10月の蝉 -8ページ目

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

最近、なんとなく「人生のたな卸し」みたいなことをしているようだ。

ようだ、ってなんか他人事みたいだけど。

 

日記はずっと書いていて、そこではわりと本音を出しているんだけど、mixiは非公開にしてるので要するに脳内反省会みたいなところがある。ぐるぐる考えて、文字にしているから、ある程度客観視できるようになってきてはいるみたいだ。昔は紙のノートに書いていたからほんとに脳内反省会の域を越えてなかった。ただ自分の心情をぶつけていただけ。

ブログを書くようになってから少し変わった。

自分以外の誰かが読むかもしれないという可能性が常にある場で書くことで、ちょっと離れた視点が持てるようになったんじゃないかと思う。

そういうことを積み重ねた結果が「人生のたな卸し感」につながっているのかもしれない。

 

先日、Yさんと話したときに、ふいにそれを実感した。

私は自分がけっこう根に持つタイプだと思っていたのだが、根に持つということは自分の中で決着がついていないとか納得してないのだということに気が付いたのだ。そして、それらのことは人には言ってはいけないと思っていたから、いつまでも自分の中でぐつぐつと煮えたぎってしまっていたのだ。

でも、人に伝えるという前提で話し始めると、しゃべりながら明確になってくる部分というのがあって、さらには聞いてくれる相手からの反応で、「あ、やっぱりこれは、傷ついていたということなのか」と自覚できるようになったのだ。

言い出したら次々と出てきて自分でもびっくりしてしまったのだが、あのこともあのことも全部、その時私は確かに傷ついていたのだな、と改めて認識してしまった。

それくらいのことで傷つくなんて甘えてる、とずっと思ってきた。今でも半分くらいは、単なる甘えなんじゃないかという疑念は消えないのだが、自分の中だけで延々と反論を繰り返すという不毛な行為は、何度も絆創膏をはがして傷を確認しているのと同じじゃないか、と思ったのだ。

 

その場で反論できていたらよかったんだろう。その場でなくても、その問題がホットなうちになにかしらの対応をとっていたら、もう少し違ったかもしれない。

でも私はいつだって言葉を飲み込んだ。相手が投げつけてきた石を受け取って、できた傷を隠して、なんでもないふりを続けてきた。理由はわからない。ただ怖かっただけかもしれない。

子供の時に母に反論したら(口答えしたら)倍以上になって返ってきた。だからいつしか口をつぐむようになった。口をつぐんで、何でもない顔をして、部屋に戻って日記に書きなぐった。

その癖がずっと抜けなかったんだと思う。

相手の言い分にも一理あるから(あると思うようにしていたから)、自分の気持ちは後回しにするべきなのだと思っていた。

人と喧嘩できない、怒ることができないのは、それが理由だと思っている。自分の感情を出してしまったら取り返しのつかないことになる、とどこかで思っているのだ。

喧嘩して仲直りする、というのは、フィクションの中だけのことだと思ってきた。

喧嘩したらそこで終わり。あるいは、喧嘩になる前に離れるのが最適解。そう思ってきた。

 

喧嘩に関してはまだまだ課題だと思っている。まだできそうにない。人が喧嘩している(意見が対立している)状況すら怖いと思ってしまう。

その前にまず、甘えだとしても私は傷ついたのだ、ということをちゃんと自分に認めることから始めないといけない。その傷にあぐらをかくつもりはないけど、とにかく、あれは嫌だったのだ、とちゃんと自分の気持ちを認めなくてはならない。

Yさんがそういうことを受け止めてくれる相手だったから、というのもあるし、たまたまそういうふうに発想が変わりつつある時期だったというのもあると思うんだけど、本当に、突然目の前の霧が晴れたような気がした。

 

嫌だ、と思ってもいいんだね。それを直接言うかどうかはまた別問題なのだけれども。まずはそう思ってもいい、と自分に許可するところから始めないと。

 

今年の10月でこのブログは満19年となる。やっと成人だなあ。

ここまでやってきてようやく、私は自分の心を客観視できるようになったのかもしれない。

 

3つ続けると小説のタイトルになっちゃうね。

 

