最近、なんとなく「人生のたな卸し」みたいなことをしているようだ。
ようだ、ってなんか他人事みたいだけど。
日記はずっと書いていて、そこではわりと本音を出しているんだけど、mixiは非公開にしてるので要するに脳内反省会みたいなところがある。ぐるぐる考えて、文字にしているから、ある程度客観視できるようになってきてはいるみたいだ。昔は紙のノートに書いていたからほんとに脳内反省会の域を越えてなかった。ただ自分の心情をぶつけていただけ。
ブログを書くようになってから少し変わった。
自分以外の誰かが読むかもしれないという可能性が常にある場で書くことで、ちょっと離れた視点が持てるようになったんじゃないかと思う。
そういうことを積み重ねた結果が「人生のたな卸し感」につながっているのかもしれない。
先日、Yさんと話したときに、ふいにそれを実感した。
私は自分がけっこう根に持つタイプだと思っていたのだが、根に持つということは自分の中で決着がついていないとか納得してないのだということに気が付いたのだ。そして、それらのことは人には言ってはいけないと思っていたから、いつまでも自分の中でぐつぐつと煮えたぎってしまっていたのだ。
でも、人に伝えるという前提で話し始めると、しゃべりながら明確になってくる部分というのがあって、さらには聞いてくれる相手からの反応で、「あ、やっぱりこれは、傷ついていたということなのか」と自覚できるようになったのだ。
言い出したら次々と出てきて自分でもびっくりしてしまったのだが、あのこともあのことも全部、その時私は確かに傷ついていたのだな、と改めて認識してしまった。
それくらいのことで傷つくなんて甘えてる、とずっと思ってきた。今でも半分くらいは、単なる甘えなんじゃないかという疑念は消えないのだが、自分の中だけで延々と反論を繰り返すという不毛な行為は、何度も絆創膏をはがして傷を確認しているのと同じじゃないか、と思ったのだ。
その場で反論できていたらよかったんだろう。その場でなくても、その問題がホットなうちになにかしらの対応をとっていたら、もう少し違ったかもしれない。
でも私はいつだって言葉を飲み込んだ。相手が投げつけてきた石を受け取って、できた傷を隠して、なんでもないふりを続けてきた。理由はわからない。ただ怖かっただけかもしれない。
子供の時に母に反論したら(口答えしたら)倍以上になって返ってきた。だからいつしか口をつぐむようになった。口をつぐんで、何でもない顔をして、部屋に戻って日記に書きなぐった。
その癖がずっと抜けなかったんだと思う。
相手の言い分にも一理あるから(あると思うようにしていたから)、自分の気持ちは後回しにするべきなのだと思っていた。
人と喧嘩できない、怒ることができないのは、それが理由だと思っている。自分の感情を出してしまったら取り返しのつかないことになる、とどこかで思っているのだ。
喧嘩して仲直りする、というのは、フィクションの中だけのことだと思ってきた。
喧嘩したらそこで終わり。あるいは、喧嘩になる前に離れるのが最適解。そう思ってきた。
喧嘩に関してはまだまだ課題だと思っている。まだできそうにない。人が喧嘩している(意見が対立している)状況すら怖いと思ってしまう。
その前にまず、甘えだとしても私は傷ついたのだ、ということをちゃんと自分に認めることから始めないといけない。その傷にあぐらをかくつもりはないけど、とにかく、あれは嫌だったのだ、とちゃんと自分の気持ちを認めなくてはならない。
Yさんがそういうことを受け止めてくれる相手だったから、というのもあるし、たまたまそういうふうに発想が変わりつつある時期だったというのもあると思うんだけど、本当に、突然目の前の霧が晴れたような気がした。
嫌だ、と思ってもいいんだね。それを直接言うかどうかはまた別問題なのだけれども。まずはそう思ってもいい、と自分に許可するところから始めないと。
今年の10月でこのブログは満19年となる。やっと成人だなあ。
ここまでやってきてようやく、私は自分の心を客観視できるようになったのかもしれない。
