10月の蝉 -10ページ目

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

思いがけないトラブルっていうのはあるもので。

 

朝、ダイニングの天井灯がつかなくなった。いったん消したあとにもう一度スイッチを押したら、オレンジ色の電灯しかつかなかったのだ。

やれやれ、このタイミングで切れるのかよ、とがっくり。確かにね、前回交換したときに、ひよって蛍光灯を使ってしまいましたよ。LEDに交換しようかなと思わなくもなかったんだけど、ちょっと値が張るしなあと思ったのを覚えている。

で、案の定切れてしまい、交換せざるを得なくなったわけだ。

2027年度から蛍光灯の製造が止まる(禁止だっけ?)ということは知っている。いつかLEDに移行しなくてはいけないこともわかっていた。それがこのタイミングなのか。

とはいえ、ここが暗いといろいろ困るので、仕方なく交換することにしたのだった。

 

ところが、近くの家電量販店で相談していたらなんと、店内のシステムがダウンしたというではないか。在庫の確認もできないようだった。ふうむ。なんというか、便利になるっていうのは別の不便を抱えることでもあるんだなあ、なんてことを思いながら、仕方なく別の店へ出向いた。

その店ではシステムはお元気だったようで、さっくりと一体型のライトを購入することができた。

実は数年前にこのタイプに変えようかと思っていた時期がある。値段も手ごろだし、なにより取り換え作業がとても簡単そうなのである。器具ごと交換するタイプで、しかも取り付けは2段階でオーケーと書いてある。アダプタをつけてそこに取り付ければOKだというのだ。

でもなんかそのときは怖気づいてしまって、まだ販売されていた蛍光灯でお茶を濁してしまったのだった。

しかし2027年を来年に控えた今、もはや躊躇している余地はないのだ。

事前に撮影しておいた家の照明具の写真を店員さんに見せて作業工程を確認し、ドキドキしながら家に帰った。

 

カバーはすでに取り外してあったので、さっそく天井に張り付いた照明具を外す作業に取り掛かる。店員さんは写真の中の緑のボタンを指さして、「これを二つ同時に押せば器具は外れるはずです」と言っていた。それを思い出して緑のボタンを押してみると、カチッと音がして簡単に器具が外れてきた。え、こんなに簡単に外れるの? あまりのあっけなさに意表を突かれてしまった。アダプタを取り換えて、シーリングライトを装着する。試運転。スーッと白い光が広がる。

えーっと。これで作業終了です。ですか?ってなるくらいあっけなかった。

別の部屋の天井灯を交換するときは業者に頼んだ。作業工程に自信がなかったからだ。でもその人も「こんな簡単な作業を依頼して大丈夫か?」むしろ心配してくれた。今回自分でやってみて、その人の気持ちがわかった気がする。確かにあまりにも簡単な作業で、工賃を払うのがもったいないくらいなのだ。

まあでも、「電気のこと」っていうだけで漠然とした不安が付きまとうっていうこともあるからね。一度は専門の人に頼みたいじゃないの。

 

しかし今回は、時間の余裕がなかった。担当の住宅会社はお休みで、関係業者を手配してもらうにも時間がかかる。切れたのが朝だったからまだよかったけど、夜までにはなんとかしたい。

そうなったらもう、自分でやるしかないのである。自助努力。

そうしてやってみたら、思いのほか簡単な作業だった。なあんだ。私にもできたんだ。

こうやって自信ってものが積み重なっていくのだね。

 

たかだか電灯の交換に、ずいぶんな手間と思考を重ねたという、「なんて日だ」の顛末。

 

 

もう一つ「なんて日だ」案件があって。

軽自動車税の支払いに、ふと気まぐれを起こして郵便局の窓口を利用した。いつもはコンビニでさくっと支払っているのだが、お金をおろすついでに支払いをしようと思ったのだ。

窓口で申し込み(申請用紙?)を書いて待っていると、ほかの局員(女性)がいそいそと近づいてきた。たまたま局内にはほかに客がおらず、まあ狙い撃ちである。

その人は、郵便局で取り扱っている食品の取り寄せチラシを持ってきた。ウナギのチラシだった。大変おいしそうなウナギをお得に取り寄せられるということで、とても熱心に勧誘してきた。うな玉で食べるとおいしいですよ、などと言ってそれはそれは熱心だった。

まあでもお高いわけですよ。私はそういうお高い食べ物をお取り寄せするという発想も習慣もないので、はあ、はあ、と気のない返事を繰り返していた。もしかしたらその場で申し込みをさせたかったのかもしれない。そんな空気もちらりと感じたのだが、あえてそこは空気を読まず、「とってもいいですねえ。検討してみます」という雰囲気で対抗した。

らちが明かないと見たのか、その人は別のチラシを見せた。今度は涼し気なみかんゼリーのチラシだった。私は柑橘類が苦手なので、ウナギよりもっと興味がなかったのだが、その人は全然めげずに説明を続ける。ちょっと凍らせておくとお客様が来た時にさっと出せてしかもおしゃれですよ、とか、お友達にちょっとプレゼントしたりするのにも重宝しますよ、などという。

