変わっていくもの | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

小学生のころ、作家になりたいと思っていた。

本を読むのが好きで、親が買ってくれた子供用の文学全集を読みながら「こんなお話が書けたらいいなあ」と思っていたのだ。

5年だったか6年だったか、夏休みに短編集を作って提出したこともある。

友達と合作で小説を書こうとしたこともあった。残念ながら完成しなかったけど。

親にも言ってたんだけど、「ふうん、そうかね」と特に反対もされなかった。本気だとは思ってなかったのだろう。

私自身もどれくらい本気でそう思っていたのかわからない。

漠然とした憧れ、程度だったんじゃないかと今になって思う。

ずーっとずーっと、淡い憧れだけが胸に残って今に至る。

別に今だって、書けばいいのだと思う。でもあれこれ自分に言い訳して結局書いてないのは、要するにそういうことなのだろう。(でも、いつか書くかもしれないという希望だけはどうしても消えない)

 

息子は、小学生の頃から私に付き合わされて演劇に関わってきた。

訳もわからず芝居に出されたことから始まって、なし崩しに劇団の芝居に出るようになり、気づいたら「将来は舞台俳優になりたい」と言うようになっていた。

演劇部にも入ったし、大学もその方面の大学に入った。何度か舞台にも立った。

この先どうするんだろうなあと思ってちょっと聞いてみたら、なんとなく方向が変わったようだった。現実問題として考えたらなかなかに厳しい道であるのは明白なので、さすがに夢だけを語るのは無理があると思ったのかもしれない。

彼はまだ若くて、人生の本番はこれからなので、この先どうなっていくのかはわからない。

もう私が口出しするようなことでもないし。

でも、できれば後悔のないように進む道を決めてくれたらいいなと思う。

 

私はいつまで演劇を続けるのかな。

10年くらいがむしゃらにやってきて、ちょっと今立ち止まってる感じがある。

特に目標があるわけじゃないし、プロになれるわけでもないので、このままゆるゆるとアマチュア演劇を続けていくのかな。続けられるのかなと思うときもあるけど。

がっつり目標を決めてそこに向かって邁進するという生き方はできないので、結局今まで通り流れに逆らわずに漂っていくのかもしれない。

自分のことを語るより、フィクションで他人の人生を語るほうがしっくりくる。

だから読み聞かせや芝居が好きなんだろうな。