先日テレビドラマを見ていて、なるほどと思ったことがあった。
今期話題のドラマ「銀河の一票」で、声優の日高のり子さんが出演されているんだけども、主人公のあかりが出馬演説の練習をしているシーンで、あかりにアドバイスする場面があった。
緊張で声が硬くなっているあかりに、「胸から出る声は自意識、頭は思考。心はここ」と言っておなかを触る。そして「今ここにはなにがある?」と問いかけるのだ。
そこは、まあいわゆる丹田と呼ばれるところに近いんだが、そこを触られたあかりはしばし戸惑い、やがて弱弱しい声で「私でいいの?」という。
あかりを演じている野呂佳代さんがすごいなと思うのは、こういうシーンで本当に「そういう声」が出せることだ。そしてそのあとの演説での声は、明らかに「自分の思いを乗せた自分の声」になっていた。ドラマなのに、わかっているのに、それでも心が揺れた。
日高さんがしたアドバイスは、演技する人にとってとても大事なことを言っていると思った。
(厳密には演技だけに限らないけど)
芝居の稽古をするときは、自分の役のセリフをいかに腹落ちさせるかが重要になってくると思っている。腹落ちとはつまり納得。他人が書いた言葉なのにまるで自分の中から出てきた言葉のようになること。そこに至るまでには十分な時間をかける必要がある。
その芝居の全体像を把握し、自分の役がどういう役割を持っているか、どういう立ち位置の存在なのかを把握する。周囲の人間との関係性や、もちろんその役の性格なんかも、台本のなかから見つけだす。時には行間を読んで想像したりもする。あくまでも大本は台本なので、そこから離れてしまってはいけない。そうやって自分の役をつかんでいくわけだ。
私がやっている一人芝居の場合はもっと想像力が必要になる。しゃべるのは自分ひとりだし、情報は少ない。一言一言の言葉から、なぜこういう言い方をするのか、なぜこの語句を選んだのかを細かく想像していく。そうすることで、その役の人物が立体的になってくるのだ。
これらの作業の前半部分が、頭(思考)と胸(自意識)の分担なのかなと思う。
どういうことかと考え、どういうふうに見せるか、どういうふうに見えるかを考える。
この作業も実は重要なのである。
で、最後は腹。その瞬間だけでも本当にそう思っていないと、生きた言葉にはならない。
例外として、全然何も考えていなくてもちゃんと成立する場合もないわけじゃないが、たぶんそれはとてもまれなことなんだと思う。
だいたいは、頭や胸から出された言葉はつるつるしてる。通りはいいし、きれいにまとまってはいるんだが、うわすべりしていく。言ってることはわかるんだけど、だからといって気持ちは動かない。個人的な体験に刺さったら動くかもしれないが、それはたまたまそういう体験があったせいにすぎなくて、芝居としてはちょっと残念な出来だと思う。
芝居をやるっていうと必ず「セリフ覚えるのは大変じゃないの?」と言われる。
セリフがたくさんあると覚えるのが大変だという嘆きはしょっちゅう耳にする。
そりゃ今から、まったく意味の分からないお経を丸暗記しなさいと言われたら大変だと思う。理解できない数学の公式を覚えなさいと言われたら無理だと思うだろう。
世の中にはいろんな人がいるから、むしろ丸暗記のほうが得意という人もいるかもしれないけど、こと芝居のセリフに関しては丸暗記はかなり危険だと私は思っている。
音の連なりで丸暗記してしまうと、万が一どこかで飛んでしまったら修復が難しいと思う。
それってつまり、自分が何をしゃべっているのか把握していないってことだから。
腹落ちしてないから、心から出てきた言葉じゃないから、忘れてしまったり、飛ばしてしまったりするんじゃないか。私はそんなふうに思っている。あー、もちろん不測の事態はあるけども。
頭で考えていたり、胸(自意識)が主になってしまっていると、緊張もするし、ド忘れもする。
でも、心から出てきていたら、たとえ多少言い間違えたり噛んだりしても、すぐに修復できるはずなのだ。だって「自分の言葉」なのだから。
あのドラマで、アドバイスをもらったあかりさんは、本当に思っていることを話しているような声に変わっていた。(それを表現できる野呂佳代さんはすごい)
私も、できることならそんなふうに演じられるようになりたい。
そのために今、脚本分析に励んでいるのだ。がんばろ。