どちらも私の生活にはまず訪れないような場面の話ばかりで、でもそういうことが日常茶飯事な人もいるんだなあという、ある種の感慨にふけりつつ話を聞いていた。

かなり脈なしの雰囲気は出していたと思うのだが、まあノルマでもあるのかな、その人はさらにもう一枚のチラシを出して説明を始めようとした。「しらすはお好きですか」

ほんというと、しらすは大好きである。でも好きだっていうとまた説明が長くなるかなと思って「それほど好きではないです」と答えてみた。それであきらめてくれるかと思ったのだが甘かった。そうですか~と受け流してそのまま説明が続いたのだった。なんだ結局全部説明するのね。

どう考えてももう支払いの手続きは終わってるはずだった。けっこうな時間が経っていたのだから。でも窓口の人もたぶんその勧誘が終わるのを待っていたのだろう。小さい局で、ほかに利用者もいない空白の時間帯。ここで一つでも売り上げがでればラッキーという局面だったのだろう。最後の最後に、領収書とともに、その食品の申し込み用紙も手渡された。

私がこういうものを利用するタイプの人間だったらよかったのになあ。残念ながらそうではなかったので、にっこり笑って受け取ったチラシと申し込み用紙はそのまま処分してしまった。

 

それでも、あんなにウナギの話をされたもんだから、気持ちが、舌がウナギになってしまったんだろう。お昼ごはんに、スーパーの安いウナギ弁当を買ってしまったのだった。

うなぎ、大好きなんだけど、昨今は食べるにしてもいろいろ複雑な心境になるのよね。自分なりの妥協策として、安い(たぶん中国産とかの)パックのうな重とかに手を出してしまう。忸怩たる思いである。

 

今日はさくっと簡単に用事を済ませる予定だった。時間の余裕はあるはずだった。

まったく、なんて日だ。気持ちがばたついて困ってしまう。

今日はだいぶ自分を甘やかしてしまった。

 

午前中に、小学校での読み聞かせに備えた読み合わせの会に出席した。

さくっと自分のだけ読んで帰るつもりだったのだが、なぜかそのまま最後までいてしまった。

いや別にいたっていいんだけどさ。ほかの人の読みを聞くのも参考になるわけだから。

でも、(なんで私帰らないんだろう)とずっと思ってた。たぶんそこにいるのが気楽だったからじゃないかとも思う。要するにだらだらしたかったと。

 

午後には映画を観に行った。昨日も行ったんだけど、今日も行った。

今日は「サンキュー、チャック」の2回目。たぶんもうすぐ上映が終わってしまうだろうから、その前にもう一度見ようかなと思っていたのだが、それだって「別に見なくてもいいじゃないの」という小さい声が聞こえていなくもなかったのだ。聞こえないふりして観に行ったけど。

2回目の「サンキュー、チャック」はまた印象が変わってた。あの第3章から始まる構成は、一度見てしまうとはっきりとネタバレ状態になってしまうわけで、初回に観たときの不穏な感じやドキドキはなかったのはちょっと寂しかった。それでも「世界が終わってしまう瞬間」のどうしようもない絶望感はひしひしと伝わってきて、それはたとえ誰かの脳内の出来事だったとしてもやっぱり怖くて悲しいことなのだと思う。まあ、あんな感じでぶつっと終わってくれるならそれはそれでありがたいとも思うけど。

初回でものすごく感動したダンスは、今回もとてもよかった。一緒に踊りたくなったし、終わったあとの寂寥感には胸を締め付けられた。

そして今回は最後の第1章がとてもよかった。

ダンス部に入ったチャックに、祖父が「お前がダンサーになれる確率はとても低い」と告げる。そして「これは事実なのだ」という。あの場面の残酷さとつらさがやけに心に響いた。

好きなこととできることは違う。チャックには数学の才能があると祖父はいう。だからダンサーの道は選ばず、数学の道へ進むべきだと告げるのだ。確かにそれは正しかったのだろう。長じてチャックはちゃんと会計士になって仕事をしていたのだから。それでも、ある瞬間に噴出したあの衝動。あれはあの瞬間だけだったから美しく成立したのかもしれないと思うと、やるせない気持ちになる。

それから、初回に観たときにわからなかった「手の甲の傷についての後日談」が今日見てようやく理解できた。丸屋根の部屋で見た幻影の手の甲にはくっきりと傷が残っていたのだ。初回のときはそれを見逃していたので、なぜチャックが妻に後日談について言わなかったのか、また後日談とはそもそもなんなのかがわからなかったのだ。

 

観終わって、言葉にならない思いが胸に渦巻いていた。

で、そのままはま寿司へ行ってしまったのだ。ちょうど夕ご飯を食べる時間だったとか、近くにあったからとか、いろいろ自分に言い訳をしつつ、結局自分を甘やかすことにしてしまった。

