母の日だけど | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

 

 

近くのスーパーでもらったカーネーション。
 
家にいるときは特に何もしなかった息子だが、家を出て遠くの大学に行ってしまってからは毎年母の日(と父の日)にプレゼントを贈ってくれるようになった。
誰の影響なのかしらね(笑)なんて思ったりするんだが、我が子ながら偉いもんだと感心している。なぜなら私自身は、母の日にプレゼントなんて贈ったことがないから。
いや、ずーっと遡れば何かしようとあがいていた時期もあるのだが、いつしかその習慣も消えてしまった。
プレゼントなんてさ、贈る方の自己満足であることは確かなんだけど、それでも相手が喜ぶ顔は見たいじゃないか。でも私の母はもの喜びをしない人だった。一応礼らしき言葉は口にするけれども、それを凌駕する勢いで何かしらケチをつける人だった。
望むものをあげたいと思って希望を聞いても「なんでもいい」と言い、苦労して選んでもさして嬉しそうでもない。だんだんこっちの気持ちがしぼんできてしまった。
 
感謝。そうだ、感謝の気持ちはどこへいった。
母に感謝する日なんだよね、母の日って。
ありがたいとは思ってる。学校も通わせてくれたし、仕送りもしてくれた。
穀潰しとは言われたけど、ご飯は食べさせてくれた。うん。だから感謝している。
しているけれども、もう近くに寄りたくないのだよ。話をするのが苦痛なのだ。
親に対する不満は、おいそれと他人には語れない。うっかり他人に語ろうものなら、「甘えるな」とか「いつまでも親を悪くいうなんて」とか「それでも親はね云々」と非難されるのは目に見えている。あれはたぶん、自分で持ちきれなくなるんだろうな。
「親に対する不満を持っている人」への対応が。
最近は「毒親」という概念もだいぶ普及してきているようだが、それでもがんとしてその概念を認めない、認めたくない人たちはいる。よっぽど幸せな親子関係だったのか、それとも自分の傷が暴かれそうで怖いのか。
うちはまあ、それほどひどい毒親だったというわけではない。ただ近づくとチクチクと棘が刺さって不快な気持ちになるというくらい。近づかなければ大丈夫なのだ。向こうから追いかけてくるということもない。
大学入学と同時に家を出て以来、ずーっと離れて暮らしているからなんとかなっている。
そういえば最近は電話もしていないが、こちらからはかけないようにしている。
弟が近くに住んでいて一切を仕切ってくれているので、安心してお任せしているのである。
彼は末っ子でいちばん母に可愛がられていた。だからたぶんこれでいいのだ。
 
私は、自分の子どもとは気軽に話せる関係になろうと思ってきた。一人目はちょっとしくじったところはあるけど、なんとかリカバリーできてる感じがある。二人目は、本心はともかく毎年母の日にプレゼントを贈ってくれるくらいには仲良しだと思う。
こういうのもね、相手が本当はどう思ってるかなんてわかんないのだから、高をくくってはいけないのだと思っている。親は発射台になればいいのだ。ここから飛び立って、自分の人生を生きてほしい。そういう意味では二人とももう巣立ってしまったから、私の役目は終わったようなものだ。
「人間を育てる」って生半可なことではないと改めて思う。
産んだら終わりじゃないんだよね。なんかそう思ってるお気楽な人たちもいるみたいだが。
育てるのが大変なのだよ。みんなそうやって育ってきたっていうのにさ。
そして、うかつなことをすると、人間の根本である親子関係が捻れてゆがんでしまうのだ。
そういう実例には事欠かない世の中であるね。
 
生まれてきてよかった、産んでくれてありがとうと言ってみたい人生だった。