今日も相変わらずミスをしました。
原因は、私が上司の立場になって物事を考えず、やっつけ仕事の資料を作ってしまったからです。
そこには与えられた『仕事』に対して自分なりのエッセンスなど皆無で、提出した資料は、ちょっと丁寧にエクセルができる人なら誰にでもできる資料になってしまいました。
少し詳しく説明すると、先輩から頼まれた資料まとめの仕事を、違うエリアの上司に提出し、そこから私の直属の上司にあたる責任者に提出される流れでした。
先輩からは「資料をまとめて」と頼まれました。
そこで、私は、必要かと思い頼まれてはなかった項目も資料として付け加えてまとめ、提出しました。
きれいに出来上がった資料。
自分なりに必要だと思う項目もつけ、自信満々で提出しました。
が、
上司が必要とした資料ではありましたが、的が外れていたのです。
私の作成した資料を違うエリアの上司に確認してもらいましたが
「このポイントを突いて作成してくれると期待していたのに」
と言われました。
上司に確認してもらい、手間をかけて手直しもしてもらい、責任者に提出しましたが、さらにツッコミが入る始末。
結局ドタバタの資料で提出せざるを得なくなりました。
責任者は、私と確認した上司に軽く叱責しました。
「この程度の仕事の返しならお前に頼まなくても済む。私の立場に立って物事を考え、的を射た仕事を返してくれないと、いつまでも作業員だぞ。」と。
ありがたい話です。
ミスをミスだと気づかさせてくれてるのだから。
同時に、自分を信頼して仕事を任せてくれていたのに、期待通りの返しができなかった自分に憤りを感じます。
私は責任者に叱責された時に責任者に謝り、その気持ちを伝えました。
そして、確認してくれた上司にも謝りました。
本来、私がキッチリとした資料を作っていれば、確認するときに手を煩わすことも無かったし、責任者に叱責されることも無かったのだから。
上司は
「こっちこそ、ちゃんと見てやれなくて悪かった。お互い中身のある仕事をしていこう。」
と言ってくれました。
『謝る』ということは、『感謝する』ということなのかも知れません。
原因は、私が上司の立場になって物事を考えず、やっつけ仕事の資料を作ってしまったからです。
そこには与えられた『仕事』に対して自分なりのエッセンスなど皆無で、提出した資料は、ちょっと丁寧にエクセルができる人なら誰にでもできる資料になってしまいました。
少し詳しく説明すると、先輩から頼まれた資料まとめの仕事を、違うエリアの上司に提出し、そこから私の直属の上司にあたる責任者に提出される流れでした。
先輩からは「資料をまとめて」と頼まれました。
そこで、私は、必要かと思い頼まれてはなかった項目も資料として付け加えてまとめ、提出しました。
きれいに出来上がった資料。
自分なりに必要だと思う項目もつけ、自信満々で提出しました。
が、
上司が必要とした資料ではありましたが、的が外れていたのです。
私の作成した資料を違うエリアの上司に確認してもらいましたが
「このポイントを突いて作成してくれると期待していたのに」
と言われました。
上司に確認してもらい、手間をかけて手直しもしてもらい、責任者に提出しましたが、さらにツッコミが入る始末。
結局ドタバタの資料で提出せざるを得なくなりました。
責任者は、私と確認した上司に軽く叱責しました。
「この程度の仕事の返しならお前に頼まなくても済む。私の立場に立って物事を考え、的を射た仕事を返してくれないと、いつまでも作業員だぞ。」と。
ありがたい話です。
ミスをミスだと気づかさせてくれてるのだから。
同時に、自分を信頼して仕事を任せてくれていたのに、期待通りの返しができなかった自分に憤りを感じます。
私は責任者に叱責された時に責任者に謝り、その気持ちを伝えました。
そして、確認してくれた上司にも謝りました。
本来、私がキッチリとした資料を作っていれば、確認するときに手を煩わすことも無かったし、責任者に叱責されることも無かったのだから。
上司は
「こっちこそ、ちゃんと見てやれなくて悪かった。お互い中身のある仕事をしていこう。」
と言ってくれました。
『謝る』ということは、『感謝する』ということなのかも知れません。