心中なんか大嫌い 第五回 | 中川忠の小説です。

中川忠の小説です。

中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 彼が絵描きになりたかったと言うと、彼女はその方面に思い切り斬り込んできた。

「絵がうまいなんてすごいわ。宗近さんって、芸術家なんですね。どんな種類の絵を描くんですか?」

「どちらかと言えば、現実にはないようなファンタジックな絵を描く」

「へえー、一度お見せして下さらない?」

「見せるって、ちゃんとした絵はサイズが大きいから会社には持っていけないよ。スケッチブックならいいけど」

「わたし、ちゃんとした絵が見たい」

「どこで見るんだ?」

「宗近さんの家に行って見るのです」

「家に来るって、いつ来るんだ?」

「今日でもいいですよ」

 宗近の胸はドキリと鳴った。ことによるとこれはチャンスなのかも知れない。これを逃すと、後でああ言った、こう言ったと主張してみても、そんなこと言ったかしらととぼけられる可能性が高い。

 だからと言って会社の女の子をいきなり家に招くのはよくない。彼は親と同居しているから、親にどうやって彼女を紹介していいのか分からない。付き合ってもいない女の子を家に連れ込んだと思われても困る。だからと言って彼女に、付き合いましょうかと持ちかける勇気はない。

 すると友理乃は宗近の懸念を一挙に吹き飛ばす言葉を吐いた。

「わたし、宗近さんとお付き合いしたいなあ」

 宗近は思わず口の中に入っていた日本酒を吹き出した。テーブルに向かって真っすぐに吹き出したので、隣の人や友理乃に被害は及ばなかったが、彼はしきりに周囲に謝罪をしていた。バッタのようにお辞儀をしながら。彼は非常に困惑していた。今の彼女の言葉をどう受け取っていいのか分からなかった。

 友理乃は親切にも店の人におしぼりを貰って、それで彼の前のカウンターを拭いてくれた。そして、

「どうして返事をして下さらないの? わたしとお付き合いするのは嫌ですか?」と訊ねた。

「嫌、じゃないよ……」

「もしかして彼女とかいるんですか?」

「いないよ、そんなの」

「秘密に結婚していたりして」

「そんなこともない」

「それならどうしてわたしの言葉に返事をしてくれないの?」

「いきなりのことで……」

「こんなことはいきなり進むものなの。そしていきなり進んだ方がたくさん進むものなの。わたし勝負を賭けているんですもの。本気で勝負を賭けているんですよ。もし宗近さんに断られたら死ぬかも知れないとまで思い詰めているんです」

「まさか、そんな……」

 本当に、まさか、そんな、と思った。第一今日のことには何の前触れもない。彼女の思わせぶりな身振りもこれまでにはなかったことだ。ついさっきN駅の改札の近くで彼女と偶然出会って、今立ち飲み屋で「お付き合いしたいなあ」と言われてしまった。その上「勝負を賭けている」とまで付け加える。こうなったら宗近も勝負を賭けざるを得ない。

 彼は思い切って「よし」と呟いて、「それなら付き合おう。むしろ付き合って欲しい。こちらから頼みたい。どうだろうか、お受けしてくれるだろうか」と言った。

「酔っ払って言ってるんじゃないでしょうね?」と友理乃は微笑みながら訊ねた。

「酔って言ってるんじゃない。大体ぼくはこれくらいの酒では酔わないんだ。少なくとも五合は飲まないといけない」

「今は何合飲んだの?」

「まだ一合飲んだだけだよ。酔いのスタート地点にも来ていない」

「それなら本気と受け取ってもいいのね?」

「いいよ」

 友理乃はそこで話をやめてウーロン茶を飲み始めた。厨房や他のお客さんを見回している。おとなしいと思っていたら、随分大胆な子だ。そういう子だから、キョロキョロ彼女を盗み見る視線も飛んで来なくなった。

 宗近の前に酒はなく、手持無沙汰になったので、彼女に、

「もう一杯飲んでいいかな?」と訊ねた。

「いいに決まってるじゃないですか。どうしてわたしに訊くの?」

「だって、酒を飲んでしゃべったら不誠実になるかも知れないと思って」

「もうここまで話が決まったのだから、酔っていてもいいんですよ。誠実か不誠実かは、お付き合いをするかどうか決める時だけ問題になるの。宗近さんって純情なんですね」

「純情って言われてもなあ」

 三十歳にもなって、十九歳の女の子に純情だと言われて、素直に喜んでもいられない。馬鹿にされているんじゃないかと思って複雑な気持ちになる。