懐かしい絵描き歌。
6月6日、今日は雨は降ってない。
一本の棒から連想が広がることがある。
例によってTwitterをだらだら眺めていたら、「親に言われて今でも覚えていること」みたいなお題が流れていった。主に悪いほう、傷つけられた方の言葉が対象だったような。
高校生の時に「ごくつぶし」とののしられたことはたぶん死ぬまで忘れられないんだけど、もう一つ、呪いの言葉を思い出した。
最初の結婚をしたときのことだ。
母と話してて、どういう流れなのか忘れたけどさらっと「あんたに主婦が務まるとは思えない」と言われたのだ。結婚おめでとうとかそういう雰囲気はなくて、あらあら結婚するの、なに専業主婦なの? それは無理じゃない? みたいなニュアンスだった。
家事の手伝いとかしたことがなかった。気が利かないというのもあったし、なまじ手伝おうとすると母の機嫌を損ねることが多かったせいで次第に手を出さなくなったということもある。
自分だってちゃんと主婦(家庭のきりもりという意味で)がつとまるかどうかは不安だった。
一応一人暮らしもして、家事の真似事はしていたけども、一家の主婦となるとまた違うんだろうなとも思っていたし。
それでも、すぱっと「あんたに務まるとは思えない」と言われたのはちょっとしたショックだった。そうか、と納得する気持ちと、なにくそ、という反発心の両方があった。
当時はちゃんとそれを認識していなかったんだけども。
だから私はムキになった。意地でも専業主婦を勤め上げなくてはならないと必死になった。
家をきれいに保つこと、洗濯や炊事も手を抜かないこと。子供が生まれたあとは完璧な育児(布おむつの使用、全部手作りの離乳食など)を目指した。
まるで学校の勉強でいい成績をとるかのように、調べて勉強してきっちりやろうとした。
「理想の家庭」みたいなものを作ろうとした。それが結婚というものだと思っていた。
結果からいえば、その目論見は全部崩れた。
なんていうかなあ、内からあふれ出る熱意でもって「主婦」をやってるんじゃなくて、こういうものだろうという型から推し量った主婦業だったから、ある意味空回りしてたんだと思う。
主婦の炊事っていうのは、単発のお料理作りのことではない。冷蔵庫にある食材の回し方、調味料の管理、こまごました掃除など全部を含む。限られたお金でどう食材を見繕って食事を用意するか、毎日の献立をどうするかを管理運営することである。
しかし当時の夫は仕事柄時間が不規則で、突然飲み会で食事がいらないと言うこともあったりして、しょっちゅう予定が狂っていた。子供だって、機械じゃないからこっちの思い通りになんて動かない。私は「ちゃんとした主婦」であろうとしてうまくいかず、ずっとイライラしていた。
なんとしても母の呪いを跳ね返さなくてはいけない。心のどこかでそう思っていたんだろうな。
失敗したら母の言うとおりになってしまうのだから。
それが呪いだったのだと認識できたのは最近のことだ。
本来の私はとても怠け者で、利己的で、人のために動くことができない人間である。ずっと一人で過ごすほうが気楽でいいと思っている。なのに、全部それに反するようなことばかりしてきて、なんでこんなに苦しいんだろうと思っていた。苦しくて当たり前だった。
「あんたに主婦はつとまらない」という母が引いた一本の棒。
そのまま投げ捨ててしまえばよかったのに、私はそこに線を書き足して「ほめられる自分」の絵を描こうとした。書き上げたところで褒めてもらえるはずもなかったのに。
私の母は本来の意味での「毒になる親」なのかもしれない。
衣食住は保証してくれたし、学校にも行かせてくれた。経済的にも助けてもらった。
でも。実家は心が休まるところではなかったし、会いたいとも思えない。
家を出てから、実家に帰ることや母親に会うことはいつも憂鬱なことだった。
父に関しては思うことが何もない。思い出もほとんどないし、私の中ではほぼ存在していない人なのだ。お金を出してくれたことだけがありがたかったかな。世の中には自分の子供にお金を出さないという親もいるからね。こういうのが毒になるのかどうかはわからないけど、私の中の父親像とか家庭観に大きな欠陥があるのはたぶんにそこに理由があるとは思う。
自己理解が進むのはいいんだけど、なかなかにつらいものはあるねえ。