気づかさせてくれてるのだから。
同時に、自分を信頼して仕事を任せてくれていたのに、期待通りの返しができなかった自分に憤りを感じます。
私は責任者に叱責された時に責任者に謝り、その気持ちを伝えました。
そして、確認してくれた上司にも謝りました。
本来、私がキッチリとした資料を作っていれば、確認するときに手を煩わすことも無かったし、責任者に叱責されることも無かったのだから。
上司は
「こっちこそ、ちゃんと見てやれなくて悪かった。お互い中身のある仕事をしていこう。」
と言ってくれました。
『謝る』ということは、『感謝する』ということなのかも知れません。