市民ミュージカルを始めたころに、公明正大な口実ができたと思ってダンスを習い始めた。

バレエはちょっと手遅れだったので、ジャズダンスのほうへ。一応バレエの基礎みたいなのは教わった。

たぶん私は踊ることが好きなのだ。

学生時代がディスコブームだったんだけど、しょっちゅうディスコへ行っては踊り狂っていたものだ。別にうまいわけじゃないんだけど、リズムに乗って踊るのがとても楽しかった。

そういうふうに思っていたからダンス教室に通うのは憧れでもあったのだが、ちょっと思ってたのとは違ったなあ。好き勝手に踊るのは楽しいんだけど、基礎や決まった振り付けをするのがしんどかった。正当なダンスをするためにはきちんとした基礎が必要だし、決められた振り付けを覚えることが大事である。でも私はその「基礎的なトレーニング」ってやつが壊滅的にだめだったのだ。体力も柔軟性もなくて、全然できない。できないから面白くない。振り付けも「間違えてはいけない」という気持ちが先に立ってしまって、ちっとも楽しくない。つまり私のは「野良ダンス」なのである。

基礎トレーニングをきちんと積み上げた人や振り付けをちゃんとマスターできる人はすごい。

心底尊敬しているから、そういう人たちを観たり、小説などで読むのは大好き。でも自分はできない。

 

ちょっと愚痴になるけど、自分の筋力のなさにはつくづくがっかりしてしまう。

演劇でも基礎レッスンとして筋トレをやることがあるんだけど、これがほんとうにつらくて。

何をやってもすぐに筋肉が痛くなって続けられなくなる。腕立て伏せとかスクワットとかプランクとか腹筋とかその他もろもろ。痛くなったり攣ったりする。そこを乗り越えて継続することで筋力がつくということなのかもしれないんだけど、乗り越える根性がない。

走ればすぐに肺が痛くなって、足が痛くなる。そこを我慢して継続できていたらまた違っていたんだろうけどねえ。どうしてもそこでくじけてしまうのだ。

 

そのくせ、でたらめダンスは何時間でも踊り続けていられる。息が上がっていても全然平気だし、足が痛くなっても気にならない。この差はなんなんだろうなあ。

 

話がそれちゃった。

ダンスを習うようになって、いろんなダンスの映像を見まくった。

その中でいちばんかっこいいなと思ったのがタップダンスだった。

「ホワイトナイツ」大好きだったなあ。

タップダンスはシューズが高い。特殊な靴だから。あれは憧れだった。あの靴を履いて、軽快にリズムを刻んでみたかった。難しそうだけど。

 

音楽に合わせて人間が体を動かす。それが何かしらの思いを伝えてくる表現に見えるものと、機械的な曲げ伸ばしにしか見えないものがあるのはなんでだろう。

同じように体を動かしているのに、何が違うんだろうなあ。

 

ダンスは好き?苦手?

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初めてこの概念を知ったときに、私はこれなのかも、と思った。

でも、詳細を見ていくと絶妙に当てはまらない気がしてきて、やっぱり違うのかなあと。

「毒親」という概念を知ったときも、もしやうちの親はそうなのかもと思ったけど、本とかを読んでいくうちに「いや、そこまでではないのかも」と思えてきた。

たぶん、こういうのを「誰にでもそういうことはあるよ」事例というんだろうな。

 

小学生のとき、描いた絵がなんかの賞をとって表彰式に行ったことがある。何を描いたのか、どういう催しだったのかも覚えていないが、表彰式へ私を連れていく母がとてもめんどくさそうだったのを覚えている。おめでとうとは言ってもらえなかった気がする。こんな賞をもらってもどうにもならん、みたいなことを言っていたんじゃなかったかなあ。

大学に入って家を出たあと、長期休みで帰省するとまず第一声でけなされた。

「なに、その服」「へんなカバンだね」などなど。顔色がどうとか、肌が荒れてるだとか、なにかしら言われた。事実だったかもしれないが、第一声でいうことじゃないだろ、といつも思っていたし、そのうちに何か言われることが苦痛になって、予防線を張るようになった。さらには、なるべく家に帰らないようになった。顔を合わせればまずけなす言葉が出てくるから。

