10月の蝉 -15ページ目

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

私が子供のころ、家で食べるコロッケは俵型をしていた。母の手作りコロッケは俵型だったのだ。商店街が近くになかったので、小判型のお店のコロッケを食べるという経験がなく、コロッケといえば俵型なのだとずっと思い込んでいた。

家を出てから、世間ではコロッケは小判型をしているということを知った。

 

さほど頻繁にコロッケが食卓にのぼることはなく、形は覚えているけどどんな味だったのかはもう覚えていない。

自炊をするようになって、少し自信がついたころに自分で作ってみることにした。

実家住みのころは炊事を手伝ったことはなかったので、というかさせてもらえなかったので、自炊は全部料理本と首っ引きであった。 

コロッケの作り方はかなりめんどくさかった。

まずはじゃがいもを丸ごと皮付きのままゆでる。およそ1時間くらいかかる。

じゃがいもをゆでている間に、芋に混ぜる具の用意をする。合いびき肉とみじん切りの玉ねぎを炒めて塩コショウで味付け。私はこのときにナツメグも使っていた。ナツメグを使うとちょっとスパイシーな香りがしておいしいのだ。いい感じに炒めて粗熱をとっておく。

じゃがいもに竹串がすっと通るくらいになったらざるにあげて、熱いうちに皮をむく。これがまためっぽう熱い。当たり前だけど。手のひらを真っ赤にしながら皮をむいてボールに入れてつぶす。しっかりつぶすか、ざっくりつぶすかで食感が変わるので、その時の気分によってつぶし方を変える。でもまあ、しっかりめにつぶしたほうが口当たりはいい。

そこへ、粗熱をとった具(ひき肉とたまねぎ)を入れていい感じに混ぜ合わせたら、少し寝かせる。あんまりすぐに形を作ろうとすると、熱いじゃがいもがまとまらないのである。

少しさめたらようやく成型する。手のひらで転がして俵型を作るのだ。

あとは、小麦粉をまぶして溶き卵にくぐらせパン粉をつけて揚げる。

さて、ここまででトータルどれくらいの時間がかかっていたのだろうか。

 

じゃがいもをゆでる時間やもろもろさます時間などを考慮すると2~3時間はかかっていたのではなかろうか。それくらい時間と手間をかけても、できあがるのは「コロッケ」である。

もちろん自作のコロッケはとてもおいしくて満足してはいたけど、あまりにも手間と時間がかかるために次第に作る機会が減っていった。それになんといっても「コロッケ」である。ごちそう感が少なすぎるのだ。

 

やがて気づいた。お店で買ったコロッケのほうが手軽でおいしいということに。揚げる油の種類も違うので、そもそもの衣の味が違う。あ、そのとき気づいたんだな。コロッケって小判型なんだって。私の中では、お店のコロッケと自分で作る俵型のコロッケは違うものなのであった。

 

コロッケづくりの失敗談としてよく覚えているのは、コロッケが揚げ油の中でバラバラになった事件である。

その時は、あまり時間がなかった。急いで作らなくてはならない状況だった。

なので、じゃがいもをゆでたあと十分に冷ますことができず、もちろん具もまだ熱いままで混ぜたコロッケ種に衣をつけて油の中に落としたのである。そうしたらみごとに油の中でコロッケ種がほどけていった。全然まとまらなかった。

あの時に「さます」という行為の重要さを思い知ったのだった。

 

私はもう揚げ物はやらない。それどころか料理もやらない。

だからあのナツメグの風味がきいた俵型のコロッケは二度と食べることはない。

よく、思い出の味とかいって料理を再現するなんて話があるが、あのコロッケはたぶん誰にも再現できまい。あの味は私の記憶の中にだけある。

 

 

 

 

 

 

 

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身体のほうはなんとか復調してきたんですが、メンタルのほうがちょっと停滞というか下降気味です。まあ例年5月はあんまりよろしくないんですけどね。だって世界が美しすぎるから。

空気が澄んで、陽光がきらめいちゃって、心地よい風が吹いたりして、山が輝いています。

各地でいろんなイベントが開催されていて、みんなの楽しそうな様子がSNSで流れてきます。

みんな楽しそうでなによりです。そこに一つの不満もありません。

不満があるとしたら、そんなふうに楽しめない自分に対して、です。ほかの人がうらやましいとか妬ましいとか、そういうことではなくて、楽しもうと思えない自分、何も感じない自分がはがゆいというか、情けない気持ちでいるのです。

俳優の坂口涼太郎さんが静岡のストレンジシードに来ていたそうで、ツイッターにとても素晴らしい感想レポートをあげていました。みずみずしい感性と豊かな表現でストレンジシードの演目を紹介されていて、ああ、こんなふうに鑑賞できるのは素晴らしいなと思いました。

私がストレンジシードへ行ったのは5年ほど前のことで、あのころはそりゃあもうストレンジシードを満喫していました。一つの演目をじっくり味わい、次はどれを見ようかとわくわくしたものです。活力があったんだなあ。

しかし、いつのまにか行かなくなっていました。それはイベントの魅力がなくなったからではなく、私に受け止める力がなくなってきたからでした。楽しさを享受できない。面白さを受け止められない。行ってもつらくなるだけでした。

