芝居の台本を書いているとたまに発生する事象なのですが、たまたま観ていたドラマで求めていた演技を発見したり、自分が書いたのと同じセリフを発見したりすることがあります。まあ、あるあるな事象なのかもしれませんが。
「春なのに2026」で上演した「いくつになっても夢を見る」の主人公である小寺ちづるの演技について、役者にどう説明したものか考えていた時に見たのが今期の「月夜行路」というドラマでした。麻生久美子さんが演じている感じがまさに私の欲しかった演技で、勢い込んで役者に伝えて見てもらったという経緯があります。
ほかの作品でも似たような経験をしたことがあって、それは自分の役だったりほかの人の役のことだったりしたんですけど、なんというか、まさにグッドタイミングとしかいいようのないタイミングでそういうものに遭遇するんですね。
で、ここ数日、ネトフリで「ライオンの隠れ家」を観ていたのですが、ここでもまたシンクロニシティを体験しました。
このドラマは2024年に放送されたもので、当時は観ていませんでした。ネトフリでずっと候補にあがってきていたものの、なんとなく食指が動かず見ないままでいたのです。
「春なのに」も終わって、しばらく稽古の予定もなくて、ふと見てみようかなという気持ちになりました。自閉症の弟と静かな生活を送る兄が、思いがけない出来事に巻き込まれていく展開は、不穏さともどかしさと先の見えないドキドキに満ちていました。柳楽優弥さんが演じる兄(ひろと)の人物造形は、どこか私が「いくつになっても夢を見る」で描いた小寺さんに似ているような気がしました。
シンクロニシティは最終話で起きました。
ひろとは、事件終結後に大学に復学することを考え始めます。しかし、なかなか一歩を踏み出すことができません。あまりにも今まで弟のために人生をささげすぎて、自分のことを考えるのが難しくなっていたのです。
今まで弟のケアをすることだけが人生だったひろとは、そのケアから手を放すことができそうな状況になってきたことに戸惑いを感じます。この気持ちは、子供が巣立ったあとの親(特に母親)の気持ちに似ていると思うんですね。いわゆる「空の巣症候群」というやつです。だからひろとは戸惑い、立ち止まってしまっている。ぼんやりとやってみたいことは浮かんできてはいるものの、今更という気持ちが強くて動けないのです。
それを、「いまさらとかないよ。やりたいと思ったらその時にやればいいんだから」と、途中から協力者になった記者の女性が後押しするシーンがあったのです。
私が書いた脚本でも、小寺さんがぼんやりと「かつて自分が好きだったこと」を思い出すんですが、それを「いまさら」と思ってしまうシーンがあります。
記者に励まされた時の柳楽優弥さんの表情は、まさに私が想像していたとおりのものでした。
こういうときに即座に「そうですよね!」と決断できないよなと思うんですよ。ずっと自分を後回しにしてきたから、いきなり自分のことを優先してもいいのだといわれても受け入れられないのです。だからぼんやりと、「そう、なんですかね……」と答えてしまう。
記者が放った言葉も、私が脚本に書いたのと同じでした。まあ、よくある言葉ではあるんですが、このタイミングで出会うというのがシンクロニシティだなあと思うゆえんです。
「いまさらとかないよ。いつだってやりたいと思った時がその時なんだから」と私は脚本に書きました。これは実は私が言われたいセリフだったのかもしれない、と後になって思いました。
そう考えると、そもそも小寺さんは私を投影したキャラクターだったともいえるし、私が演じた奥田さんは、こういう人に出会いたいという願望だったのかもしれません。
こういう話を書いたときに、似たような状況の登場人物が出てくるドラマの放映が始まったり、今まで見ようとしなかったドラマを見てしまう、ということが、不思議だなあと思います。
それがシンクロニシティということなのかもしれません。
次に書く脚本ではどんなシンクロニシティに出会えるのか、ちょっと楽しみになってきました。
あ、「ライオンの隠れ家」はとても面白く心に残るドラマでした。