東京へ遊びに行ったときに毎回すごいなと思うのは、電車が次々にやってくることです。
山手線とかすごいですよね。2~3分おきに電車がやってくる。1本見送ってもすぐに次が来るのです。線路の数も多いし。いろんな路線があって、並行したり交差したりしている。
駅と駅の間隔も近くて、そりゃあ「健康のために一駅分歩きましょう」なんていう提案が出てくるわけです。あと、バスも縦横無尽に走ってますね。都会は公共交通網がちゃんと存在してるんだなとつくづくうらやましくなります。
こういうときにざっくりと「都会」でひとくくりしてしまうのはよくないですね。
体感でいうと、東京の山手線とそこから出ている路線とか、名古屋とか大阪、京都あたりの大きな街をイメージしています。やっぱり大きな街はそれなりに電車やバスが充実してるんですよね。
で、私が住んでいるところには東西を横切るJRと、ちぎれた毛細血管みたいな私鉄が数本くらいしか存在していません。バスもそれほど充実していません。1時間に5本きたら多いほう。少ないところだと1日に数本だったりします。そもそもバス路線が圧倒的に少ない。これは、卵が先か鶏が先かという話なのでしょうが、本数が少ないから(あと路線が少ないから)利用者が少ない、利用者が少ないから本数や路線が減らされる、という事情があります。
JRの駅と駅はとても離れていて、一駅分歩くなんてちょっと現実的ではありません。そもそも山越えしたりして歩けない箇所もありますし。
公共交通網が充実している街に住んでいたら、車はいらないと思うでしょうね。
維持費もかかるし、事故の危険性だってある。お酒を飲む人だったらなおさらそう思うでしょう。
テレビドラマを見ていて違和感を持つのは、「急いで誰かのところへ行かなくてはいけないというシーンで、なぜか登場人物が走っている」というシーンが出てくることです。
恋人のもとへ駆けつけるとか、急にいなくなった人を探すとか、ドラマではよくそういうシーンが出てきます。たいていはぱっと部屋を飛び出して、街中をひたすら走るんですよね。シーンとしては緊張感とかいろんな感情を表現できるから、街中をひたすら走るという設定は使えるんでしょう。でもあれ、もし田舎が舞台だったらちょっと考えられないんですよね。田舎だったらまず車に乗るでしょうし。行く場所なんて限られているので。
都会の人はああいうときって、まず自分の足で走るものなのかしら。ドラマの演出と言ってしまえばそれまでなんですけど、いつも不思議だなあと思ってしまいます。歩いていけるところがたくさんあるってことなのかもしれません。
そう、都会は、歩いていける楽しい場所がたくさんあるんですよね。お店もそうだし、娯楽施設もたくさんある。いろんな体験をすることができそうです。お金はかかるけど。
田舎だと、それも中途半端な田舎だと、娯楽施設も少ないし、お店も限られているし、文化施設もあんまりないのです。「自然」がたくさんあるような、思い切った田舎ならまた話は変わってきますが、そこそこの地方都市って、「余剰の文化」みたいなものがないんですね。だから、わざわざ車に乗って遠出しなくてはいけなくなる。こういう時に電車だのバスだのという手段は選びません。なぜなら、目的地が路線の付近にあるとは限らないし、そこまでのバスがあるかどうかもわからないからです。
隣の市では夏に海上花火大会が催されるのですが、ご多分に漏れず駐車場がありません。だから電車やバスで来るようにアナウンスされるのですが、これの怖いところは、帰りのバスがないということなのです。終バスがものすごく早い。花火大会が始まるころには終バスが出てしまうという地域がたくさんあります。だからうっかりバスで出かけたら大変なことになるのです。私は一度それを経験しました。いやあせめて臨時バスくらい出してほしいなあと思いましたが、採算が取れないだろうなあということもわかるので、もうその花火大会へは行かないという解決策を選ぶしかありませんでした。
電車の本数を増やしてくれ、とか、バスの路線や本数を増やしてくれ、と要求するのは簡単なのですが、やはりこれは現実的ではありません。乗客が一人、もしくは誰も乗っていないバスが走っているのを見かけるのは日常茶飯事で、採算が取れないからやめるしかないのはよくわかるのです。客のほうからすれば、使おうと思ってもあまりにも使い勝手が悪すぎて(時間が合わないとか、行きたい場所へ行くバスがないなど)、結局車で移動することになります。
こういうのを解決するために、コンパクトシティ構想みたいなのがあるのかもしれません。
一つの街のなかで、生活も文化も完結するならありがたい話だと思います。そんなふうになっていかないかなあ。私が生きてる間は無理でしょうけどね(笑)