今年はそれを痛感しました。行こうという気力さえわいてこない。まあ、たまたま体調を崩したということもありますが、それにしたって気力がない。

これは老化ということなんでしょうかね。気力、活力の著しい低下、減衰。自分の中から何かが大きく枯渇してしまった気がしています。

時期的なものなんでしょうか。一時的なものなんでしょうか。ずっと芝居の稽古もなくて、演劇から離れていく一方の毎日で、どんどん何かが死んでいくような、消滅していくような気がしています。また復活することがあるのかな。

それでなくても5月は生きているのがつらくなる時期なのです。あまりに世界がきれいすぎて、もう私はいなくてもいいなという思いが強くなる。

自分には価値がないという感覚はどうやっても消えません。必死でとりつくろってみても、すぐに剥がれて顔を出す。そのうえ、年を重ねることによる実際の老化がその思いに拍車をかけます。無駄に長く生きていたくない。なんとか自分の身の回りの始末ができるうちに人生を終えたい。そういう気持ちが高まるのがこの季節なのです。

 

感受性が死んでいる、衰えている、というのが、まるで電波の届かないところにいるような感じに思えて、だとしたらまた圏内に入ればなにか受信できるんじゃないかというのがかすかな希望です。なんてことなくまた元気が出て、忙しく芝居の稽古に取り組める日が来たらいいなと思います。いろんなものを見たいとか、いろんなことを知りたいという活力が戻ってくることを祈るのみです。

これが一番好きというわけではないのですが、まあお気に入りですし、みどりの日ということで緑が多い写真を選んでみました。

 

昨夜はひどい嵐でした。3日からいろんなイベントが全国各地で行われており、なかなか大変だったみたいです。大河ドラマに出演する俳優さんがイベントに参加しているそうで、博多では仲野大賀さんと池松壮亮さん、浜松では松下洸平さんと迫田孝也さんが雨の中をパレードしたそうです。大変だなあ。するほうも見るほうも。でもきっとどちらもうれしかったんでしょうね。

多くの人が写真をSNSにアップされていて、私はそれを見て楽しみました。生だとねえ、一瞬目の前を通り過ぎていってしまうだけだから。

 

静岡はストレンジシードが開催されています。さすがに夕方の演目は中止になったものもあったみたいですが、今日はたぶん実施されるでしょう。街にお祭りムードが広がっているようです。

浜松は、浜松まつり(凧まつり?)ですか。あれは、ちゃんと町内に所属していないと参加できないという、けっこう厳しい掟のあるお祭りなんですよね。まあそもそも祭りというのはそこに住んでいる人のものですから、当然といえば当然なんですけどね。

いいとこどりだけしていくよそ者は絶対許さない、という感覚が強くなっていってる気がします。それもまた仕方のないことなのでしょう。

 

ゴールデンウイークに出かけることをやめて久しいですが、テレビで江の島の混雑ぶりが放送されていたのを見てふと思い出したことがあります。

学生時代、大学2年の時でしたかね。何を思ったか(たぶん何も考えてなかった)ふと鎌倉へ行ってみようという話になりました。当時つきあっていた人が車をもっていたので、ドライブとしゃれこんだわけです。

まったくノープランで鎌倉に向けて出発しました。ほんとにノープランでしたね。

何十年も前のことですから、ナビなんてものはないし、スマホどころか携帯電話すらありませんでした。つまり、その場ですぐに何かを調べるってことができないわけですよ。ノープランで行ったらほんとに何も情報がない状態です。一応ガイドブックとかは持ってたのかなあ。

あじさい寺とか、銭洗い弁天とか、鎌倉大仏とかを回った気がします。銭洗い弁天ではほんとにお金を洗いましたよ。度胸がなくてお札は洗えませんでしたけど(笑)

初めて行った鎌倉はとても素敵なところでした。素敵なところだったと思う。たぶん。というのも、強烈に覚えているのが車の渋滞がひどかったことと、泊まる場所を見つけるのに苦労したことだからなのです。

ノープランということは、宿泊場所も決めずに行ったということ。「なんとかなるだろう」という極甘な予想のもとにふらふら出かけたもんだから、見事に渋滞にはまるし、泊まる場所なんてなかなか見つからない。かなり苦労して探した挙句、やっとのことでキャンセルの出た部屋にたどりつくことができたのはほんとにラッキーでした。若さって馬鹿さよねえ。

それでもその馬鹿さのおかげで、こうやっていまだに思い出せる記憶になっているわけです。

愚行もまたよし、ってことかな。

 

最近は、行楽地へ行くにも、食事に行くにもいろいろ気を使わなくてはいけないことが増えました。観光地の人はほんとに客に来てもらいたいと思ってるんでしょうか。飲食店はほんとに客が来ることを望んでいるんでしょうか。どうもそうは思えないご意見を目にすることが多くなっているような気がして、それは私がSNSに毒されているからなのか、それとも今まで隠されてきた本音がどんどんあぶりだされてきているのか、どうにも不安になります。

どこにも行かず、なるべく家の中でじっとしていることだけが世の中のためになるんじゃないかと思いつつ、今日も家にこもろうと思います。

 

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