素直な語呂合わせ(笑)
萩尾望都さんの作品で「感謝知らずの男」というお話があります。バレエ漫画なんですけど。
主人公に対して、あくまでも善意だという前提であれこれお節介を焼いてくる人が出てくるんですね。「あなたのことを思って」とか「心配だから」という理由で、いろいろ干渉してくる。主人公が「いらない」「やめてくれ」と言っても「遠慮するなよ」と言ってやめてくれないのです。主人公は「相手はよかれと思ってやってくれているのだから」と考えて我慢を続けますが、最後の最後に爆発してしまいます。「ほんとにいやなんだ」と。するとその善意の人たちは「なんて恩知らずなんだろう」と怒るんですね。こういう図はけっこうよく見かける気がします。
すごくがんばって自分の気持ちを表に出した主人公なのですが、それまでが我慢してしまう人であるため相手を怒らせたこと、善意に報いることができなかった自分をつい責めてしまいます。
そして思うのです。「ああ、ぼくは感謝知らずの男になりたい」と。
なんだかやけに心に残る作品であります。
つい昨日のことですが、自分の認識を改める機会に恵まれました。
とあるオンラインでの会合に参加したのですが、その中で過去の出来事を振り返らざるを得ない事態に陥りました。
3年も前の出来事ではあるのですが、私の中ではけっこうなしこりというかわだかまりとなって残っている出来事がありました。自分ではもう乗り越えたと思っていたのですが、思いがけずそのことについて話すはめになってしまい、大いに焦ったのです。今思うと別に話さなくてもよかったんですけど、その時の当事者が同じ画面にいて、薄々事情を知っている人もいたりしたので、なんとなく話してしまおうかという気持ちになってしまったのでした。
もちろん、直接的な言い方はしませんでした。そのためにものすごく曖昧模糊とした話になってしまったのですが、なんとか当たり障りなくまとめることはできました(できてたはず)。
その時はなんだかもう頭の中がごちゃごちゃになっていて、自分の発言が妥当だったのかどうかすら検討できなかったのですが、一夜おいて冷静に考えてみたらわかってきたことがあります。
結局のところ、あの出来事(ある種の事件)を重大視しているのは私だけだったのではないか、ということです。もちろん私にとっては非常に大きな出来事で、その後の行動にも影響を与えた事件だったので、当然相手にも大きな影響を与えているのだと思い込んでいました。
しかし、落ち着いてよく思い返してみれば、実は問題視していたのは私だけで、向こうは別に痛くも痒くもなかったのだということに気づきました。なんなら今でもよくわかっていないのではないかと。気にしているのは私だけだったのではないか。
あの当時も自分が軽く見られているような気持ちになっていましたが、やっぱりそれは正しかったんだなと思いました。そもそも私は必要とされてなかったんだなと。あの当時はその事実がとても悲しかったのですが、今となっては「そういうことがわかって、かえってよかったのだ」と思えるようになりました。あのころは思い上がっていたんですねえ私。
最初は同じ画面にいる(同じグループだったということ)ことで動揺しました。この組み分けはあえてなのか、それとも事情を知らないからなのか。おそらく事情を知らないからだと思うんですが、今はむしろこの組み合わせに感謝しています。否応なしに話す場にいたことで、避けていたものを直視することができました。話したことで自分の中のわだかまりが小さくなったような気がしています。心のシャッターは降りてしまったし、もう二度と開くことはないのですが、前を通りかかることくらいはできそうな気がしています。そこにいたら挨拶くらいはできそう。
自分から望んでああいう状態になることはできないので、結果的にあの形になったことに感謝しています。
とはいえ。私も「感謝知らずの人間」になってしまいたいと思ったりします。
全部全部投げ捨てて、自分の気持ちに正直になりたい。
今まで一番感謝していることは?
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