10月の蝉 -17ページ目

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

四月の終わりはすっきりしないお天気のようです。

 

原因にまったく心当たりがないのですが、どうも急性胃腸炎のようです。

世間と接してないのでストレスなのか、あー、もしかしたら便秘のなれの果ての症状かもしれません。

胃痛が波状攻撃してくるんですよ。キリキリキリっときて、ふーっとおさまる。攻撃は鋭い断面を持つガラスで切りつけられているような痛みで、もうなすすべがありません。

昨夜はあまり眠れなかったみたいです。1時間くらいうとうとしてるとキリキリが来る。嘔吐や下痢の症状もあったので、おちおち寝てもいられません。

なんとなく、昔娘を産んだときのことを思い出しました。陣痛が長引いて一昼夜かかったんですけど、夜が特にしんどかった。2分おきに陣痛がきて、それでも生まれなくて。もうへとへとに疲れているので眠りたいのに、うとっとしたくらいで陣痛がやってくる。あれは絶望を感じましたねえ。

あの時のことを思えばなんてことないぞ、と思うとしましたが、無理でした(笑)

痛いものは痛いし、気持ち悪いものは気持ち悪いんでね。

 

そんなこんなで夜を越え、朝になりました。曇って薄暗い朝。

さいわい予定もないので、今日は一日休養にあてようと思います。

まったくなんだってこんなことになったんだか。

サトザクラは実をつける。

かつて「みどりの日」と呼ばれていた時期があったので、新緑の写真をあげる。

 

タイトル、本来は「明治は遠くなりにけり」なのだが、もはや明治は歴史の一部になっている感があり、昭和もそろそろそういうポジションに落ち着きそうだ。

今年は昭和でいうと100年なんだってね。だからなんだという感じではある。

 

昭和、と一言でいっても、いろんなフェーズがあるわけでね。

16年までの戦前と呼ばれる時期、第二次世界大戦中の時期、戦後の混乱期、そこから立ち直って上向きに発展していく高度経済成長期、バブルがはじけて氷河期、そのあとは何て呼ばれてたんだっけな。「昭和」と聞いて思い浮かぶのは、どの時代に人生の最盛期を迎えていたかによって違うような気がする。

私は高度経済成長期以降の人間なので、「昭和」というと、無知とど根性の時代っていう感じがする。自分が子供のころのことを思い出してみても、牧歌的な側面はあったにせよ、そこそこひでえ時代だったよなと思うのだ。人権意識もないし、環境への配慮もないし。今でもあるけど、差別もひどかった。みんなナチュラルに差別してたよなあ。

だから(というわけでもないけど)、現在問題になるあらゆることに対して、「昔はこうだった」とか「昔からそうなっている」と主張するのは悪手だと思っている。

昔はそうせざるを得なかっただけ、ということが多いんじゃないかと思っている。

昨日書いた「人間を育てる」ということについてだってそうだ。知識がなかったから相当無茶苦茶なことをやってた。たまたまうまくいって生き残ったというだけの事例も多い。生存バイアスってやつだね。

無知だったからぼこぼこ子供が生まれて、知識もないから(たとえ愛情があったとしても)適切な処置ができずに死んでいった子供はたくさんいた。もちろん子供が死んだら悲しむだろうけど、どこかで「仕方のないこと」だというあきらめもあったはず。

そんなふうにあきらめたくないと思う人がいたから医学は発展してきたんだろうし、いかに健やかに成長させるかについても研究が進んだのだと思う。

そういう観点に立てば、今は昭和よりいい時代になったといえるんじゃなかろうか。

 

昭和に関するエピソードはたくさんある。

ブログスタンプにちなんでいうと、私が幼稚園くらいのころに家にあったテレビがまさにこういうブラウン管タイプのテレビだった。もちろん白黒テレビ。チャンネルはダイヤル式のつまみになっていて、ガチャガチャ回したものだ。回しすぎてすっぽ抜けるなんていうのは定番の出来事。「チャンネル争い」という言葉や概念があったのは、テレビが一家に一台しかなかったからだ。たいていはその家で権力を持っている人にチャンネル権があって(自分が見たい番組を選べるという権利)、それはおじいちゃんだったり父親だったりした。私が野球とプロレスを嫌いになったのはそのせいである。

カラー放送が始まったばかりのころは、モノクロとカラーが混在していて、カラーで放送している番組には隅っこに「カラー」という表示が出たものだ。まあでも受信するテレビがモノクロ仕様じゃカラーは映らないんだけどね(笑)

家にカラーテレビが来たのは、大阪万博の年だった。りっぱな木箱に入ってたなあ。扉がついていたような記憶がある。おまけで太陽の塔の置物をもらったんじゃなかったか。

色のついたテレビの画面はきれいだった。もう夢中になってテレビを見たものだ。

「テレビっ子」なんて言葉も生まれた。いつの時代も親という人種は子供が新しいものに夢中になることにいい顔をしない。「テレビなんか見てると馬鹿になる」と渋い顔をしていたものだ。

 

そうか。私にとって「昭和」ときいて思い浮かぶのはテレビなのかもしれない。

今よりずっとテレビが輝いていた時代だったから。

 

 

 

 

昭和と聞いて思い浮かぶのは?

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小学校の算数はなんとかついていけてたと思うんだ。分数も小数点も理解はできる。

でも中学に入って数学に変わったらいきなりわからなくなった。

突然出現するやつが理解できなかったのだ。

幾何の証明で、突然「ここに補助線を引く」という。え、なんで勝手に引いていいの? 自分が勝手に引いた線で証明してそれで正解になるの?

方程式を解くのに、「これをXとする」あるいは、「これをaとする」という。え?誰?君どこからきたの?

こんなことばっかり考えてるから、図形の証明はできないし、連立方程式も解けない。

公式はがんばれば暗記できるけど、応用はできない。問題文を見ても、そもそも何を問われているのかがわからない。

さらさらと式を書き連ねて答えを出しているクラスメイトを見ると、なぜそれが答えになると確信できるのか不思議に思う。そもそも「式を解く」ということが根本的に理解できていないのだろう。

数学ですらこうなんだから、その先の物理とかはもうまったく理解の範囲外だった。

 

だから嫌いなのか、というと、実はそうでもない。

私には数学の能力はないんだけど、それを理解している人には限りない憧れがある。私もその世界を理解できたらよかったのになあと思う。

私に理解できるのは、簡単な数独の問題だけだ。

 

東野圭吾のガリレオシリーズや、岩井圭也の「永遠についての証明」、最近話題の「プロジェクト・ヘイル・メアリー」、伊予原新の「宙わたる教室」など、理系の小説は大好きだ。書いてあることは悲しいかなほぼ理解できないんだけど、数式をあやつって理屈で詰めていく思考がとてもかっこいいと思う。

 

論理、だとか、理詰め、っていうあたりに好感を持っているんだろうなと思う。

自分がそうだからなのか、そうでないからこその憧れなのかはわからないけど。