母には母の事情があったのだろう。今ではそれくらいは想像できるようになった。それでも、実際に言われるのは心が削られる。

 

褒められたり、認められたりしたことが少なかったんだろうなあ。少なかった、と書くのはたぶん何かしらの希望的観測を含んでいる。全然なかった、と断定してしまうのは怖いから。

でも、すぐに思い浮かばないのは、やっぱりなかったということなんだろうなあ。

けなされた言葉はすぐに出てくるのだから。私が、そういう言葉を何度も反芻してしまっているということはあるにしても。

あ、反芻するから記憶が強化されてしまうのか。その時に反発できなかったもんだから、いつまでたっても脳内で反論してしまう。不毛な反論。

 

高校を卒業して家を出るまでは、家にいても気持ちが休まることはなかった。

ということを、家を出てから初めて気づいた。

自室を与えられてはいたけど、実際の生活は全部親の管理下にあったから、自分の部屋といえども気を許すことはできなかった。中学のときから書き始めた日記(大学ノート)は、毎日カバンに入れて持ち歩いていた。部屋に置いておくことは怖くてできなかった。だんだん冊数が増えて、かばんは馬鹿みたいに重くなっていって、手は豆だらけになったけど。

大学の寮は3人部屋だったけど、自分のパーソナルスペースがあって、親の目がないということが信じられない解放感をもたらした。部屋の窓から外を見たときの、とてつもない解放感は忘れられない。

 

私の20代は、今振り返ると完全にクズだったなと思う。

人との関係がうまく構築できなくて、恋愛依存もしくは性依存みたいな状態になってしまった。

人に受け入れられたいのに、受け入れられそうになると怖くなる。人と一緒にいたいのに一人になりたくなる。相反する感情でめちゃくちゃになっていた。当時はまったく認識してなかったけど。

寮を出てアパート暮らしをするようになったら、誰もいない真っ暗な部屋に帰ることが大きな心の安らぎになっていた。世間の感覚とは反対みたいだが、誰にも浸食されていない空間があるということがとても重要なことだったのだ。

 

いろいろあって、自分を見つめ直すことができるようになってようやく、そういうことだったんだと腑に落ちた。

親とは、穏やかに距離を置けるようになったので、たぶんもう傷つけられることもないだろう。

(と書きつつも、いやまだわからんぞと身構えてしまう部分は残っているけど)

うちの親が毒親だったのか、私は毒親育ちなのか、アダルトチルドレンなのか。それを判断することはできない。まあ、ああいう概念はグラデーションのあるものだから、どこかしらでひっかかってはいるんだろうけどね。だめなまんまでこの年まで生きてきてしまった。なんの意味も価値もないけど、死なないみたいだから生きてきた。なんで私が代わりに死ななかったんだろうと思ったことは数限りなくある。まだその順番が来てないだけなのだと思うしかない。

 

その手の話題(毒親だのアダルトチルドレンだの)を見かけると、いまだに心が騒ぐ。占いが気になるのも、性格診断に惹かれてしまうのも、自分のことがよくわからないからだ。誰かに規定してほしい。誰かに判別してほしい。そういう願望がある。おかしいのは、いい結果が出た時は全然信じないのに、悪い結果はまるっと受け入れてしまうこと。そっちのほうが気楽だから。

人に褒められることなんかあり得ない。いいことが起きるなんてあり得ない。どこかでそう思っている自分がいる。めんどくさいなあ。最近ようやく、人からの誉め言葉をいったん受け止めることができるようになってきた。受け止めて吟味しているうちに変質してしまうんだけどね。

「やっぱりこれは社交辞令だよな」って。めんどくさい。

 

私がここでブログを書き続けているのは、つきつめれば承認欲求なのだと思う。突き詰めればね。もしかしたら誰かが読んで、なにかしら共感してくれるかもしれない、なんていうはかない願望が消えないのだ。

やっぱり私も、生きていることに意味や価値がある、と思いたいのかもしれないなあ。

本当にそう思えたら、どんなにいいだろうね。