今、熟年世代で問題になっている
親の家を片付ける
私にとっても、おおきな課題です。
3年前に一度、大がかりに片付けて残した分を、
実家に帰っては、片付けらしいことはしていますが、
遅々として、進みません。
一方、姉妹で、さっさと片付けて、
売れるものは売り、家を売却する
そんな風に進めている友人もいます。
私の場合は、親孝行らしいことをしなかった後悔と、
親を否定しているように思え、
処分する申し訳なさで、胸が苦しくなります。
これは、罪悪感のようで、
実は、残されたと、恨んでいる・・・
どうすればいいの・・・?
そして、人には、大変な思いをさせまいと、
このことを機に、
自分の終活を考えるようになりました。
親の家がある場所の価値
親が作った家の価値
親が残したものの価値 を 認める。
親が残したものは、
両親が汗を流して働いて
一代で築き上げた財産です。
でも、そこに住まない子供にとっては
価値よりも、重荷・・・・・・
しかし、
あの時代に、どれほどの気力で
これほどのものを手にしたのだろうか?
自分だとしたら、ここまで出来ただろうか?
!!!
親の成し遂げたことは、もっと凄かったんだ!
両親には、感謝しているし、その
社会的地位の凄さなどはわかったけれど、
働いたことを、その毎日を、その汗を
思うことはありませんでした。
子供に残すためと、考えなかったにしても、
堂々と、見事に人生を生き切った見本が、
自分の両親です。
はるかに凄い、親の働きを思えば、
親は自分の深層意識ですから、
親と同じように、自分も出来ると思えばいいわけです。
片付けるごとに、「立派だった親」を見つけたら、
そこに近づく為に、もっと頑張れる可能性を思うと、
気持ちもぐっと明るくなりそうです
親と自分の、終に向けた作業から、
未来への扉を開ける作業に変える。
感傷に浸るのをやめ、
自分のこれからの為だと切り替えること。
要は、考え方一つですよね。