心中なんか大嫌い 第四回 | 中川忠の小説です。

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中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 友理乃は険悪なものを感じたのか、顔をそらし気味の宗近に体をかがみ込ませるようにして、「わたし、失礼なこと言っちゃったかしら?」と心底困った顔をした。

 いつもの宗近なら「いやいや、別に気にすることはない」と手でも振ってごまかすのだが、何故か今の友理乃にだけはごまかしを述べる気にはなれなかった。それで高校時代の『校長先生』の件を正直に話した。

 それを聞くと友理乃はまた深々とお辞儀をして謝った。そこまでして謝ってもらっても困ると言うと、いきなり友理乃は顔を上げて宗近の方をじっと見て、

「宗近さん、わたしをどこかに連れて行って」と頼んだ。

「どこへ連れて行くんだ?」

「まず立ち飲み屋」

「何か用があってここにいたんだろう?」と宗近はそう訊ねて、その時初めて彼女が誰かを待ち合わせていたのだということに気づいた。

「彼氏でも来るのか?」

「そんなものいないわ。とにかく助けて。まず地上に出ましょう。それともわたしと行動をともにするのなんか嫌かしら?」

「嫌なわけないよ。でもぼくは女の子と歩いたことなんかないから、どうしていいのか分からない」

「分からなくてもいいの。とにかくその立ち飲み屋に連れて行って下さればいいわ」と言って、友理乃は先に立ってエスカレーター前の列の中に入った。宗近も慌ててそれに続いた。

 エスカレーターで上に昇っている間、後ろから何げなく友理乃の頭を見ていた。髪の毛は肩を少し過ぎるくらいの長さだ。この子はまだ十九歳なのだ。もう二、三年もたてば、匂い立つような美人になる可能性もある。

 エスカレーターを昇り切ると友理乃は「どこに行けばいいの?」と訊ねた。宗近は「こちらだよ」と言って、突き当りにある出口に向かい、階段を昇り始めた。友理乃は素直について来る。

『黒垣屋』という屋号の立ち飲み屋に着くまで、二人は会話を交わさなかった。ガラス戸越しに見ると、店内は二割方あいていた。二人が立つスペースは十分にあるようだった。

 ガラス戸の前に立って少しためらった。友理乃が「どうしたの?」と訊ねる。「このお店なんでしょう?」

「この店なんだが、いいのかな、きみのような人をこんな店に連れて来て」と宗近はいつまでも心配している。

「きみのような人って、わたしってどういう人なの?」

「まだとても若い女の子だよ」

「わたしのこと、子供扱いしているのね。わたしだって宗近さんと同じ会社で働く社会人なんだから、一人前の大人よ。十九歳って言ったって、社会人だったら二十歳と変わらないでしょう?」

「まあ、それはそうだ」と言って、宗近はとうとうガラス戸を開けた。中から「いらっしゃいませ」と叫ぶ女の人の声が聞こえる。

 ここは立ち飲み屋にしては広い店舗だった。大勢の人が働いている。二人が入ったガラス戸のすぐそばに隙間があったから、宗近と友理乃はそこに並んで立った。

「ぼくはビールを頼むけれど、きみは何を頼む?」

「わたしはウーロン茶。ここってすごいのね。たくさんのメニューがあるわ。楽しい所ね」と言って友理乃は盛んに店内を見回している。

 宗近は時々この店に来ることがあるが、立ち飲み屋には珍しく女性の客が入っていることがある。今では立ち飲み屋というのもお洒落になって、女性が一人で入っても違和感はないらしいが、宗近が三十歳だった当時は立ち飲み屋に女性が入るのは珍しかった。

 二人で食べ物を頼んで、ビールとウーロン茶で乾杯をする。何となくやりにくい。デートすらしたことがないのに、いきなり立ち飲み屋で女性と二人で酒を飲んでいる。女性の方はウーロン茶を飲んでいるだけだが、ここは酒を飲む場所だ。生まれて初めてのデートの場所としては不適当だ。

 その上あちらこちらから視線が飛んで来る。もちろん宗近の方に飛んで来るのではない。みんな友理乃の顔を見るために飛んでくる視線だ。

 宗近はビールをさっさと片づけて日本酒の冷やを頼んだ。とにかく早く酔っていい心持ちになりたかった。そうすれば少しは気のきいた会話が出来るだろう。

 ところが会話の主導権を握っていたのは友理乃の方だった。彼女は盛んに訊ねてくる。何が好きで何が嫌いだとか。