10月の蝉 -6ページ目

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

ようやく「エルピス」を観た。気にはなっていたんだけど、リアタイもしなかったし、なぜか食指が動かずのドラマだった。

最近「銀河の一票」というドラマを追いかけて見始めたところ、これを見るなら「エルピス」も見るべき、という意見を見かけて、それなら見てみるかと。5月最後の日曜日、終日これに費やしました。

とても緻密に作られたドラマで、それはつまり、揺れ動く人間の弱さみたいなものが繊細に表現されていたということなわけで。強さも弱さも理想も現実も、きっちり描かれていた。

だから、見終わってすっきり爽快!という気分にはなれなくて、でもみっしりと中身の詰まった物語を見せてもらった感がある。

2022年の放送だったんだなー。もう4年も前ですか。

今はいい時代になったもので、こういう過去のドラマも配信で見ることができるのはありがたい。

そういえば、6月1日(あ、明日か)から古畑任三郎が配信されるとか。

よく平日の午後に再放送してたっけ。

古畑のキャラクターはあんまり好きにはなれなかったのだが、あのドラマの構成とかセリフ回しがとても好きだった。また見ようかしら。

 

やっと5月が終わって、来月は多少活動が増える。

小中学校への読み聞かせはなぜか6月に集中しているので、5か所行くことになる。

稽古もぼちぼち入ってくるし、観劇の予定も入っている。

ようやく人並みな生活を送ることができそうだ。

 

思わず冷房いれてしまったよ。

でもきっと6月に入って梅雨になると肌寒い日があったりするんだろうなあ。

 

互助会に加入して、自分の葬儀プランを選んだ。

これ、自分は見ることができないんだなと思うと不思議な気持ちになる。

お葬式は残された人のためのものだと私は思っている。だからこそ、生きている間に自分の意思を明確にしておくことが大事なのだ。そこをはっきりさせておくことで、少しでも負担を減らせるんじゃないかと思うから。

担当してくれた人が話し好きな人で、ついつい話し込んでしまう。

思いがけない話も聞けて、ほんと人っていろいろだなと改めて思う。

 

エンディングノートを書こうかと思ってページを開いてみると、最初に自分のことを書くような仕様になっている。どうしてもそこで手が止まってしまうのはなぜなんだろう。

なんか、自分のことを書くのがいやなのだ。

生年月日だとか、マイナンバーだとか、そういう事務的なことはいいんだけど、趣味だの好きな色だのといった、ちょっと踏み込んだことを改めて書こうと思うと手が止まる。

もっとしんどいのは、職歴だとか、人生の振り返り(各年代ごとに書くようになってる)を書くところ。

さらには、家族に対して書くパートになると、もうほんと、見るのもいやになってしまう。

このブログでバラバラと思い浮かぶエピソードを書くことはあったけど、いざ改めて書こうと思うとどうにも気が進まない。

だってこれは確実に該当者が読むわけだから。

日記は未来の自分にあてて勝手に記録を残しているだけだし、ブログは多少粉飾して書いている部分がある。読んでる人がもしかしたらいるかも、くらいの感覚なのだ。

でも、エンディングノートは、私がいなくなったあとに、確実に該当者が読むわけで。

そこにちょっと気おくれしてしまうのかもしれない。

まだ、自分事になってないのかもしれないなあ。もうちょっと実感がわいてきたら書けるようになるのかな。

延命治療はしたくないとか、そういうことは書けそうだし、書いておいたほうがいいとは思うんだが。

ずっとほしかったエンディングノートをゲットした。

 

ぼんやりPCを眺めていた午後、葬祭関係の営業の人がやってきた。

最初は話を聞く気はなかった。でも、なんとなく人懐こい感じの人で、何気ない雑談をしているうちに、自分の中に互助会に対する興味があったことを思い出した。

終活、というほど明確に意識しているわけではないのだが、折に触れて「そろそろ考えないといけないよなあ」とは思っていたのだ。

それと、「互助会」という存在についても、一度ちゃんと知っておきたいとも思っていた。

実家の母が何かのおりに「うちは互助会に入ってるからそこでやってもらう」(結婚式の話だったかもしれない)と言ったことがあって、そうか世の中には互助会という仕組みがあるのか、と思ったことがあったからだ。

 

玄関先に入ってもらって、詳しく話を聞いた。

昨今の葬式事情や、個人的な葬儀の思い出など、思いがけなく話がはずんだ。

その人も、身近な人の突然の死を経験しているそうで、「いろいろ大変なんですよねえ」と盛り上がってしまった。

正直、自分の葬式に関しては特段の希望があるわけではない。葬式は残った人のためにあるものだと思っているからだ。残った人たちが納得のいく形で締めくくることができるならそれに越したことはない。でも、諸物価高騰のおり、いろんなオプションをつけるごとに値段もはねあがっていくわけで、先に「故人の遺志」としてこのランクの葬式をやってくれと希望しておくことは悪くない。

それよりも私は、この機会にエンディングノートが手に入れられるのではないかと思ったのだ。

聞いてみたらあっさり渡してくれた。そこの会社で出しているものなのだが、平易なつくりで書きやすそうな体裁をしている。自分のことや家族のことなどはまだ記入することはできない(心理的に)が、口座のことや保険のこと、残ってしまうであろう物の処分に関することなど、伝えておきたいことは書き込めるだろうと思う。

 

訪問営業の人は、だいたいは話だけ聞いて終わりにするか、インターホン越しにお断りすることが多いのだが、たまーにとんとん拍子に話が進んでしまうことがある。

啐啄の機、ってやつかもしれない。こっちが無意識に求めているものが目の前にタイミングよくあらわれる。つまりはそういうことなのだろう。

終活はね。いつも考えておかないといけないと思っているよ。