チートデイといえば聞こえはいいけど、ほんとのことを言えば、私はいつだってチートデイである。その中でもとりわけ今日はチートデイだった。自分の欲求にそのまま従ってしまったのだから。

最近とみに自分に甘くなっていてよろしくない。よろしくないと思いながら同時に、それの何が悪いという開き直りの気持ちもわいてきている。

なんとかあと5~6年は生きていなくてはならないから(猫様の寿命がたぶんそのくらいで尽きるのではないかという予想)、あまあまになってもいいんじゃないかと思ったりもする。

やりたいと思ったことはやってしまえ、というのはとても甘い悪魔のささやきである。

映画「君のクイズ」を観てきた。

原作厨の私ではあるが、これは原作未読。そしてたぶんこの先も未読だと思う。

原作とはかなり違っているという話でもあるし、未読のままのほうがいいような気もしている。

 

映画は面白かった。

クイズ番組は、以前はよく見ていた。

パンフレットの中に日本の主なクイズ番組が挙げられているんだが、8割くらいは見てるんじゃないかな。クイズダービーなんて毎週欠かさず見ていたものだ。

昔のクイズ番組は、出題と解答の間隔が短かったような気がする。だんだんと演出なのか、「正解!」というまでの時間が長くなっていった気がするのだ。気を持たせる、というか、盛り上げようとしてる?そんな感じ。

私は、問題が出たらすぐに答えが知りたいと思う。わからないという状態が苦しくて嫌いなのだ。だから、解答者が答えたらすぐにそれに対する正否を出してほしい。そこでドキドキするのはなんだかとても嫌なのだ。

かといって、自分もクイズが解けるようになりたいとは思わなかった。たまたま自分が知っている知識で解ければいいが、そのために知識を蓄えたいというふうには思わなかったのだ。

だから、クイズプレイヤーの人たちはすごいなと思う。

 

「君はクイズ」には二人の天才クイズプレイヤーが登場する。絶対王者の三島と、魔法を使う本庄。静かなたたずまいの中村倫也さんと、ミステリアスで小生意気な雰囲気の神木隆之介さんが素敵だった。そして、番組の総合演出を手掛ける坂田を演じたムロツヨシさんがとてもよかった。一見優しそうに見えるし、話し方も穏やかなんだけど、ものすごく怖いところのある坂田をきっちり表現していた。ムロさん自身が持っている闇みたいなものが、坂田の笑顔の裏側にぴったりと張り付いているようで、三島と対決するシーンは息をのむ緊迫感が漂っていた。

事件を追う雑誌記者をユースケ・サンタマリアさんが演じていたんだけど、ここの配役がちょっと面白いなと思った。ユースケ・サンタマリアさんとムロツヨシさんは、わりと似たようなポジションの役を演じることが多い気がする。だから、坂田をユースケさんが演じて、雑誌記者をムロさんが演じるというパターンもありのような気がした。んー、でもやっぱり今回の坂田はムロさんのほうが適任だったかな。

クイズの答えを考えているときの頭の中を映像にしているところは圧巻だった。

三島は樹形図のように思考が枝分かれしていって最後に答えにたどり着く。本庄はぶわっと雲のように情報が膨れ上がって最終的に答えだけが残る。その残った答えを見つめながら解答する瞬間の目がすさまじかった。もうその答えを見ているとしか思えないような目。

 

冒頭に掲げられた「なぜ本庄は0文字解答ができたのか」という謎に迫っていく過程がスリリングだった。あんなふうに、クイズの答えがその人の人生に深くかかわっていることがあるなんて、想像したこともなかった。そういうものなんだろうか。

人生に正解はない、と三島は言う。クイズには必ず正解があるけど、生きていくことに正解はないのだと。いつだって、どの瞬間だって答えを探して、時々間違えて、また答えを探していく。

そういうものなのだ、と三島は言う。

そのわりには、間違えたら人生終了な世の中ではあるんだけどね。日本だけなのかどうかはわからないけど、答えを間違えたり失敗したらそこで終了な世の中じゃない? だから必死で正解を探っているわけだ。

 

私が演劇の稽古が好きなのは、何度でもやり直せるからかもしれない、とふと思った。

本番の舞台は始まったらもうノンストップ、それこそ人生と同じでただ流れ去っていくしかないんだけど、稽古の時は何度でもやり直せる。間違えたところ、うまくいかなかったところを巻き戻してやり直しができる。まるで習字で文字をなぞるかのように、何度でも修正して、訂正して正しい答えを作ることができる。

もしかしたら私、本番の舞台よりも稽古のほうが好きなのかもしれない。ずっと稽古していたいと思うことがあるくらいだから。

そのくらい、「正解を出す」ことにこだわっているのかもしれないなと思う。

 

そんなにこだわっているわりには、いや、こだわっているからこそかもしれないが、今のところ私は人生というクイズで正解を出したことがない。ずっと「ブー」という不正解の音が鳴り続けている気がする。